第46話 嫉妬
もう番がいるとはいえ、誰とでも『運命』になれるセレナの匂いでひっくり返らないんだから、私の鼻もだいぶこの世界の普通に順応してきたんじゃないのかしら。
セレナを見送った後、応接間で一人ぼんやりと考える。
「……ディルが相談してきてくれて嬉しかった、ですって」
セレナが何度も繰り返していた言葉を思い出し、思わずくすりと笑ってしまった。
私は結局、ろくに話せなかったというのにね。
「でも、なんだか上手いこと言いくるめられたような?」
だからと言って、悪い気がするかと言うとそうでもない。セレナはセレナなりに色々と想像力を働かせて、私に向き合おうとしてくれた。自室で何時間も思考をループしていた私にとっては、自分以外の視点というのはかなり刺激となった。
情けない限りだが、優柔不断な私と対照的に、今回俯瞰出来る立場にいるセレナは物事がよく見えたことだろう。それでも、私が勇気を出すことはついになかった。
だから、セレナと話せて少し気が楽になったものの、私の状況はあまり変わらない。結局、私の悩みは私の中で終始してしまう。簡単に自分を変えることができない。
素直に、ね。セレナにすら素直に話せない私が、出来るわけがないじゃない。
みんながみんな、同じようなこと――素直になりなさい、とアドバイスしてくる。
それだけ私は素直には見えないってことね。つまるところ、セレナやヴァイパーやアスピスが言いたいのは、私は考えすぎるから、自分の心に従って決めろってことなのかしら。それとも、認めること?
「どちらにせよ、それが出来ないから苦労しているんじゃない」
私だって分かっている。認めている。だってそうでしょう? きっと以前の暮らしや状態には戻りたくとも戻れない。全ては変わってしまった。匂いのことはもちろん、私が将来的に女性相続人になるという現時点での確定事項。ルドルフが『運命の番』ということも。
そう頭では考えていても、私の心はそれを認められないし、是認できない。
結局そこなのよね。なら、素直になるならないじゃないじゃない。だって素直になったところで、解決するの? ああ、それとも。もし素直になることがそのままを受け入れるっていう無条件の全面降伏って意味なら、納得できなくても解決するでしょうね。でも私がそれを出来て?
「…………」
誰もいなくなった応接間にぼんやりと座り込んでいるのをやめ、私はあてどなく屋敷を歩き始めた。
せっかくリセットした頭の中で再び息が詰まるような思考のループが始まる。それを自覚した私は頭を振って強制的に気持ちを切り替えようとした。しかし、振り払う先から思考が集中する先は元に戻ってしまう。
変わってしまったことに縋り付いて追うよりも、今の状況や自分に適応した方が建設的。
「そう頭ではちゃんと分かっているんだけれど――あら」
ふと窓の外を見ると、玄関ポーチのところにの馬車が停まっていた。
セレナはまだ居たのね。お別れを言ってから、もうずいぶん時間が経っているけれど。何をしていたのかしら。
見ていると、セレナとルドルフが話しながらポーチに出てくる。ルドルフは完全に気を許した顔で、以前よりも仲が良くなっているのが見えた。明るく微笑むふたりの表情がいつも自分に向けられるものと同じと気がつくと、すでに荒んでいる心が余計にざらつくのを感じた。
匂いが感じ取れるようになる前は、私もあの輪の中に居たのに。誰と会うのにも制限なんてなく、自由に人と話し、自分のしたいように出来たのに。それなのに。
そういえば、ネックコルセットの時も私に黙ってセレナとやりとりしていたんだったかしら。主人のいないところで、いい身分ね。
思わず心の中でついた悪態に、私は自分で驚く。しかし、その理由を噛み砕く前に、私はさらに驚くことを目にして窓に張り付いた。
セレナがルドルフに顔を寄せ、ルドルフも身を屈める。
「は⁉︎」
……が、よく見れば耳打ちをしているだけ。ほっと止めていた息を吐き出す。
そりゃあそうよね。先生と結ばれたばかりだし、セレナはそんなことをする子じゃない。いくら駄犬でも炎の中に手を突っ込むようなことはするわけがない。
それが分かっていても、少しでも想像してしまった映像――二人が口付けたと思ったことが自分を傷つけたのに気づいてしまった。胸が苦しくなる感覚。それが嫉妬であると気づいた私は愕然とした。
ただ一瞬で、私の思考や感情の第一優先が書き変わってしまった。さて、どちらに嫉妬したのか。それにはすでに気がついてる。だからこそ余計に心が乱れる。
「…………っ」
今まで、誰が何をしようと、そんな妄想がよぎることなんて無かったのに。身を請われた時だって、連れて行った社交の場で揶揄われているのを見た時だって。それとも、セレナが相手だから?
自分の頭が見たくもない映像を吐き出し、私は咄嗟に目を閉じる。ディライアが激情タイプだっていうのを忘れていた。そして、私もどちらかと言えばそういうところがある。与えられた役割に沿わないように、今まで努めて冷静にしようとしていた努力を無駄にしてしまう。
これは、きっとまずいわ。
深呼吸をして、目を開ける。セレナとルドルフのヒソヒソ話は終わっていたようだったが、ふたりとも真面目腐った顔で、私は余計にギョッとした。何の話だったかは分からないが、それは私に関係することだという予感だけはする。
それとも、それは私の願望なのかしら?
「……こういうことで私は気が付かされるタイプなのね」
純粋な好意じゃなくて、ネガティブな感情で、自分の執着に気づいたことがあまりにも自分らしくてがっかりする。こういう時にでさえ自分の欠けている部分が分かって、私は少し泣きそうになった。
黒髪をいじりながら、ため息をつく。
新しい状況や自分に適応していくにしても、こういう自分に向き合うこと、自分の醜さや自分勝手さと対峙させられることばかりで気が滅入る。もうずっと何も考えずに、眠っていたい。幼い子供のように、愛だ恋だのを気にせず生きていたい。安心して、何も考えなくて、幸せなままでいたい。
そんなの、無理だって一番私が分かっているのよ。
重い足取りで自分の部屋へ向かいだす。と、私の後方で声が聞こえた。
「お嬢様、応接間でお待ちくださいと申し上げたはずですが!」
家政婦長が廊下にいる私へ向かって歩いてくる。私は勤めて平静を装い、それに対応する。
でも、もうなんだか、疲れた。もうどうでもいい。
家政婦長が私を注意しているが、私はひどく無気力で、その内容は入ってこない。ただ、先ほどの嫉妬の最中、思いついたアイデアだけがひとつ頭の中を巡っていた。




