八話 遭遇
歩けど歩けど変わらない景色。もしかして自分は同じ場所をぐるぐると回っているのではないかと錯覚さえしてくる。
そんな変わり映えしない森の中をただひたすらに歩き続けていた僕は一度立ち止まり、大きく深呼吸をした。
「……進んでるのかなこれ……」
目印として石で木を削り印をつけているから、同じ場所を行ったり来たりしているわけではない……はず。それさえも自信がなくなってきてしまう。
目指すは川。食料はもちろんだが、それよりもまず水を確保しなければ生きていけない。
「聴覚を鍛えられていたら水の流れる音も聞こえるはずなんだけど……」
そんな独り言に応えてくれるかのように、優しい風が僕の頬を撫でた。
一応修練の一環として常に耳に意識を集中させてはいる。
ほんの少し音に敏感になったくらいで特に何か変わったわけじゃないけど、やらないよりかはマシだと思うのでずっと気を張っている。
そんな時だった。
背後で枝が“パキッ”と弾けた。
森のざわめきとは明らかに違う、獲物を踏み抜くような重い音。
思考より先に身体が跳ねた。
反射で横へ飛び退いた瞬間、茶色い影が風を裂いて駆け抜ける。
「あぶなっ──!?」
さっきまで僕がいた所を茶色い四足歩行の生物が通り抜けていった。それはとても速く、明らかに僕を狙った攻撃なのだと分かる。
四足歩行の生物は勢いを殺して止まると、僕に向き合うように大きな胴体を動かした。
「魔物……か……?」
その茶色い毛皮に覆われた胴体は、傍らからみればかなり筋肉質だと分かる。筋肉質ながらも脚は細く、顔も同様に細い。そしてその頭部には特徴的な二本の角が生えている。
──あの角で突進して獲物を貫くのか。
根元は太く、先端に向かうほど鋭く研がれた二本の角。
あれがさっき僕の腹を正面から狙っていた──そう思うだけで背筋が冷たくなる。
一歩遅れていたら、今ごろ僕の身体はあの角に串刺しだっただろう。
僕は魔物に詳しいわけじゃないのであれが魔物なのだと断定はできない。見た目だけで言えば草食動物に近いので違うかもしれない。
しかし僕の勘が告げている。
これはゴブリンのときと同じ感覚であり──あれは捕食者の目だと。
右手に持つ木の棒を、無意識に強く握り直した。
「ふぅ……」
細く、息を吐く。
集中力を最大限高め、相手の一挙一動を見逃さないように注意する。
距離は近くない。さっきの突進のスピードから考えて十分避ける猶予はある筈だ。だからよく見ろ。よく考えろ。何をどうすればいいのかを導き出せ。
最初に動いたのは魔物からだった。
その筋肉質な脚が跳ねかと思うと、その巨体からは想像もつかない狼のような俊敏な動きで地面を抉り、左右へ跳ねるように軌道を変えた。そのたびに土が飛び散り、空気が震える。
その切り返しはとても早いもので、僕との距離もあっという間に詰められてしまう。
「くっ……!」
だから僕は真っ向から勝負を挑んだ。
向けられた角を木の棒を使って逸らす。その流れのまま腹に対して一撃を入れた。
「い……った……ッ……!」
まるで地面でも殴ったかのような手応えが棒から伝わってくる。その慣れない衝撃に腕が若干痺れてしまい、思わず僕は顔を歪めた。
やはりというべきか、大したダメージにはなっていないようだった。魔物は前脚でスピードを殺しながら後ろ脚を浮かせ、無理矢理身体を僕の方へ向けた。
次の突進がくる。
さっきよりも距離が近い。体勢が万全ではない今、おそらく魔物は一直線に突進してくる。次に攻撃を受けたら間違いなく僕は死ぬだろう。
「くそっ!」
僕は直感で思い切り右に飛び込んだ。ギシッ、と右脚が軋んだような感覚がしたが、今の僕にそんなことを気にする余裕もなかった。
「がはっ……」
体勢が崩れた状態で無理やり飛び込んだ為、まともな受け身が取れずに思い切り横腹が叩きつけられた。
痛む横腹と若干の呼吸のしづらさを感じながら、さっきまで僕がいた場所に目をやる。
やはり魔物は一直線に僕の方に突進したみたいで、また少し離れた場所から恨めしそうに僕の方を睨みつけていた。
捕食者の目から──『敵』を見る目へと変わっている。
奥底に眠る記憶の断片が、静かにそう告げていた。




