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第50話 シフト・1

「いい加減、ご自身で直接渡されたらいかがですか?」


 顔を上げると、ヴァイパーが不服そうな顔をしてこちらを見下ろしていた。私はにっこりと笑い、その鼻先へ今ほどサインした書類を突き出す。

 それが出来たら、とっくにやっていてよ。

 部分的な復帰をしてすぐ、私の従者の役割をルドルフから取り上げ、ヴァイパーに付け替えた。

 だって、あれに合わせる顔がないんだもの。今の私はそこまで厚顔じゃないの。

 ルドルフが以前私のことを避けていたが、今度は私が逃げている。前回、ルドルフと話さねば物事は上手く回らないと、思い知った。私が作り上げた仕組み上、仕方ない。それでも私は、商会や領地のことよりも自分の心を優先してしまった。

 こんな時でもすぐにズルして。本当に自分が嫌になるわ。

 この体制になってからまだ数日しか経っていないのだが、意外とヴァイパーは堪え性がないらしい。いつも通りやや慇懃無礼に、ことあるごと何か言ってくる。


「私はまだ匂いに慣れていないんだから。また人前で変になってしまったら困るじゃない。慣れたら、学園へも戻るんだから。その時にはちゃんと解放してあげるわ」


 まあ、ルドルフの匂いで平気だったんだから、杞憂よ。ただ、私に勇気が無いってだけ。あの夜の蛮勇は、やっぱり匂いと嫉妬で頭がおかしくなっていたに違いないわ。

 流石にこのやり取りを何度もやっていれば、焦れてきたらしい。ヴァイパーは無表情ながらに憐れっぽいため息を大袈裟についた。


「まあ、そのルドルフもここ何日か惚けてばかりであまり使い物にならないんですが。何かあったんですか?」

「そうなの? 検討もつかないわね」


 白々しくも、そう返しておく。ルドルフが惚けている理由には心当たりしかない。私もあの行動は咄嗟だったのだ。あそこまで驚かれるとは思っていなかった。

 それだけ、私の情緒が育ってないと思っていたんでしょうね。馬鹿。私は前世分の記憶だってあるんだから。想定外のことに驚くことはあっても、そういう雰囲気くらい分かっていてよ。

 私もため息を漏らす。

 どうせヴァイパーは、あの夜にルドルフが私のところに来たのも、私が部屋に呼んだのも知っていて、だいたい何があったか見透かした上で言ってきているんでしょう?


「そうですか。何かあった方が、私には都合がよかったんですが」


 さら、と勝手に髪を持ち上げられ、身の毛がよだつ。そこにヴァイパーの望むような痕は残っていないと分かった上での行動。私がその手をぴしゃりと払うと、ヴァイパーは私の心でも読んだかのように、舌をちらりと見せた。


「ああ、苦節何年。やっとお嬢様がご自覚なされたというのに……私の愚弟は、いつも機会を逸してばかりで。困ったものです」

「…………」


 珍しくにまりと笑っているヴァイパーを睨むが、効果はない。


「さて、少し休憩しましょうか。お茶を用意して参ります」


 ヴァイパーは私が目を通した報告書やらの紙束をまとめると、一礼して颯爽と踵を返した。

 こうも言われると、黙るしかない。ヴァイパーが部屋を出ていくのを見ながら、私は椅子に座った背をずるずるとだらしなく滑らせた。誰もいない静寂の中、ヴァイパーの言う()()とやらを心の中でそっと撫でる。

 私は、ルドルフのことが好き、らしい。

 度の合わない眼鏡を外したように、思考のピントが急にあったような感覚。まだ整理はついていないが、違和感はすでにない。というより、私は気づいている。違和感が出るような急激な心変わりではない。認めていなかっただけでこの気持ちは前から持っていた。あの夜、思いが通じるあの感覚というものに、心の奥にあったものが表層に出てきてしまっただけなのだ。

 ……それくらいは流石に、()()()自覚があるのよ。私もそこまで馬鹿じゃないもの。頭の中で点と点は繋がってる。最近の軟禁生活で、頭がおかしくなるくらいには、自分の心に向き合せられたんだから。

 そこまで分かっているからこそ、困惑する。


「いいえ、馬鹿でしかないわね。だって、あれに関して言えば合理的じゃない判断ばかりしてるもの。よく呆れなかったものね。いえ、皆はすでに呆れていたわね……」


 この際、好意については良いことだと思うしかない。実際、自己中心的な私でも自分以外に心を向けていたという事実は、自覚こそなかったが喜ばしい精神的成長の証のはずだ。しかも相手は自分を好いている。障害はない。

 とはいえ、まだ認められない部分はもちろんある。何が私にとって問題かというと、それはその事象が()()()()()()()()()、ということだ。

 ここ数日で、それが結構昔だってことくらいもう分かっているの。分かった上での悪あがきなのよ。だって、そもそもおかしいじゃない。こんな性格の私が最初からすんなり受け入れて、最良の待遇を与えてるのよ? それも『運命』だなんて分かっていない状況で。ほぼ見返りなしに。

 そこまで認めてしまうと、今までのツケが一気に押し寄せてくる。過去の私の言動やあれこれが頭の中を渦巻いてフラッシュバックする。恥ずかしさで消え入りたくなる気持ちと衝動的に出しそうな悲鳴をどうにか抑える。

 どんなにルドルフに対して馬鹿なことばかりしていたといえ、過去は変えられない。自分がしたことは、自分でけりをつけるしかない。色々なことでルドルフに謝らなきゃいけないのは分かっている。

 ヒロインに当てがおうとしたこと。ことあるごとに無意識に遠ざけようとしたこと。いくらコントロール出来ない自分の感情や変化へ嫌悪感と不安があったからと言って、自分の好意もルドルフの好意も見て見ぬ振りをし続けてきたこと。克服できなかった、自分が人間であったという意識と自分の獣人的部分の否定。それ故に『運命の番』だと認められなかったこと。

 胸に手を当てて考えれば、いくらでも出てくる。


「でもまあ、最後については仕方ないかもしれないけど。その『運命』ってのも、こうやって恋や愛に振り回されるのも、絶対に嫌だったんだもの……」


 そう言いながら、思わず自分を正当化する言葉を吐いたことに、自己嫌悪する。

 と同時に、それは真実でもある。悪役令嬢としての認識があった私は、ほとほと『運命』だからとして特別視する恋愛脳なこの世界にはうんざりしていた。前世だって、犬も食わない痴話喧嘩に巻き込まれて終わったようなものだ。どんなに格好良い言葉を使ったとしても、私はそれがただただ嫌だったのだ。『運命』じゃないからと振られることも――『運命』だからと好かれることも。


「『運命の番』になることを目指すゲーム、ね。流石はセレナ。私のルートを攻略してただけはあるわね。あの時、あのタイミングで、ああ言ったんだから」


 言葉や伝え方こそ拙かったものの、セレナは本質を見抜いていたのかもしれない。

 結局、私は『運命』だからルドルフが私を特別視するということも嫌だったように思う。セレナには前世の話もしていたし、短い付き合いでも私の性格をよく知っている。だから変に恥ずかしがる必要もない。しかし、なんだか見透かされたような気がして、自分が劣位にいるような気がして、悔しい。そして、悔しいと思ってしまう自分が本当に嫌で仕方ない。

 ルドルフは全部ひっくるめて私のことを好きだと言っていたけれど。本当にこんな自分でも認めたくないところも含めての、全部なの?


「……今まで、犬にも食わせず棚にも置かず、でずっと出し惜しみしていたくせに。本当の私はこんなものなのか、なんて思われたら立ち直れないわ」


 ルドルフは、私に言い訳がない状態で自分を選んで欲しいと思っているらしい。その心情は、今ならよく理解できる。そうは言えど、それが理由で一度私はあの駄犬に振られたのだ。あの時の胸が裂けるような気持ちと言ったら。万が一に、次にルドルフに拒絶なんてされたら。私の脆い心なんて泣いたくらいじゃ治らない。

 可愛い、ってなんなのよ。振り回されているのなんて、可愛くもなんともないわよ。

 まだ優位に立ってコントロールしたがっている自分を認め、私は顔を手で覆う。それで何度も失敗して来たのに、まだ懲りずに繰り返す自分が耐えられなかった。

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