クール系伯爵令息の婚約者ですが、突然心の声が聞こえたらギャップが甘すぎて毎日寿命が縮んでます!
あ、これ転生してる――。
私が前世を思い出したのは、学園の中庭で彼女を見たときだった。
淡いピンクの髪に、エメラルドグリーンの瞳。優しく微笑む彼女。
――見間違えるはずがない。
彼女は、私が前世で遊んでいた乙女ゲーム
**「運命の学園と禁じられた恋のレガリア」**の主人公だった。
その瞬間、同時に自分の立ち位置も思い出した。
モブ中のモブ。
男爵家の娘、セリーヌ・バルネール。
そして――攻略対象の一人、侯爵家のクール系男子ルシアンの婚約者。
ルシアンは、灰色の短髪を真ん中で分け、ゆるくウェーブした髪を横に流している。
その柔らかな髪が彼の整った顔立ちを際立たせる。
セリーヌより頭二つ分も背が高く、無駄のない筋肉が服越しに分かる体つき。
近くに立たれると影が落ちて、息が詰まるような迫力がある。
氷のように冷たく、私に対しても必要最低限の言葉しかかけない。
けれどゲームでは、ヒロインと出会ったことで少しずつ心を開き、
最後には「僕の心は君のものだ」と笑顔で告白する。
……そう、私はヒロインに嫌がらせをする悪役令嬢ですらなく、
ただの婚約者として、あっさり婚約破棄される役回り。
……いや、モブだから仕方ないんだけど!
しかもその後の私は、どこでどうなったのか一切描かれない。
分かるのは、ルシアンとヒロインが幸せに暮らしました、ということだけ。
前世で私はこのルシアンルートだけ、クリアできなかった。
三周も挑戦して、全部ノーマルエンド。
反応が薄すぎて、好感度が上がってるのか全然分からなかったのだ。
そして今、現実の学園にヒロインのフィオナが入学してきた。
彼女はあのころ画面越しに見ていた通り、明るくて奔放で――。
もうすでに、学園中の視線を集めている。
攻略対象者は全部で六人。
もし、彼女がルシアンを選んだら……
私は確実に婚約破棄される。
前世では途中で諦めたルシアンルートが、今、現実に動き出している。
――私、この先どうなるの?
****
自分の行く末に不安はある。
けれど、フィオナが学園をひっかき回す様子は、見ていて正直ちょっと楽しかった。
特に、大臣の生意気令息に言い返したときはスカッとした!
あの人、少しでも気に入らないことがあるとすぐ
「僕の父は大臣だぞ!」って騒ぐから、前世の私も何度画面越しにため息をついたことか。
フィオナのスパッとした一言に、思わず拍手したくなった。
それに、攻略対象とヒロインのイベント発生ポイントを知っているのは便利だ。
まるでゲームを実体験しているみたいで、ドキドキする。
――そんなある雨の日。
学園の出入口付近に、フィオナの姿を見かけた。
どうやら傘を忘れたらしく、馬車のある場所まで走ろうか迷っているようだ。
(傘に入れてあげようかな)
そう思った瞬間、彼女のそばに近づく長身の影があった。
ルシアン。
私はとっさに物陰へ身を隠す。
そして思い出した。
――これ、最初のルシアンイベントだ!
冷たいルシアンが、ヒロインを傘に入れてくれる相合傘イベント。
画面いっぱいに近距離のスチルが出て、ドキッとしたっけ……。
別れ際には選択肢が出て――
「ありがとう」「優しいんだね」そして、三つめは。
二人は肩を寄せ合い、一つの傘の下で歩き出す。
(あっ、行っちゃう!)
思わず私は傘で顔を隠しながら、こっそり後ろをつけた。
二人の間に会話はない。
けれど、距離が近いせいか、妙に親密に見える。
馬車まではすぐだ。
そして別れ際。
フィオナが、隣のルシアンを見上げる。
「……照れているの?」
その一言で、ルシアンがわずかに動揺したのがわかった。
持っていた傘がかすかに傾き、彼の顔が見えた、
頬が、ほんのり赤い。
(うそ……あんな反応、前世では見たことない)
もしかして、もう好感度が結構上がってる……?
胸の奥がざわつく。
なんとなく、それ以上見ていられなくて、私は駆け足で二人の横を通り過ぎ、自分の馬車に乗った。
窓の外を覗くと、ルシアンがちょうどこちらを見ていた。
慌ててカーテンを閉める。
心臓がばくばくと鳴って、落ち着かなかった。
****
翌日は、ルシアンの家でお茶をする日だった。
婚約者として、定期的に開かれるお茶会。
――そして、いつも通り、会話はない。
テーブルとイスがセッティングされた庭園で、周りには執事やメイドが控えている。
今日も、ティーカップが触れ合う音だけが響く。
(……やっぱり冷たいままなんだよなぁ)
昨日、フィオナに傘を差し出していた時の彼が、夢だったみたいに思える。
執事が気を利かせて「お二人でお散歩でも」と提案してくれたときは、心底ホッとした。
あのまま向かい合って座り続けるのは拷問に近い。
外はよく晴れていて、昨日の雨で潤った花たちが輝いている。
私はルシアンの後ろを歩き、やがて庭園の奥のガゼボへ向かった。
「座ろう」
促されてベンチに腰掛けると、ルシアンも隣に座る。
白いガゼボの柱越しに見える庭園はとても綺麗だった。
思わず笑みがこぼれる。隣に「綺麗だね」と言ってくれる人がいなくても、別にいい。
――その時。
『可愛い』
耳元でささやかれたような気がして、私はびくっと肩を震わせた。
「えっ?」
「……なんだ?」
ルシアンがこちらを見る。
(今、可愛いって言った……よね?)
とっさに話題を探して――
「お花、可愛いですよね」
自分でも苦しい言い訳だと思った。
案の定、ルシアンは無表情のまま「さぁ」とだけ答える。
――なにそれ、冷たっ。絶対言ったのに……どういうこと?
あの声は、間違いなくルシアンだった。
『君の方が可愛い』
(……っ!?)
私は勢いよくルシアンの方を向いた。
けれど彼は無表情のまま、遠くの庭を眺めている。
(いやいやいや、ルシアンがそんなこと言うわけ……)
「あの……」
『っ、またこちらを見た!……か。可愛い』
――また聞こえた。
ルシアンの声、だけどルシアンの口は動いていない。
(何これ……私、幻聴でも聞いてる?)
ルシアンは不意に立ち上がった。
「戻ろう」
私は慌てて後を追う。
もう、さっきのような声は聞こえない。
(気のせい……だったのかな……)
その後、最後まで何も会話のないまま、お茶会は終わった。
けれど、胸の鼓動は帰り道まで落ち着かなかった。
前世でプレイした時、ルシアンに「可愛い」なんてセリフはなかったはず……。
声の正体は結局分からないまま、週が明けて学園が始まった。
そしてお昼。
食堂で、フィオナと攻略対象者たちが一緒に昼食をとっているのを見かけた。
いつもは王子やルシアンたちは二階の特別席にいるのに、今日は一階のテラス席だ。
フィオナは相変わらずの手作り弁当持参。周りの王子たちが「美味しそう!」と言うのが聞こえた。
彼女が「はい、どうぞ」とおかずを差し出し、隣のルシアンがそれを受け取って口に運ぶ。
何を言ったのかまでは聞こえない。
けれど、フィオナがぱっと笑顔を咲かせた。
――ああ、きっと「美味しい」って言ったんだ。
胸がずきんと痛んだ。
以前、私が焼いたクッキーは食べなかったのに……。
もう一度テラス席を見ると、ルシアンと目が合った。
私は思わず目を逸らし、急いで食堂を出た。
走って、人気の少ない廊下まで来た。
「うっ……ひっ……うぅ……っ」
せきを切ったように涙がぼろぼろこぼれ、声にならない声が喉から洩れる。
あのまま食堂にいたら、みんなの前で泣いてしまうところだった。
フィオナとルシアンの楽しそうな光景が、まぶたに焼き付いて離れない。
その時、足音が駆けてくるのが聞こえた。
「セリーヌ!」
肩を掴まれて振り向くと、息を切らしたルシアンが立っていた。
私の顔を見て、目を見開く。
『なんで、涙なんて……!誰かに何かされたのか!?』
――まただ。あの声。
「なぜ泣いてる?」
「ルシアン様には関係ありません」
私は思わずルシアンの手を振り払った。
「関係なくないだろう! 私は君の婚約者だ」
婚約者、ですって……!?
あんなに楽しそうにフィオナの弁当を食べておいて、まだそんなことを言うの?
「……フィオナ様の料理は召し上がるんですね」
「何?」
「以前、私がクッキーを作った時は召し上がらなかったのに……彼女の手料理は召し上がるんですか!?」
また涙がこぼれる。
クッキーは、純粋にルシアンに喜んでほしくて作ったものだった。
受け取ってくれた時は、本当に嬉しかったのに。
後日、彼は冷たく「食べていない」と言い放った。
やっぱり私は、親に決められただけの婚約者にすぎないから。
その日を境に、私は彼に特別な感情は抱かないようにした。
「私のが迷惑だったなら、そう言ってくだされば――」
「違う!!」
ルシアンが私の両肩を強く掴んだ。
『もったいなくて、食べられなかったんだ!』
「えっ……?」
『ずっと大事に部屋に飾っておいたら、弟たちが見つけて全部食べてしまったんだ!』
「弟たちが、全部食べてしまったんだ……」
――今、同じことを言った。
幻聴じゃない。
これ、本当に……ルシアンの心の声なんだ。
「だから、食べてないし、味は分からないと答えた」
『本当は、俺が全部食べたかった。セリーヌの手作りクッキー……』
「そんな……」
よく見ると、ルシアンは少し眉を寄せている。
悲しそう……に見えなくもない。
もう、本当に……分かりづらいよっ!!
こらえきれず、また涙があふれた。
ルシアンは慌てた様子で、ハンカチで私の涙を拭ってくれる。
『俺が悪かった』
『でも、泣いても可愛いな……』
『涙が宝石みたいにきらめいて、綺麗だ』
……甘いよ。甘すぎる。
この人、心の声だとキャラが全然違う!
それからも、ルシアンに触れていると心の声が聞こえるようになった。
相変わらず無口だけど、心の声は――
今日のお茶会の別れ際、手の甲にキスをされて。
「また学園で」と口で言いながら、
『愛している』と心で囁く。
聞こえるのがルシアンの心の声と分かってから、私は彼といるだけでドキドキするようになった。
顔も熱くなるし、恥ずかしいしで、私はルシアンにキスされた手をすぐ引っ込めてしまう。
ぱっと手を離されてルシアンは目を見開くが、私の顔を見て、少し微笑んだ……ような気がした。
学園でヒロインたちと行動しているのは、よく見かけるし、少し胸がざわついたりもする。
けれど、心の声では『行きたくないのに、王子たちに「ルシアンも来い!」と言われて仕方なくついて行ってるんだ……』と言っていて、安心したりもする。
でも、今一番気になってるのは――
『俺は君しかいらない』
『もっと一緒にいたい。俺の女神』
『もっと俺のことを見てほしい』
『君の瞳はブルーサファイアのように輝いて美しい』
心の声が甘々すぎやしませんか――!?
ヒロインとルシアンのストーリーは続いているし、イベントも起きている。
どうなるかの結末はまだ分からない。
でも、悪い結末にはならない気がした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
ブクマ、評価などして頂けると励みになります!コメントなどもお待ちしております!