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第66話 真情・1

 寝る前に、庭に面した窓を閉める。庭のどこかで金色の目が光らないかと少しだけ期待するが、どれだけ待ってみてもその期待は叶う気がしない。


「帰ってきたら、それこそ、私のところへすぐ来るはずだもの……」


 私は貴族の身分だから早々に解放されたものの。詳しく話を聞く為、と騎士団に連行されたルドルフはまだ帰ってきていない。

 窓辺から離れ、寝台の横のチェスト以外の灯りを落とす。眠れそうにない。どうせ、暗い部屋の中でまんじりとして朝になるまでを待つことになる。なら、小さくとも明かりがついている方がまだ精神的にも良い。

 ベッドに寝転がり、私はため息をついた。ベッドの天蓋をみながら、ぼんやりと今までのこと考える。セレナに会った日もといルドルフが私を噛もうとした日、婚約解消の日、殿下がセレナを噛もうとした日。今までにとんでもない日というのは何度かあったが、今日ほどじゃない。

 人生で一番長い一日だった。私は被害者だと言うのに騎士たちに仔細を問い質され、何度もルドルフのことを赤の他人に『運命の番』だと説明させられた。家に着けば両親には報告を求められ、ルドルフが連行されたことでヴァイパーにも説明をして、家政婦長には泣きじゃくられ、学園での話を聞きつけて馬車で屋敷に乗りつけたセレナを宥めて……。

 そうこうするうち、もう真夜中はとっくにすぎている。朝の方が近い時刻だ。

 これ以上は、考えていても仕方ないわ。悔しいけど、私ではどうにも出来ないもの。


「お父様がどうにかしてくれるはずだけど、貴族間の取り決めや調整ばかりはどうもダメね。まずあの輪に入れないもの。結局、この世界は恋愛物語のためのドラマチックなことが起こる世界であって、私が安寧に生きるためのための世界じゃないんだわ」


 改めて、男性中心の貴族社会には私の入り込む隙なんてない。好き好んで入りたいわけじゃないけど。とても無力だわ。私が侯爵家を継いだら、どうなるのかしら。

 お父様は私の話の後すぐに調()()のために出かけて行った。万が一にルドルフが酷い扱いを受けていたら、侯爵家としても抗議すると約束してくれた。しかし、貴族相手に過剰な防衛だったと言われたら厳しい。今までの手紙という証拠はちゃんとあるし、殿下や王女殿下も証言してくれるなら、陛下は公正な判断をしてくれるはずだとは思う。

 両親や周囲には迷惑と心配ばかりかけて、とんだ疫病神ね。


「…………」


 考え込んでいた私は、誰かが部屋の前に立った音ではっとした。私が上体を起こすのと、ゆっくりと開いたドアから銀色の頭が見えたのは同時だった。


「ルドルフ!」


 今夜帰ってこられた、ということは、そういう事だ。

 明るい声を上げた私とは対照的に、ルドルフの顔は暗い。私のいる寝台から遠く、背中の後で閉めたドアの前から全く動かない。

 

「旦那様と、ライオネルと王女殿下がどうにかしてくれたみたい」


 思った通りにことが進んだことに、私は安心して微笑んだ。


「よかったわ。お父様とお二人には感謝しないと」

「……そうだね」


 ルドルフは晴れて身の潔白が証明されたと言うのに、浮かない顔をしている。今となっては可愛らしい事件でしかないが、いつぞやのネックコルセットに針が入っていた時の帰りの馬車のようだ。しかし、あの時よりもずっと酷い。

 どうにか空気を変えられるような言葉を探すが、怒りの興奮で暗くなっている金の目を見ると、言葉が出てこない。結局、相手をろくに気遣うことも出来ず、その時と同じ質問を私は投げた。


「まだあのハイエナに怒っているの?」


 拙い私の問いに、ルドルフははっきりと言葉を紡いだ。


「それもそうだけど……自分の不注意や無力さにも怒ってるんだよ」


 吐き捨てるようにそう言う。あの時は私の顔を見て、すぐに切り替えようとした。しかし、今のルドルフにそんな余裕はないらしい。苛々を隠せず、私の目を見もしない。

 

「そこまで自己嫌悪するようなこと? 私もお前に黙っていたわけで――」

「だって、もし間に合わなかったら、お嬢は、」


 ルドルフの言葉がそこで途切れる。お互いに、想像もしたくないようなことを言葉に出来ず、沈黙が流れる。私はそれでも、結果を強調したかった。


「でも、お前のおかげでそうはならなかった。残念だけど、そういうエンドがあった。そうじゃなくとも、ああいうことは女性相続人にはよくあることだって、ヴァイパーたちも言ってたじゃない。だから事故のようなものに遭ったと思うしかないわ。きっと、悪役令嬢なら、助かるだなんて幸運な部類だわ」


 言い終わった後で、しまった、と思う。ルドルフを怒らせるような答えをまたしてしまった。それに、自分の言葉ながら、言っておいて自分でも傷ついたのにも気が付く。自分の黒髪を弄りかけていた手を止め、私は自分を軽視する自分に愕然とした。

 ……いくら悪役令嬢の役どころだったとして、そんな報いを受けて当然なことなんて私はしていない。ある意味で殿下の恋路の邪魔はしたけれど。ヒロインであるセレナに協力さえすれ、虐めたり、貶め傷つけたり、今日私に起こったような酷いことをしようとしたりしていない。そんなこと甘んじて受けるような罪は犯していない。

 悪役令嬢ということに、私は準備と反抗はしていた。しかし、思えば、なんだかんだとその役割だけは諦めるように受け入れていたような気もしなくはない。

 悔しいけど、あのハイエナの言う通りだわ。


「お嬢は、あんなことでも――」


 顔を上げたルドルフは、やはり怒り心頭の表情だ。思えば、私以上に、私が理不尽な運命を背負っていることに怒りと疑問を持っていたのは、いつでもルドルフだった。


「とは言えど。流石の私でも、今回のことは些細だなんて言わないわ」


 そうよ。私、こんな運命とやらに、今以上に怒っても良いんだわ。いえ、もっと怒るべきだった。それなのに、きっと私はずっと自分を蔑ろにして嫌なものを不本意ながら受け入れていた。そんな自分に対して、私は密かに怒っていたのかもしれない。


「本当に今更だけど、怒りが湧いてきたもの。やっと安心したからかしら。ずっと対処に追われて、振り返る余裕がなかったのね。確かに、最悪の事態は免れられたけれど、しなくていい不幸を経験することは、幸運とは言えないわよね」


 私の言葉に少しだけルドルフの顔つきが和らぐ。

 そういえば、私が初めてちゃんと悪役令嬢のことを説明した時。幼いルドルフはただ一言、『なんで?』なんて不思議そうに聞いてきたわね。確かに、何であんなに勝手に自分で役割を背負い込んでいたのかしら。

『最初から可能性さえ捨てていたのはもったいなかったかしら?』

 前に、ふと思ってしまったことが頭にリフレインする。私は自分が無意識のうちにふっと笑っていたの気がついた。


「でもね、それはお前がくよくよと思い悩むことじゃないわ。だって、お前は私を助けてくれたじゃない?」

「……助けられてなんか、なかったよ」


 そう返事をすると、瞬きをしたルドルフの瞳からぽろりと涙が溢れた。ルドルフは自分の涙に驚いた様子で、慌てて私から顔を背けた。そのまま、部屋から出てきそうなルドルフを、私は手を叩いて振り向かせる。


「ルドルフ、こちらへいらっしゃい。話をしましょう」

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