0.8.0.xx ある男の始まりの日
男には“前世の記憶”があった。
はっきりと自覚したのは、恐らく学生の頃だろうか。
この問題見たことがある、この単語の意味を知っている、そんな既視感が積み重なった結果だろう。ある日突然、今まで半刺しだったケーブルがカチッと刺さったように、自分は転生したのだ、と理解した。
だからといって、何かが変わる訳でもない。
前世と同じくらい、いや、1歩先を行く文明では、自分の持つ知識は時代遅れであまり役には立たない。そもそも、なにかに貢献できるような専門的な知識など記憶にはなかった。
まぁそれでも、成熟した精神と人生経験は中々のアドバンテージだった。
今では、真っ当なホワイト企業に就職し、悠々自適に暮らすことができているのだから。
そんな男には昔から変わらぬ趣味が1つあった。ゲームである。
据え置きで出るようなメジャータイトルから、ワンコインで買えるようなインディーゲームまで、自分でプレイするのはもちろん、動画や配信で人のプレイを見ることも好きだった。
故に、積極的に新しいゲームを求める男がユービキアスなるゲームに目をつけたのは必然であった。
とある動画を見ている時に挟まった1本の広告。
─広大で美しい、ファンタジーな世界へ転生してみませんか?─
風景、街並み、戦闘シーン。ありがちな謳い文句と共に、よくあるゲームの画面が映し出される。
一瞬見えた、桜の木と稲穂が混在するチグハグな光景には思わず鼻で笑ってしまった。
しかし、グラフィックはかなり良さそうだ。災害前の資料から作られたであろう木々は、本物を知っている男から見ても相当リアルな出来に見えた。まあ、画面越しなので実際のところはどの程度か分からないのだけれど。
そんなこんなで興味を惹かれた男は、“先行プレイ参加者募集中!”の文字を見つけると、すぐさま応募したのであった。
──────
1度目の衝撃はすぐに訪れた。
転生ものでよくある神様との二者面談を終え、“ごん”と言う名の狐獣人のアバターで地上に降り立った時。
“大丈夫か”
そう声をかけられ、目を開いたその瞬間から視界に映る、風に乗って舞う花弁。鼻腔をくすぐる甘い花の香り。
男の中で燻っていた“記憶”が優しく、しかし乱暴に揺すり起こされた。この世界では意味の無いものだ、と割り切っていた。そう、割り切っていたはずだった。
頭では分かっていても、郷愁は男の眼からはらはらとこぼれ落ちる。
あの頃は当たり前に傍にあった光景が、もう二度と目にすることは無いと思っていた光景が、目の前に広がっている。
ポロポロと涙を流す男に、慌てたNPCが、“ここは危ないぞ”、“街へ行こう”と促してくるが、男の頭はかけられる言葉の意味を半分も理解していなかった。
けれど、ついて行かなきゃ進まないやつだコレ、と言うことだけは頭の何処かで分かっていたので、牛のような大男に慰められながら、歩みを進めることにした。
──────
ぼやける視界で薬草を採り、魔物と戦い、スライムを仲間にし、幾分か冷静になり始めた頃。
たどり着いた桜の街で、2度目の衝撃を受けた。
総合ギルドへ向かう道すがら漂う、焼ける醤油の香ばしい匂い。
涙腺が緩みきっていた男は、またもほろほろと涙をこぼす。
その匂いに釣られるままに足を踏み出そうとすると、やんわりとNPCに止められた。
“大丈夫だぞ〜先に身分証作ろうな〜そしたら自由に歩き回っていいからな〜”
若干メタい慰めを受けながら、ギルドへと誘導される。せめてこの香りだけでも味わおうと、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
歩き回れるようになってからは、すぐさまその匂いのする方へ向かった。
その匂いの出どころはすぐに見つかった。立ち並ぶ屋台の中に、おにぎり屋があったのだ。よく見てみると、鉄板の上では醤油や味噌を塗った焼きおにぎりが作られている様だ。
焼きおにぎりといえば網焼き、と言う固定観念のあった男は、やはり作りが甘いのだな、となんだか微笑ましい気持ちになった。
この時の男はまだ、このゲームの中で食事がとれるとは一切考えていなかった。
……仮に、NPCの誘導を振り切り、匂いに誘われるまま屋台の方へ向かっていれば、衝動のままおにぎりを買って貪っていただろう。だが、男はそうはならなかった。
間に写し身の石作りを挟んだことで、いくらか冷静になってしまった頭では、“ただの背景だろう。”と諦めの滲んだ視線を向けていた。
VRゲームは数あれど、今まで1つとして“本格的なご飯”が出てくる、そんなゲームは無かったのだから。前世ならいざ知らず、食事がサプリの数粒で済んでしまう今世だ。食への関心がないのも頷ける。
故に、この後遭遇した『ケーランボーロを“食べる”』というクエストも、使用する、を洒落た言い回しにしているだけなのだろうなと思っていた。
もっと精神的に若ければ、思い切って口に含んだりしていたのだろう。しかし男は大人であった。
悲しいかな、普段は有利に働く過去の経験も、この時ばかりは保守的な考えとなって足を引っ張るのであった。
ま、結局のところこの時の考えは全て覆されるのだが。1時間もしないうちに。
───
つつがなくチュートリアルを終わらせた先で3度目の衝撃と出会う。
“わっ。” “おっと。”
ぐ、と押し返されるような感覚。これは他のゲームでもよくある、接触制限のようなものだろう。
ぶつかったのは白い綿毛のような服の少女。黄色いザンバラな髪を見るにたんぽぽ擬人化と言ったところか。
こんなキャラも作れるのだな、と頭の先から足先まで一瞥……出来なかった。
彼女の手に持っているものを見て時が止まる。
おにぎりである。2、3口は欠けているが、粒感のある白い塊は、間違いなくおにぎりだ。
欠けている、つまり食べられている。
あれは背景などではなかった!間違いなくこのゲームに存在し、しかも食べることが出来るのだ!
彼女がNPCであるという考えも、浮かばなかった訳ではない。しかし、その考えにたどり着くよりも先に、口から言葉が飛び出していた。
“お、お、おにぎり!?そのっ、おにぎり何処でっ!!??食べれるの??!!”
今にも飛びかからん勢いで詰め寄る男。しまった!と思うがもう遅い。
しかし幸いにも、少女は気を悪くした様子もなく、ぱ!と花が咲くように笑みを浮かべ、
“美味しいですよ。あっちの通りにある屋台で売ってました。”
と、親切にも道を示してくれた。
“ありがとうございます!!!!”
その言葉を聞くと、お礼もそこそこに男は駆け出した。
ジャパニーズ・ニンジャスキルでぬるりぬるりと人の合間を抜け、強化された鼻をいかし、おにぎりの匂いをたどる。
そして──見つけた。
“お、おにぎり下さい!”
“あいよ!1つ5石ね!”
買えた……!手の中に小さなおにぎりが鎮座している。
そっと口に運ぶと、舌先に触れた瞬間、ピリッとした塩味が広がる。口を閉じればほろりと崩れ、咀嚼するごとに甘みが増えていく。
歓喜の涙を流しながら男は思った。今までの人生で足りなかったのはこれだ、と。
前世の記憶とともにあった、ポッカリと空いた心の隙間が満たされていくのを感じる。
しかしまあ食べづらい……狐のマズルでは咀嚼が難しい。もっと人間に近い顔立ちにすれば良かったと、少しだけ後悔した。
1つ、もう1つと注文して食べていると、
“悪ぃね兄さん、1人5個まででって決まってんだ。もっと食いたかったらまた明日来てくれや。”
ストップがかかってしまった……
あまりのショックに震える膝を抑えながら、え、じゃあ焼きおにぎりは?と聞くとそちらは買える模様。なんとか持ち直した。
しかも、泣きながらおにぎりを貪る様から一連の流れを見ていたプレイヤーが、哀れみからか、わざわざ購入して譲ってくれた。
そこまでされると、男は流石に冷静になった。慌てて断る……のも失礼なので、1つずつ拝借した。食べたかったから断りきれなかったのもある。
落ち着いてあたりを見渡せば、クレープに焼き芋、オムレツ……様々な食品の屋台が目に入る。どれもこれも美味そうだ。これらもきっと食べられるのだろう。
いやはやしかし、貰いっぱなしじゃきまりが悪い。
なので、何か奢らせてくれと頼むと、じゃああれがいい、これが好きだ、と皆して美味いものを教えてくれる。手始めに、“からあげが食いたい”というリザードマンのような少年についていくとしよう。
そうして腹いっぱい、いや、胸いっぱい食べた男は、明日も必ず来ようと決意してログアウトするのであった……




