九話 境界
区切りが悪くなるので今回は長いです。すみません。
このままやりあえば間違いなく勝てない。
さっきのやりとりでわかった。
コイツはゴブリンより圧倒的に強い。今の僕ではそのゴブリンですら戦えるか怪しい状態なのに、こんなの相手になるわけない。
「せめて振り方さえわかれば……」
今さら嘆いても仕方ないのはわかっている。それに今の状態で思い出したところで何も変わらない事もわかっている。
それでも己の不甲斐なさを漏らさずにはいられなかった。
構えた木の棒はプルプルと小刻みに揺れている。
どれだけ誤魔化して強がろうとも、ゴブリンに一方的にやられた記憶が僕の邪魔をしてくる。
「得物を持ちながらなぜ臆する……!」
僕にとっての魔法を唱えて心を奮い立たせる。
振り方も覚えていない。戦い方すら分からない。
でも、そこに得物はある。
「来いッ!」
魔物がまた左右に飛びながら突進してくる。それに合わせて僕は前に駆け出した。
予想外の行動だったのか左右に飛ぶ魔物の動きが若干鈍くなったのが見える。
まずはタイミングをずらせ。相手に調子を取らせてはダメだ。常に予想外の行動を取れ。
「ここ……ッ……!」
魔物が僕との距離を見てタイミングを合わせるこの瞬間。それが魔物の攻撃合図だ。
僕は足を止めて左足を軸に身体を横向きに逸らすと、両手で握る木の棒に力を込める。
思惑通り僕の動きに対応できなかった魔物は僕の目の前を通り過ぎようとする。
そこを狙う。
「はぁっ!」
全身の筋肉を悲鳴させながら、棒を振り上げる。
乾いた衝撃が手首に走り、棒の先が魔物の顎を跳ね上げた。
さっきの鈍い手応えとは違う──骨に当たった確かな感触。
それでも致命的ではない。魔物は前足で勢いを殺した。
また切り返しの突進かと思った僕はまたタイミングを見極めようとして──その瞬間には後ろ足が眼前まで迫ってきていた。
「うぉッ!?」
寸前の所で顔を逸らし回避は出来たものの、完全に僕の体勢は崩れてしまう。なんとか持ち直そうとするが魔物の方が速かった。
また後ろ足による蹴りが僕の顔面目掛けて飛んでくる。避ける事はできない。かと言ってこれを喰らえば確実に死ぬ。
「う──ぉぉぉぉッ!!」
両腕が悲鳴を上げる。ギシギシと軋む骨の音が頭に響く。
それでも僕は無理やり動かした。体勢がままならない状態で両手に持つ棒を自分の顔まで持っていき、なんとか直撃は避けることに成功する。
しかし、そんな中途半端な体勢での守りが通用する訳もなく僕の身体は宙を浮き、棒ごと吹き飛ばされてしまった。
「がはっ……」
背中を地面に強く打ち付けて、肺の中の空気が全て押し出される。
息を吸おうとしても、喉が空気を拒む。
肺が焼けるように痛い。
自分が今どんな体勢になっているのかも頭が理解してくれなかった。
ここまでか──そう覚悟しかけた心を僕は断ち切った。まだ諦める場面じゃないと自分を奮い立たせ、立ち上がろうとする。
「くっ…………そ……」
しかし思うように力が入らない。呼吸もしにくく心臓がバクバクと早く太鼓を鳴らす。思考がまとまらない。
このままでは死んでしまうと脳が警鐘を鳴らし続けている。逃げろと本能が言っている。
勝ち誇ったような鳴き声が耳に入ってきた。
背中から伝わる振動で、魔物がゆっくりと僕の方へと近づいているのが気配で分かる。
早く立たないと──!
とにかく立ち上がらなければならない。僕は全身に力を込めて無理やり体を動かし立ち上がる。
しかし頭がフラフラする。グニャグニャと視界が回り、敵どころか世界すら捉えることが出来ない。それでも何とか近くに落ちていた棒を拾うと、構える。
意識が遠のく感じがする。それはまるで、背中を引っ張られているような感覚だ。
僕は視界を閉じた。
諦めたわけではない。ただ──そうする必要があっただけだった。
川のせせらぎが耳に入る。
それは不思議と心を落ち着かせ、呼吸も正常にできるようになっていく。
次に魔物の呼吸音が聴こえてきた。
荒く、不規則な鼻息。奴のスタミナがもはや底をつき掛けている事を語っている。
ならばあと少し。
もはや目の前まで迫ってきている魔物を気配で捉えると、僕は得物を握る力を込めた。
得物は木の棒一本のみ。されど十分、
──勝てぬとも、負ける道理なし。
魔物が察知したのか目の前から大きく飛び退いた。
しかし遅い。
僕は振り上げた得物を一瞥し、もはや使い物にはならぬと地に置く。直後、宙を浮いていた二本の角が僕の背後に刺さった。
鹿は暫く僕を睨みつけていた。その眼光には明らかな敵意がある。しかし僕の背後にある折れた角を見た瞬間、鹿の瞳から殺意がすっと消えた。
代わりに、警戒と……わずかな恐怖が滲んだ。軽く鼻を鳴らしてその場を立ち去っていく。
「……」
僕はその気配が消えるまで待ってから溜まった息を鼻から吐いた。
そして気付く。
「血……?」
僕の鼻からは血が流れ、顎から地面に落ちていく。
「──がっ……ハっ……ァ……」
遅れてやってくるのは頭を殴られたかのような激しい頭痛。そしてまるで全力疾走をしたあとのような息切れだった。
全身から汗が吹き出し、立っていられないくらいの倦怠感に襲われる。
何だ? 何が起きた?
いま僕は何をした?
考えれば考えるほど頭の中がごちゃごちゃしていく。
まるで世界が広がったかのような感覚だった。全ての感覚が研ぎ澄まされ、世界が体の一部になった様な気がした。
瞑想をしている時の感覚と似ていたが、圧倒的に規模が違う。
──気持ち悪い。
吐けるほど胃の中には何も無かったのが幸いか吐くことはなかった。それでも胃酸が喉までやってきて、寸前の所で抑える。
意識がぐらりと揺れた。
皮膚の下に、もう一人の自分が手を伸ばしてくるような感覚。
僕の思考に『私』の声が重なり、境界が溶けていく。
気持ち悪いのに──どこか懐かしい。
未だに息切れは収まらない。身体も言う事を聞かないし、段々と耳鳴りもし始めてきた。
「魔物が……逃げてくれて……良かった……」
意識が一瞬途切れたような気がした。
それでも何とか持ち直すと、今ここで倒れるのはマズイと気力を振り絞って立ち上がる。木の棒を支えにしようと目をやると、もはや使い物にならない程無惨に砕けていた。杖代わりにするのは諦め、言うことを聞かず震える足を殴り前に進み始める。
それは川へと続く道。
嫌でも聴こえる川の音を頼りに、僕はまた森の中を彷徨うのであった。
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