第53話 好き避け・1
前世のことを思い出したのは子供の頃だった。以降、自認は子供ではなくなり、今世には幼少期がほとんどなかった。幼い時分から、転生の事実以外分からない中、漠然とした不安と共に生きてきた。
「お嬢、これはどうしたら良い?」
「……お前に任せるわ」
前世であれだけ真面目に生きていたのにも関わらず、報われなかったのだ。だから、誠実でなくなっても『絶対』の安定が欲しかった。誰も自分の運命なんて知りはしないが、私には異世界転生に関する中途半端な知識があったからこそ苦しんだ。
「こっちは?」
「そこに置いておいてちょうだい」
私の望んだ『絶対』は、手に入れた瞬間から肥大化し、私の意に反して変質していった。遠因となった選択の一つひとつは、その時の私にとって一番正しく、一部を除いて今も後悔はない。しかし後悔はなくとも、安定が欲しい私にとって、変質と喪失は辛いものだった。唯一の救いは、一番失いたくないものが何かがはっきりしたことだ。
そう。何を失いたくないか、今は分かっているのに――
「お嬢、これはこれでいい?」
「……ええ」
揺れていた尻尾が視界の端で萎びるのが見える。しかし私は顔を上げて視線を合わせることすら出来ない。お礼も言わないままにルドルフを下がらせる。
よくない。これは、本当によくないわ。こういうのは、誰も得をしない。それは分かっているけれど、顔を見るとこうなってしまうんだもの!
せめてお礼を、とやっと勇気を出して顔を上げると、すでにルドルフは部屋を出ていくところだった。何と言って引き止めるかを考えるうちに、ドアが閉まる。
「あ……」
私は悲しくなって、深く息を吐き出した。
「……お労しや、お嬢様。まさかここまで、とは思いませんでした。前々からルドルフにはそっけないとは思ってましたが、ご自覚されて悪化するとは」
一部始終を見ていたヴァイパーが、哀れな怪物を見るような目で私を非難してくる。
「うるさいわよ。でも、こうなってからルドルフはルドルフで、なんだかんだ用事を抱え込んでくるし。その度に挙動不審になる私だって辛いの」
「それは冷たくされているお嬢様とお話ししたいからですよ。私は雑務が減って、嬉しい限りですが」
「…………」
「ああ、もちろんご推察の通り。明日以降の学園への付き添いも、ルドルフが手を挙げております」
アスピスがしれっと付け足す情報に、心底がっかりする。想い人と一緒にいる喜びよりもなお、どうせ馬鹿な真似をするであろう自分への失望の方が大きい。この分ではルドルフを傷つけ続けることになってしまう。
自分の執着や好意を自覚したまでは良かったが、顔を合わせた時にルドルフを冷たくあしらうようになってしまった。何日か前まではヴァイパー曰くルドルフは使い物にならない状態だったらしいのが功を奏し、あまり接触することもなかったのだが。それが今はせっせと私と話す機会を増やそうとしている。尻尾を振ってにこにことルドルフが話しかけてくれるのは可愛く思うし、嬉しい。でも、つい冷淡にあしらってしまう。
まさか、この年で、まだ好き避けなんてすると思ってなかった……いいえ、私自身はまだ子どもの年齢なんだから、それくらいするわよ。
そもそも、好きな人と両思いのはずなんだから、私はもっと喜んで素直に受け入れるべきなのだ。年齢だって花の十七歳だ。もっと可愛らしく素直に恋愛を楽しめばいい。でも、それを甘受するには、私の自認やプライドとうまく折り合いが取れない。
「王太子殿下とキールスの第一王女殿下のご婚約が公示されましたから。お嬢様の女性相続人としての公示が出される日も近いかと。ルドルフはお側に控えさせる必要がございます」
「私は別にルドルフじゃいけないなんて言ってないわ。貴方でもいいのよ?」
「アスピスの結婚のために業務を兼ねるよう私にご指示されたのはお嬢様だったと記憶しておりますが。その上で、わがままなお嬢様の側仕えもしろというなら、私も色々と考えますがね」
「はあ……分かったわよ」
まあ、分かったと言ったところで、だけれど。
正直なところ、ヴァイパーにはルドルフとアスピス両方の間に入って調整してもらうことが増えたので、最近はお嬢様という立場ながら頭が上がらない。今まで何も考えずに生きていたところで、急に考慮すべき要素が増えたのは、元と言えば私のせいだ。なので、ヴァイパーの脅しには悔しかろうと基本的に全面降伏せざるを得ない。
それにしても、やはり素直な言動が出来る人にまっすぐ向かって来られると、つい斜に構えて避けてしまう自分がいる。それが好きな人であっても、だ。今まで無自覚だった時は出来ていた距離感が、急に分からなくなってしまった。
私はため息をついた。
戸惑い、気持ちが上下し、切ない。思考と心が乱される。けれど、恐れていたほどではないのかもしれない。飛び降りてしまええば、落下も怖くない。嫉妬さえなければ、恋とは基本的に明るく楽しいものなのだと再認識する。
だからこそ、本当にまずいのよ。早くどうにかしないと、後で悲しい結果になるわ。
自分でもどこかで喜んでいるのだ。何故なら、この好き避けというものは、私がルドルフをある意味特別扱いしていることの証拠になる。意識すればするほど、深みにも恋にもハマっていっているのが分かる。その分、尖り切った自意識が好きな相手を傷つけているとしても。
好き避けって、本当に虚しい結果にしかならないのよね。恋に恋して、そのコミュニケーションは独りよがりで、相手が居ない。繰り返していると、相手にも嫌われちゃうし。
嫌われる、と言う自分の言葉に、自分で傷つく。本当に心が忙しない。私は何度目かのため息をついた。




