第68話 真情・3
「セレナが前に、前世の最期の時のことを覚えてるって言ってたの、覚えてる?」
ルドルフが私の指の向こうで、無言で頷く。
「私にも、前世の最期の記憶、あるの。私の場合は、他人の痴情のもつれで、その場にいたという理由で巻き込まれて刺された。それで終わり」
ルドルフが息を呑むのが見えた。それでも驚きというよりは、納得という雰囲気だ。私の心配性のことをよく揶揄していた。セレナの話はルドルフも聞いていた。だからある程度は察していた部分もあっただろう。私はそれを感じ、少しだけ安心した。
こんな話をしたら、ルドルフを動揺させるとずっと思っていた。だけど、ルドルフは今や青年で、私が思っているほど子供じゃない。幼かったルドルフが、という寂しさはあるけれど。頼れるということは、思っていたよりも悪いものじゃないのね。
「そんな最期だったから、自分が悪役令嬢かもしれないと気づいた時には、また巻き込まれるんだって自暴自棄な気持ちしかなかった。誰かに振り回されるのは嫌だったの。恋愛なんて、絶対にしたくなかった。そういう感情や『運命』は、私にとっては不幸の呼び水でしかない。否定してた。でも、私は自分が振り回されない事ばかり優先していたから。その分、お前のことを振り回していた。ごめんなさい。自分がされて一番嫌なことを、お前にしていたわね……」
ルドルフは首を横に振る。いつの間にか、その頬を伝っていた涙は乾いている。私はルドルフが持ち直したのを嬉しく思い、同時に、そう思う相手に対して酷いことをしていた後悔をひしひしと感じていた。
「このことに関しては、許されるとは思ってないわ。前世の記憶も、獣人である自分が受容できなかったのも、悪役令嬢だって認識も。全部私の理由。そういえば、セレナにも言われたっけ。どれもお前には関係ないから切り離して考えなさいって」
私の言葉に、ルドルフは目を伏せた。私は、その仕草に悲しくなる。しかし、まだ話すべきことは終わっていない。私が気にしていて、自分だけではどうしようもなく諦めていたことを、ついに話す。
あのハイエナにも言われてたわね。本当に、こんなことまで話すべきなのか、もう分からなないけど――
「それから、お前が気にしている身分のことだけど。お前は正しいわ。私は本心では気にならないと思っている。もちろん、お前のことを良いように使うこともあるけど。だって、前世にはこんな身分じゃなかったもの。私はそういう社会も知っている……いいえ、前世なんて関係ないわね」
私はさっきから言い訳がましく話している自分にほとほと嫌気がさしてきた。前世なんて、この世界に生きている私とルドルフには関係ない。
だって、全部私の、それとセレナの頭の中の妄想なだけかもしれないし。
私は傷のついた手のひらをそっと握り締め、言葉を絞り出した。
「ごめんなさい。私は私やお前がどうかじゃなくて、私は、いつも周りの貴族のことを考えてた。お前の言う通り、見栄っ張りね。それに、これだけは事実、私がどう思うかで終わらない。お前が私の番になれば、貴族たちの間で傷つくことになるのも、気づいていた。それで結局、身分を理由にして、逃げていた。それを強調しすぎていたわ。それがあんなにお前を傷つけているとは思っていなかった。ごめんなさい」
私はついに、ルドルフの前に掲げた指を下げた。あまりに一気に話したので、少し疲れた。この後に続く、悪い話を聞くのには、立ったままでは辛すぎる。私は自分のベッドに座った。
「呆れた? 前に、全部ひっくるめて私のことを好きだと言っていたけれど。本当にこんなところも含めての、全部なの?」
もう、ルドルフの顔を見ていられない。否定されるのが分かっていることは、辛い。私は目を伏せ、ルドルフの答えを待つ。
ややあって、瞼の向こうで、ルドルフが口を開いた。
「……お嬢、今俺が何考えているか分かる?」
「いいえ。想像もしたくないわ」
「多分お嬢の思っているようなものじゃないよ」
目を伏せていると、ルドルフが隣に座ってくる。寝台が揺れ、バニラの甘い匂いが鼻をうつ。目を開け、顔を見る。その表情は、私の想像していたものとは全然違った。
「俺は、嫉妬深いから。正直、お嬢からこう言う話を俺より先に聞いていた王女様やセレナ様への嫉妬でいっぱいだよ。でも、ついに俺にも話してくれたのは嬉しい。とも思ってる。前に言ったでしょう。お嬢の心が欲しいんだって。その一部を教えてくれて、俺は嬉しいよ」
「…………」
「俺にとっては、そういうものも全部含めてお嬢だし。確かに振り回されるのが続くと辛いけど。それでも俺はこんな時にも嫉妬するくらい、お嬢が好きなんだよ」
あまりに私にとって都合が良すぎる答えに、私は絶句する。
嬉しい。嬉しいが、喜びよりもなおいっそう絶望も感じる。自分への信頼がない。今はこうやって愚直に話が出来ているが、私の生来の性格は、こんなに素直じゃない。もうほとんど消えかけている前世の記憶の中の自分だって、ルドルフやセレナのような素直なタイプでは決してなかった。好き避けをしていた時のように、どうせ馬鹿な真似を繰り返してしまうであろう自分への失望の方が大きい。この分ではルドルフを傷つけ続けることになってしまう。
優しい眼差しでこちらを覗き込んでくるルドルフの目から逃れるように、私は頭を抱えた。
「見る目がなさすぎるわ。だって、どう考えても不幸になる相手じゃない」
「お嬢ならいいよ」
「私がお前の姉か母親なら、絶対に薦めない。叩いてでも止める相手だわ。どう考えたって私なら選ばない。正気じゃない。お前、変だ変だとは思っていたけど……」
私の沈み切った心からの吐露を、ルドルフは吹き出すように大きく笑った。
「そりゃあね。子供の時に死にかけている時に、命を拾われて。しかもその女性が自分の『運命の番』。お嬢は俺にとってはその時々で全部役割が違って。母親で、姉で、家族で、片思いの相手でもあって。主人で、信頼のおけるビジネスパートナー。しかも強くて、優しくて、繊細で。性悪で、露悪的で、乙女なロマンチストで。おせっかいのくせ、必要以上は踏み込まない。そんなの、頭だっておかしくなるよ」
頭を上げると、自分の目から涙が落ちた。ぼたぼたと大きな雫の垂れた跡が、膝の上に広がっていく。見かねたルドルフが、私に手を伸ばす。
その手に、嫌な記憶がフラッシュバックした。
「――、やっ」
硬直した私に、ルドルフも固まる。お互いに無言で見つめ合う。なぜ私が手から逃れようとしたのか、私もルドルフも、気づいている。しかし、その手は私がずっと欲しかった手であることは分かっていた。空を切った手を掴み、私の輪郭に沿わせる。
温かい指は、私の涙を掬った。
「馬鹿! ……なんで、あの夜、私が泣いた時に、これをしなかったのよ!」
泣きじゃくりながら、私はついに、声を上げた。
「好き。お前のことが、好き。好きよ。……なのに。多分ずっと、好きだったみたい、なのに。あの日、私のことあんな風にフッて」
「みたい、って」
喚く私をルドルフは抱きしめた。ルドルフの胸に顔を押し付けて、私はぐすぐすと泣く。ぎゅうぎゅうと強く抱き寄せるルドルフは嬉しそうに笑った。
「お嬢は、可愛いね」
何がおかしいのよ。なんで、こんな男のために、私は泣いているのかしら。
背に回した手で爪を立ててせめてもの反抗を示す。爪が布を擦る音がたっても、ルドルフは私を離さない。腕の中は、バニラの甘い匂いがして、くらくらする。
ルドルフの顔を見上げると、とろけた目と視線がぶつかった。
「お嬢、首、噛んでもいい?」
「……今度は、ちゃんと断ったわね」
ルドルフには分からなかったらしいが、私は完全にヘソを曲げている。止まらない涙を流し続けながら、ルドルフへ顔を顰める。すると、ルドルフはやっと私の心を理解したらしく、子犬のように目を潤ませた。
「なんで?」
「いくらお前が私を好きで、私がお前を好きだとしても、タイミングが悪すぎるのよ。私はまだ女性相続人にもなってない。それに、外聞のことはどうしようもない。考えてもみなさい――」
そこまで言いかけて、私はある事実を思い出した。
……そう言えば、私が知っていてルドルフが知らないことは、もう一つあったわね。それなら、本当は外聞も何もないのと一緒なんだったわ。
涙を拭い、ルドルフの腕の中でしばし考え込む。私が思索をしているうち、ルドルフが捨て犬のような顔になった。その情けなさに、私はついに譲歩することを覚える。
現状、ルドルフの機嫌を直すために思いついたのは、一度成功した方法だけだった。
「今は、これだけにしておきなさい」
ルドルフの頬に手を添える。するとルドルフは私が何をしようとしていたのか分かったらしい。私の手を握り、覆い被さるように私を抱き寄せ、勝手に口付けを落とした。
「……やっと、お互いにまともな状況のキスね」
何を正式と言うかはさておき、まともなキスであることは間違いない。
それに、正式と言えばあの話があったわね。
「ところでルドルフ、お前知っていた?」
先ほど思い出した事実を告げるべく、ルドルフを揶揄うように質問する。ルドルフは全く心当たりがないらしく、明るい顔で身体をくっつけてくる。
「何を?」
ルドルフ押し除けながら、これから言うことを聞いたら、その顔がどう変化するかを私は予想する。そして、私は皮肉に笑った。
でも、あの状況で嫉妬するレベルの男なら、考えるまでもないわよね。
「お前、前に私の首を噛みかけたでしょう。その時に、お前の歯が掠っていたの。だから、正式な番じゃないらしいけど、お前、私に唾つけ、してるみたいよ?」




