第59話 初心
なんだかここ最近はずっと冴えないわ。匂いが分かるようになってから。いいえ、セレナに会った頃からかしら。それとも婚約解消のあとから? 私が私じゃないみたい。
悪役令嬢の運命という根本の悩みは無くなっても、以前はあった万能感のようなものが無くなってしまったような気がする。何となくの違和感はずっとあり続けていた。
何でかしらね?
何となくルドルフの固い銀色の髪を思い出す。吐いた切ないため息は、思いがけず大きく響いた。途端、同行者が身構えたのを目の端で捉える。
「やっぱりルドルフさんかアスピスさんがくるべきでしたよね……」
そう言って、テーラーは俯いた。私の頭の中を読んだようなタイミング。精彩を欠く脳から慌てて言葉を絞り、私はしどろもどろ謝った。
「ああ、ごめんなさい。一番忙しい時に呼びつけたのに。今のは誓って貴女のせいなんかじゃないわ。近頃、ちょっと色々あって……」
理由にもならないことをべらべらと喋る自分に、閉口する。ここ何日かは物思いに耽るばかりで頭が回らない。
今さっきも数日前のことを考えて頭の中がぐちゃぐちゃになっていたが、それと今馬車に同乗しているハリネズミの獣人は関係がない。ルドルフに分かって貰えないのも、うまく気持ちを伝えられないのも。そんなことは私とルドルフの間の問題でしかない。分かっているのに、気が回らなかった。違う。余裕がなさすぎて、気を回していなかった。
私って本当、自分のことばかりね。余計なことには気がつくのに。
気を悪くさせたテーラーに気を使いながらも、テーラーが結婚をしようともアスピスを未だ『さん』付けで呼んだ方に気が取られたりしている。
そんなこと、テーラーたちの勝手だっていうのに。
私は少しの間目を閉じて、気持ちを切り替えた。
「……殿下たってのご依頼ですもの。我が商会としても、最良のものをお出ししなくちゃ。だから、ドレスなんて興味もないあの二人が居ても仕方がないでしょう? 貴女が行かなくて誰が行くの?」
そうは言ってはみるが、テーラーの表情はまだ固い。
実際、テーラーが来ないことには話が始まらないまでもある。技術職のテーラーと、全ての意思決定が可能な私さえいれば、大体のことは何でも可能だ。
「でも、私なんかが……」
テーラーは俯いたままでそうもごもごと言葉を漏らした。
みんな、どうしてこうも謙虚なのかしら。テーラーの技術やセンスは誰が見たって凄いと分かるものなのに。テーラーにとって、とても大切で、いつでも意識が向いているせいで、理想が高くなるのね。それで、きっと自己評価が低くなるんだわ。それこそ、目で見てはっきりと誰にとっても理解できるものなのに。あの駄犬が分からなかった王女殿下の機微のようなものでは決してないわ。
「…………」
そこまで考えて、私は少し反省をした。私はきちんとそういった評価の言葉をテーラーに伝えていただろうか? 言わなくても分かるだろうと言うのは、確かによく言えば信頼だが、悪く言えば甘えではある。才能のある者や頑張った者は成果物に見合った評価や報酬を受けるべきだ。報酬は絶対にケチったりしていない。しかし、評価はどうだろうか?
『言葉にしてくれないと分からないよ』
不意に、ルドルフに言われた言葉が過ぎる。文脈は違えど、それはどこかで繋がっている気がした。
芸術の理解者のつもりでいたけど、パトロンとしては最低ね。
こんな仕事を任せるのだから、それだけ期待しているなんてことの証明になるのは、私の頭の中の話でしかない。私がテーラーなら状況からそういう風に判断することだろう。しかし、テーラーは私ではない。
言葉を出すのは時に勇気がいる。だから臆病な私は、ある意味で期待していたのかもしれない。長く共に居たんだからそれくらいは分かってくれるだろう、と。きっとそう考えていた。
テーラーに向き直り、ちゃんと評価を言葉にして伝える。今までも言葉をかけてきていたとしても、これから伝えなくていいなんてことはない。
「私なんかが、じゃないわ。ルドルフやアスピスの代わりは私が出来るもの。でも貴女の代わりになれる人なんて、誰も居ないわ。貴女には絶対に来てもらわないとダメよ。お仕立てのご相談なんだから。それとも、私と一緒では困って?」
頑なな仕立物師に少し意地悪を言うと、テーラーはぱっと顔を上げた。
「そんな! 滅相もない!」
「そう? 嬉しいわ。……貴女は私の知る限り、一番の仕立物師ですもの。きっとどのドレスよりも目を引くものを作れるに違いないんだから」
私の言葉に、テーラーは少しはにかんだようだった。私は自分の評価がきちんと伝わって受け入れられたのにほっととしながら、少し気恥ずかしくもなった。
「……別に、今のはお世辞なんかじゃないわよ」
「分かっています。お嬢様が褒めてくれる時は、心からの言葉だって。役不足にならないよう、精一杯頑張ります!」
ようやく明るい声になったテーラーに微笑む。
やっぱり、何でも自分で言ったりやったり出来るよう、自分を強く保っていなくちゃいけないのよ。最近冴えないのは、自分以外に勝手に期待してばかりいるからかもしれないわね。最期の最期は一人で、誰にも寄りかかることなんて出来ないんだから。そもそも、私はひとりでも生き延びられるように、そのために努力してきたんだったわ。どうして甘えてばかり居たのかしら。
転生したばかりの初心を思い出す。
だから、察してくれないのなら、ちゃんと自分の口で言うしかないのよ。
「王族の婚礼衣装を手がけるなんて一生に一度あるかないかよ。期待してるわ」
「はい!」
……まあ、王女殿下には、ドレス以外の意図の方が大事みたいだけど。この馬車はそういうことよね?
護衛のエスコート付きの二人乗りの馬車が侯爵家のポーチへ来た時、私は正直笑ってしまった。王女殿下としてはそれとなく私と話をしてみたい思いが強いのだろう。セキュリティのこともあるのかもしれないが、最小人数で来て欲しがっているのがそこからは見てとれた。少人数となれば、私は出てこなくてはならない。
本当に、可愛らしい方だわ。
先ほどまでぼうっと見ていた馬車の窓。迎えにきた王太子の馬車がどこへ向かっているのか分かっていなかった私は、離宮の屋根が見えたことで納得した。
結婚後、殿下たちは離宮へ住むことになるのね。まあ、成人した王族が離宮へ移るのは珍しいことじゃないけど。殿下と陛下のことを思えば、仕方ないかもしれない。王宮から比べたら手狭でも、側妃を娶るつもりがないから問題ないのでしょうし。
ここへは何度も来たことがあったが、馬車で通り抜けた門の意匠が鳥籠を思い起こさせるデザインになっているのに初めて気が付いた。今更答え合わせをする気は無いが、もし少しでも掛け違いがあったら、殿下はセレナをここへ閉じ込めていたに違いない。
まあ、私も少し間違えばここにいたんでしょうけど。
「テーラー、断言するわ。王女殿下はとても素敵な方なの。きっと貴女は一目で夢中になる。だから、きっと貴女にとっても楽しい仕事になるわよ」
私の言葉に、テーラーは少し微笑んだ。
「私が一番作りたいのは、お嬢様の婚礼着ですよ。そしてマタニティドレスやお子様の産着まで。尻尾を隠すものでも出すものでも何でも。お嬢様が身につけるものは、きっとずっと、私に作らせてくださいね」




