##第1章 硝子の城##
##第1章 硝子の城##
*1*
県内最大の繁華街。そのメインストリートから一本入った閑静な路地。
そこに構える輸入雑貨店は、今日も心地よい活気に包まれていた。
かつて大手百貨店の外商部で、富裕層の理不尽な要求に神経をすり減らしていた秀樹にとって、この光景は理想そのものだ。
陳列棚には北欧から直接買い付けたヴィンテージ食器や、イタリア製の革小物が整然と並ぶ。
感度の高い客たちが商品を手に取り、満足げにレジへと向かっていく。
秀樹はバックヤードから品出しを行いながら、自身の「城」を俯瞰した。
売上は順調だ。独立からわずか一年足らずで、経営は完全に軌道に乗っている。
だが、この店が繁盛している理由は、洗練された品揃えだけではない。
オーナーである秀樹自身、それを痛いほど理解していた。
客たちの視線は、吸い寄せられるようにレジカウンターに立つ一人の女性へ向いている。
瑞希。二十八歳になる秀樹の最愛の妻だ。
彼女が会計済みの商品をショッパーに入れるだけの動作でさえ、男性客の視線が釘付けになる。
瑞希の美貌は、愛想を振りまいて媚びる類のものではない。
どこか冷ややかさすら感じさせる、完成された造形美だ。
透き通るような白い肌に、意志の強さを宿した切れ長の瞳。
鼻梁はスッと通り、薄く引かれたルージュが上品な唇の輪郭を際立たせている。
背筋を伸ばして立つ姿は、ただそこにいるだけで周囲の空気をピンと張り詰めさせるような、凛とした気品を漂わせていた。
「ありがとうございます。またお越しくださいませ」
瑞希が淡々と、しかし丁寧な所作で頭を下げる。
その声は落ち着いたアルトで、耳に心地よく響く。
男性客は名残惜しそうに何度も振り返りながら店を出ていった。
「……相変わらずだな」
秀樹は苦笑しつつ、客足が途絶えたタイミングを見計らってカウンターへ近づいた。
「なにが?」
瑞希が手元の伝票整理から顔を上げ、不思議そうに小首を傾げる。
ふとした瞬間に見せるその無防備な表情は、夫だけが知る特権だ。
「いや、あのお客さん、商品よりも君を見に来ていたんじゃないかと思ってな」
「まさか。そんな暇な人はいないでしょ」
瑞希は呆れたように肩を竦めたが、その認識のズレこそが彼女の魅力でもあった。
自身の容姿が持つ破壊力を、彼女は正確には理解していない。
「在庫の補充、終わったよ。午後の配送分も梱包済みだ」
「ありがとう。助かるわ。……あなたこそ、少し休憩したら? 百貨店時代より働いてるんじゃない?」
瑞希が労わるように彼の腕に手を添える。
細くしなやかな指先。その体温がシャツ越しに伝わり、秀樹の記憶をふいに刺激した。
――あれは、いつかの夕暮れのことだ。
学校の裏手を流れる川の堤防。燃えるような夕焼けが、水面を黄金色に染めていたあの日。
『……秀樹』
幼馴染という境界線を越え、初めて唇を重ねた瞬間。
不器用に舌を絡めると、氷のようだった彼女の表情が溶け出し、初めて「女」の顔を見せたのだ。
あの美しい夕暮れから、彼女のすべては秀樹のものになった。
「自分の城だからな。疲れも感じないさ」
甘い回想を振り払うように、秀樹は短く答えた。
嘘ではない。理不尽なクレームや社内政治に忙殺されていた頃とは、疲労の質がまるで違う。
自分の選んだ商品を、自分の選んだパートナーと共に売る。
目の前には、誰もが羨むような美しい妻がいる。
「そう。ならいいけど」
瑞希はふっと小さく笑うと、カウンターの下、客からは死角になる位置でそっと秀樹の手を握り返した。
外向きの「クールな店長」の顔から、一瞬だけ「甘える妻」の顔が覗く。
その指先が、秀樹の掌をくすぐるように這った。
「……今日は早めに閉めましょうか。新しいワイン、開けたいし」
上目遣いにそう囁く妻の意図を、秀樹が読み取れないはずがない。
成功したビジネス。洗練されたライフスタイル。
そして、他の誰にも触れさせたことのない最高の妻との、甘い夜。
*2*
寝室に入ると、瑞希は逃げるようにサイドテーブルのランプを消した。
部屋が漆黒の闇に包まれる。外の街灯の光さえも、厚手の遮光カーテンが完全に遮断していた。
「……瑞希?」
「……電気、つけないでね」
暗闇の中から、懇願するような、消え入りそうな声が届く。
結婚して数年、付き合い始めてからは十年以上が経つというのに、彼女はいまだにこの時間だけは、初心な少女のように振る舞う。
いや、店で見せるあの完璧な「クールビューティー」としての自意識が高いからこそ、理性が飛び、雌のように乱れる自分の姿を見られることに耐えられないのかもしれない。
「分かってるよ」
秀樹は苦笑交じりに答え、手探りでベッドへと潜り込んだ。
隣にはすでに布団を頭まで被って丸くなっている妻がいる。
そっと布団をめくり、その温かい身体を抱き寄せる。
シルクのパジャマ越しでも、瑞希の体温がカッと高まっているのが分かった。
「まだ恥ずかしいのか? もう何百回とした仲だろ」
「う、るさい……。あなたのせいなんだから……黙ってて」
瑞希は秀樹の胸に顔を埋め、くぐもった声で抗議する。
その言葉とは裏腹に、彼女の細い腕は秀樹の背中にしっかりと回され、しがみつくように力を込めていた。
拒絶ではない。むしろ、好きすぎて直視できないという、不器用極まりない愛情表現だ。
秀樹は愛おしさを噛み締めながら、慣れた手つきでパジャマのボタンを外し、その滑らかな素肌に手を這わせた。
暗闇であっても、どこに何があるかはすべて把握している。
彼女がどこを触れば感じ、どこを愛撫すれば声を漏らしてしまうのかも。
「……っ、ん!」
秀樹の指先が乳首を掠めると、瑞希の身体がビクリと大きく跳ねた。
彼女は咄嗟に自分の下唇を噛み、声を飲み込む。
甘い喘ぎ声を聞かれることすら、彼女にとっては羞恥の対象なのだ。
だが、その我慢こそが秀樹を興奮させる。
十年間、秀樹が丹念に開発してきたこの身体は、本人の羞恥心とは裏腹に、快楽に対してあまりにも正直に育っている。
「声、我慢しなくていいのに」
「だ、め……。だって、あな、た……意地悪だもの……後で、からかうでしょ……っ」
途切れ途切れに言い訳をしながら、瑞希はさらに強く秀樹にしがみついた。
熱い吐息が秀樹の首筋にかかる。
暗闇だからこそ、視覚以外の感覚が研ぎ澄まされる。
肌の吸い付くような感触、早まる鼓動の振動、そして甘く香り立つような雌の匂い。
(可愛いな……)
大勢の男たちを虜にする美貌の女が、俺の腕の中では、恥ずかしさに震えながら快楽を貪っている。
その事実が、秀樹の男としての自尊心を強烈に満たした。
「瑞希、愛してる」
「……ん……私も……っ、ひぅ!」
愛の言葉を囁くと同時に、秀樹は彼女の秘められた最奥へと、自身の熱を沈めていった。
瑞希はシーツを強く握りしめ、必死に声を殺そうと首を振る。けれど、漏れ出してしまう甘い嗚咽までは止められない。
誰にも見せない、誰にも聞かせない。この暗闇の中でだけ露わになる妻の全ては、秀樹だけが独占できる宝物だった。
……だが。
行為の余韻に浸る静寂を、枕元のスマートフォンの通知音が無粋に切り裂いた。
暗闇に浮かび上がったのは、『高島内閣!異次元の積極財政を決定!』というニュース速報。
それは輸入業を営む彼らにとって、制御不能な円安――すなわち死刑宣告を意味していた。
堅牢に見えた硝子の城に、音もなく亀裂が走り始めていた。
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