第49話 隙
「きゃんきゃん騒ぐのはもうやめて頂戴……そんなはずないんだから。妄想で話すのはやめなさい」
「妄想なんかじゃないんだよ。お嬢は感情だけじゃなくて相手の人生を振り回すタイプだから。好き勝手テリトリーに入ってくる癖に、結局は手に入らない」
「お前は何を言ってるの?」
執着じみた思い込みがあるのか、私がいくら会話を断ち切っても、ルドルフは一方的に言葉を投げつけるのをやめない。
「ライオネルを考えてみなよ。あいつの思考の根幹には間違いなくお嬢がいるね」
その理解不能な言い分に私は頭痛がしてきた。ルドルフの剣幕はうんざりするが、考えもなく殿下のことを口に出した自分の責任だ。
人差し指をルドルフの前に掲げ、ようやく黙らせる。
「とにかく、そんなんじゃ、お前が私を好きだって言うのも怪しいわ。お前は親愛の情と恋愛感情を混同してるだけよ」
今の今まで、ずっと引っ掛かっていたことがあった。
『俺の今の仕事や立場、俺の環境は全てお嬢様に頂いたものだから。そういう仕事をこなせるのも、こういう身なりが出来るのも、全部お嬢様のおかげ』
商会の騒動の時、まさか私が聞いているとは思っていないルドルフが発した言葉。私たちの間には、結局こういう借りがあり、ルドルフにはその負い目の自覚がある。
なんだ。よく考えれば、対等になんか絶対になれないじゃない。
ルドルフは迷いなく私のことを『運命』だと言う。確かに、現時点でそれは私も認めざるを得ない。しかし、私は匂いがわかるようになったばかりだし、ルドルフだってそういう負い目や私に拾われたことからの刷り込みかもしれない。
結局、ルドルフの好きだなんだと言うのは、そういうものが積み上がった状況を処理するだけの都合のいい理由でしかないんじゃないの?
「だって、お前は私の知っているどの『運命の番』たちとも違うもの」
だって、そうでしょう? お父様やお母様なら、セレナや先生たちなら。そう考えたらあり得ないことばかり。
とどめに、私は認めざるを得ない事実を突きつけた。
「お前、私を拒絶したじゃない」
すると、ルドルフは心外だとでも言うように顔をしかめて見せる。それに対して私はいまだにぐずつく鼻を鳴らした。
「……それはお嬢に言い訳を与えたくなかっただけ。匂いが分かるようになって、混乱しているんだもの。そんなお嬢と番になったとしても、お嬢は絶対に俺が『運命』だなんて認めてくれないでしょ?」
少し声が震えている。ルドルフが怒っているらしいのが分かった。
それはそうだと自分でも思う。好きだから噛もうとしたとは言い難い。恋や愛なんて綺麗なものとは言い難い、もっとどろどろした感情。怒り狂う子どものような、幼い理不尽さを超えた自己本位な考え。ここまで自分の支配欲が強いとは思っていなかった。
今世が悪役令嬢になるだけの要因は、間違いなく私の性根にあるのよ。それにしたって、ルドルフがそれだけ自分にとって大事だったってことも意外だったと言わざるをえないけど。
自分のことは自分で決めたい。自分の思う通りに他人をコントロールしたい。自分の身体さえも自分の思考の統制下に置きたい。リスクは出来るだけつかず離れずの距離で管理したい。思い返せば、予兆はあった。ここまで荒れたのは、それらが全部崩れたから。まさか最後のピースがルドルフだとは思わなかった。
私は項垂れ、肯定する。言い訳にすると思われているのは嫌だったが、正直その通りなので耳が痛い。
「俺の気持ちをそんなに安く見積らないでよ。俺は既に十年待ってる男だからね。前も言ったけど、俺が欲しいのはお嬢の心だから。形だけの番なら、いらない」
「とんだ物好きね」
そもそも十年十年とルドルフは言うが、脚色がすぎる。なぜならルドルフを拾ったのが十年前であって。ルドルフでも私が『運命』だって気づいたのは、匂いが分かるようになる年頃で、そのもっと後でしょう?
「俺の好きな人は素直じゃないらしいからね。認めさせてからじゃないと」
「なによ。やっぱり、結局はお前もそう思うんじゃない」
私の嫌味に、ルドルフは虚をつかれた顔をする。きょとん、としたそれはそのうち崩壊した。
「……なるほど。こう言うのを可愛いって言えば良いのかあ」
「はぁ⁉︎」
なんだか、セレナのようなことを言い出したルドルフに動揺が止まらない。にやにやと笑うルドルフの視線から逃れたく、私は顔を逸らした。
何よ、可愛いって。今までそんなこと言ったことなかったのに。きっとセレナね。ひとの家の犬に余計な語彙を教えないでもらいたいものだわ。
「だって、本当の本当に素直だなんだを気にしてるから。普段はあんなに格好いいのにさ。お嬢、可愛いね」
顔を見られないと言うより、見せられない。ルドルフの匂いのせいで既に顔は赤くなっているけれど。もっと赤くなったのを指摘をされたら耐えられない。それは自分でも分かっているから。
「…………」
普段はあんなに格好いいのに、ね。
今夜は身勝手で性格の悪いところだったり、ヒステリーを起こして泣いたり、情けないところだったり。そういう部分しか見せていない。面目丸潰れもいいところ。今の私に出来るのは、ルドルフが私の顔を自分の方に向けさせようとすることに抵抗するくらい。
首の力だけで抵抗してる私のことを、ルドルフがくすりと笑った声が聞こえた。
「こっち向いてよ」
そう言って、許可もなく私の手を取る。ちらりと見やると、ルドルフはその内側に口付けを落とした。そして、甘えるように私の手に頬擦りした。
「俺はお嬢が素直じゃなかろうと、性悪だろうと、見栄っ張りで心配性でも、可愛いと思う。そういうの全部含めてお嬢が好きなんだよ」
ルドルフの金色の瞳が細まる。
一瞬、今までずっと何らかの不安や悩みで埋め尽くされていた心に隙間が出来る。悪役令嬢とか、前世とか、人間や獣人だとか『運命』だとか。そういうものを押し除けてあいた隙穴。すべてを考えない一瞬の隙間。
「――――」
はっと我に帰る。私は慌ててルドルフを払いのけ、そのままいそいそと立ち上がろうとする。しかし、距離を取ろうとした私の腕をルドルフが掴んで離さない。
ぶわ、と強烈な甘い匂いがして、くらくらする。
「行かないで」
切ない声で懇願するルドルフの顔は赤い。私が抵抗すると、ルドルフは強引に自分の座るソファに引き寄せ腕を閉じた。私はため息をついた。
何が、俺は匂いに酔ったことがない、よ。お前の匂いに、私はもうだいぶ慣れたというのに。
甘い甘い匂いのする首元へ頭を擦り付け、そのままソファに押し倒す。私の下に敷かれたルドルフは、予期せぬことだったらしく期待というよりは呆然とした様子で伸びている。
「……本当に、駄犬だこと」
その鼻先を指で弾き、銀髪をめちゃくちゃに撫でつけてぐちゃぐちゃにし、私は身を翻して窓辺へ逃げた。
振り向けば、ルドルフは驚いた顔で固まったままソファからずり落ちていて、そこから全然動かない。
「お前が言ったのよ、次に酔いそうになったら、我慢せずにさっさと早く逃げろって」
庭を吹き抜けて来た初夏の風を浴び、私は甘い匂いが薄らぐの感じる。外を見ると、雨は既に止んでいた。夜空の濃い青がぼんやり薄くなってきている。
ルドルフが窓の下に来たのは真夜中だったのに。よく考えたら、なんて馬鹿なことを考えていたのかしら。いくらルドルフが『運命』かもしれないからと言って――
「…………」
窓の外を見ながら、先ほどの私の心に隙間をこじ開けた感情がやっと言語化され、頭に浮かんできた。私はその意味を理解し、それが自分から出たものだということに困惑した。
私もお前が――。
ソファの横で放心状態のルドルフを横目で確認し、密かに息を飲んだ。胸に手を当てる。戸惑いながらもじわじわと馴染み広がっていくその隙間が、むず痒かった。




