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第48話 対話

 我慢をしていたが、抑えておくのはもう無理だった。瞬きをすると、涙がぼろぼろと溢れ始める。一度流すと、止められない。従者の前でも、侯爵令嬢だろうと、矜持だけでどうにかできるようなものではない。私は諦めて、流れるままとした。

 自分を裏切らないと思っていた存在さえ取り落とした今、取り繕うものもない。

 ルドルフは私が泣いたことに焦った様子で、何かをしようとしたようだったが、最後にはぎゅっと自分の膝の上でその手を握った。

 初めて目の前で泣いたことで、何かが変わるかもしれないと一瞬でも期待した分、そうでならなかった落胆も大きい。私は何もしないルドルフの様子を見ていて、泣きながらもつい嫌味を言う。


「お前、泣き止ませることも出来ないの?」

「……そうだね」

 

 私の皮肉にルドルフが眉毛を下げる。それでもしばらくすると、その口元は緩んだ。

 何がおかしいのよ。なんで、こんな男のために、私は泣いているのかしら。

 そう悔しく思っても、止められない。涙は女の武器だとは言うが、私ごときが泣いたところで何も変わらない。はらはらと涙を溢しながら、自分で自分が嫌になる。ルドルフは私が内心むっとしているのが分かったらしい。慌てて謝ってきた。


「ごめんね。泣いてるお嬢は初めて見たから。つい珍しく思っちゃって」

「いいわよ。どうせ、見栄っ張りだからって言いたいんでしょう?」


 鼻を啜りながら、ぶっきらぼうに言う。そんな風に謝られたとしても、別に嬉しくない。ルドルフは笑みを隠せないまま、また私の頭を撫でた。

 いつも私がそうやって宥めていたから、泣いている時はこうするものだと思っているのだろう。そうは分かっているが、こうも子ども扱いされると、馬鹿にされているように感じてしまう。

 まともな精神の持ち主なら、こういう風に思うわけね。なるほど、ヴァイパーがルドルフの扱い方に注意してくるわけだわ。

 睨みつけても、その小憎たらしい笑顔は崩れない。私の頭を撫でる手も止めない。代わりに、言い訳がましいことを言ってみせた。


「正直、良くないとは分かってるけど。お嬢が不安な時に俺を選んでくれたり、こうやって巻き込まれたりするの、嬉しいんだ。今まで俺にこうやって頼ることはなかったから。でも、やりにくかったってのはよく分かったよ。お嬢らしくないしね」

「だから、その私らしさって何よ……」


 私はもうこの問答が嫌になってしまった。この会話の主導権も、番云々の選択も、今はルドルフに握られている。こんな惨めなことはない。

 しかし同時に、不思議と気が楽になったような気持ちもする。今まで常に気を張っていたのに。私の最後のプライドが砕け散った瞬間、涙腺とともに全てが緩くなってしまった。先ほどの窓辺で悶々と考えていた時よりも投げやりなのに、不安感は少ない。

 この理由の分からない緩みがなければ、こんな風に、ルドルフ相手に惨めな気持ちを吐き出すことなんてなかっただろうなと私は思っていた。


「私、やっぱりセレナみたいにはなれないのね。結局、どうやっても汚ない感情や計算ばかり。こんな結末になるのなら、行動しないでいた殿下の時の方がマシだったわ」


 止まらない涙で湿った髪をいじりながらぼやく。なんとはなしに言った『殿下』という言葉はルドルフの神経に触れたようで、ようやく手が止まった。

 私のことは拒否したくせに、殿下には嫉妬するのね。まあ、婚約者でも何でもない、ただの主人と従者の関係なのに嫉妬した私には何も言えないけれど。

 お互いに黙ったことで、開けたままの窓から外の雨音が聞こえてくる。いつの間にか降り始めたらしい。窓の外に気取られていると、ルドルフが髪に絡ませていた私の手を取り、私の顔を覗き込んだ。


「つまるところ、お嬢は、セレナ様みたいなヒロインになりたかったの? そんなに、あいつのことが――」

「まさか」


 思いがけない方向に飛んできた質問にそう即答しながら、さっきの思考の濁流の中で自分が何を思ったのかを思い出す。

 確かに、セレナのことは羨ましく思っていた。ああなりたいと思っていた。でも、それはこの世界のヒロインになりたかったのかと聞かれると、見当違いもいいところ。

 自分の心の一番奥底の願望を口にするなどしたくないが、ルドルフが甚だしい勘違いをしている。弁明しようにも、私は口篭ってしまった。


「そうじゃないわ。ただ……」

「ただ?」

「……セレナみたいな、素直で可愛らしい子になりたかったの」


 ルドルフの圧に負け、そう吐露しながら、自分でも顔が赤くなるのを感じた。

 ディライア・サーペンタイン。何と身分不相応なことを考えついたものね。前世も含めたらずっと長く生きているのに、恥ずかしげもなくよく言えたものだわ。性格も、あの見た目も、あれらはセレナがセレナだから良いものなのに。

 どうせ今の私にはルドルフにうまく取り繕うことなんて出来っこない。そう分かっていたので、私は大きなため息をついた。


「笑いたければ、笑いなさいよ」

「笑わないよ。笑わないけど。素直に、かあ」


 噛み締めるように、ルドルフは言う。そのまま、手すさびに勝手に私と手を繋ぎ、揺らしながら考え込み始める。子供の時によくルドルフがやっていた動作だが、いまだに直っていないらしい。

 まあ、お前はそんなこと考えたこともないでしょうね。だって、お前もセレナも、方向性は同じだもの。こういう動作を自然に出来るんだから。

 うーん、と唸った後、ルドルフは再び口を開いた。


「みんな、そうやってお嬢に素直になれって言うけどさ。それって本当に必要なの?」


 やっぱり、ルドルフには分からないのね。

 しかし、セレナに相談した時とは違うことを言ったことが、私の興味を強く引いた。こういう変な質問をする時のルドルフは、割と当てになる。言葉に出したくはなかったが、会話を続けるために、私は()()()気持ちを吐き出した。


「だって私、こんな私が好きじゃないもの。お前だってそう思うでしょう?」

「素直じゃないからって、お嬢のことを嫌いになんてならないよ。こんなこと言いたくもないけど、お嬢はお嬢のままで、信じられないだろうけど好かれるもの」

「そんなこと――」

「ライオネルだって。結婚式の時、好きだったって言われたでしょう? アスピスもヴァイパーだってお嬢のことが好き。商会や領地の奴らでもお嬢のことをそういう目で見てる奴はいる。さも主人の為だって顔してるけど、あいつだって……」


 ルドルフが適当な人物の名前を挙げて、不満げに話し始める。いつもの嫉妬深さが垣間見え、今の今まで止まらなかった涙が急に引っ込んだ。

 真面目に心を開いてみせた私が、馬鹿みたいじゃないの。

 私は冷めた目で、ルドルフがきゃんきゃんと騒いでいるのを眺めておく。放っておくと永遠に続きそうなので、私はある程度待ってから、話の腰を折った。

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