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第43話 回想

 私は何度もドアの向こうへ耳を澄ますのを繰り返していた。

 そのうちに誰かの足音が聞こえて、私は膝の上に開いていた日記帳を閉じて隠す。外から鍵を開ける音が聞こえ、ドアの向こうから鍵束を持った家政婦長と侍女がついに現れた。


「お嬢様、お手紙です」

「ありがとう」


 待つのは辛いものね。

 やっと今日やることが出来た。心待ちにしていた手紙を受け取る。家政婦長たちは私の様子をしばらくじっと見た後、問題がないと判断したのかやっと退室した。鍵が外からかけられ、私はひとり笑う。


「手紙くらいでひっくり返る訳がないじゃない。……確かに、匂いはするけれどね」


 預かった手紙のうちのひとつを顔に近づけ、ため息をつく。手紙からは鼻をくすぐるシナモンのような匂いがした。それでも、布についた匂いよりはずっと大人しい。

 誰かさんが触れたショールのせいで、また匂いに酔って一日ほど潰れてしまっていた。原因は不明とされたが、その理由を私だけは分かっている。もちろん、認めたくないし、詳しくは話さなかったけれど。

 しかし、原因が不明だからこそ、私の深窓の令嬢度が上がってしまった。あれから何日も経っているのに、学園へも行けず誰にも会えず、部屋でこもる生活を送るはめになっている。殿下とセレナのことを片付けた後はどうせ消化試合。そのくらいに思っていた学園生活は、思ったよりも生活にメリハリをつけてくれていたらしい。出席代わりの課題を終えたら、各所からの定例報告が手紙で上がってくるのを待つだけ。

 報告書にコメントを書き、侍女をベルで呼ぶ。しばらくすると、侍女が現れ手紙を持っていく。そうしたら、もう今日できる有意義なことはほとんど何もない。バニラの匂いのする手紙だけは酔うのが怖くてすぐには開けられないので、一日のうちでも最後の方に確認することとしている。

 現在、私の部屋に入ることができるのは、既婚で番のいる女性の使用人だけ。近くの部屋に控え、何かあれば彼女たちが私に対応する。あまりに勿体無い人的資源の使い方だけれど、お父様とお母様がそう決めたのだから仕方ない。アスピスからは完全に私が落ち着くまで会わないと人づてに言われているし、ヴァイパーでさえ締め出されている。

 外界から隔絶され、ひとり閉じこもっているおかげで独り言を言う癖がついてしまいそうだ。


「ディライアが殿下へ執着するのは、ご令嬢ってものがつまらないのもきっと理由のひとつだわ」


 他のご令嬢との噂話や殿下の反応、ヒロインとの確執。腹の探り合い、いじめ、暗躍。失脚と婚約破棄。汗握るスリルは好みではないが、なんともアドレナリンが大量放出されそうなことばかり。


「なら結末はどうであれ、侯爵令嬢が退屈だなんて知らなかったら幸せだったのかしら?」


 私においては前世があったからこそ色々と手を出したし、バッドエンドも回避できた。でも、結末が同じ幽閉なら、どっちにしても不幸なのかもしれないわね。

 せっかく長年苦しんだ『おりおり』本編が終わって、もう何をしても良くなったはずなのに。今の幽閉生活のままでは何も出来ない。商会や侯爵領ですら危ぶまれるなら、外国へ旅行に行ったりなんて夢のまた夢。


「これは過剰反応にせよ、本当に今までが特殊だった――」


 脳裏にその原因の走っていく後姿がよぎり、頭を振る。今までの平穏が急に取り上げられてしまったからか、最近は妙に憂鬱になることが多い。匂いが分かるようになったことで変わってしまった私の世界がこれからどうなるのだろうという不安。そして早く元の自分に戻りたい、自分の体のコントロールを取り戻したい、という焦り。しかし自分ではどうしようも出来ないだろうという悲観。頭はいつもパニック状態だ。

 空気を変えるために庭へ面した窓を開け、その側の鏡台へ座る。先ほどまで読んでいた一番古い日記をしまい、一番新しいのものを取り出す。ぱらぱらとめくるうちにある時期から一日の日記の分量が一気に増えたのに気がつき、私は手をとめた。


「…………」


 セレナと会った日、つまり誰かさんが私を噛もうとしてきた日。セレナが転生者と知ったことによる今後への不安と期待。困惑と恐怖。その数日後には婚約解消が起こっている。当時、全ての状況が変わっていくのは感じていたが、その時点での私の内面の葛藤と相まって文章は混沌としている。


「怖がりつつも側に置いて好きにさせていたり。まるで支離滅裂ね」


 今こうやって読み返せば、冷静に俯瞰できる。当時は日々起こることの対処に溺れて駆けずり回っていた。日記の中の私は見栄を張っているものの、余裕を無くしているのが現在の私にはっきり見える。セレナのことを準備が出来ていなかったなんて憐れんでいる癖に、世界に振り回されているのはその準備してきたと言う私だ。


「でも、読み返してみれば、私ってだいぶ頑張ってたわよね?」


 私の世界にセレナが飛び込んできて、主人公らしく物語の枠を動かし始めた。セレナに助けられて、私はセレナがこの物語を乗り越えるのを助けると決めた。その一環でネックコルセットを作ることになって、そのことで商会へ久しぶりに顔を出したらトラブルが起きた。

 その日、初めて私に対しての恋愛的な好意を言葉で伝えられたんだったかしら。

『すごく寂しいんだ。俺は、お嬢のことが好きだから』

 処理できないことに、私は思わずページをめくる。そこからの日記は『おりおり』のストーリーによる混乱の合間、何度も同じ問題――私はルドルフをどうするべきなのか、にぶつかっている。私がどうしたいのかを能動的に考えていると言うよりは、ルドルフの言動によって嫌でも問題を直視させられていた。殿下とセレナの『イベント』までページをめくった私は、その日の終わりの方でもあまりにしつこくじゃれつかれているので、呆れて笑ってしまった。


「私が選んでくれるまで待つって言ったくせ、全然待ってくれていないじゃない」


 いいえ、噛みつこうとしてきた日からずっとルドルフはずっとそうだったような。けれど、当のルドルフはずっと昔からそうだと言っていた。似たようなことをアスピスにも言われていた気もする。私が気がつかなかっただけ? それとも、気づかないようにしていただけ?

 そういえばヴァイパーに至っては、ルドルフをどう思っているのか、直接聞かれた記憶がある。


「私、なんて答えたんだったかしら。あら……答えてないわね」


 ページを戻ると、混乱して聞き返すことしか出来なかった自分がいた。すぐ次の行にある、素直になりなさいとのヴァイパーの言葉が目に入り、胸に手を当てる。

 素直になっていいなら、選ばない、が私の答えだ。しかし、どれだけ時間が経過しても私に提示される選択肢は『受け入れる』か『受け入れない』の二択でしかない。前者は恋愛関係になることで、後者は決別を意味する。その中間の状態でルドルフは待ってくれるとは言っているが、待つだけだ。好きになってくれるまでずっと一緒にいるとルドルフは言っていた。つまりその場合、最終的にはルドルフを受け入れる決断を私はしなくてはならない。

 私はできれば今のまま、もしくは子供の時のままでいたい。ルドルフは幼い頃からずっと一緒で、精神年齢の差もあり、私としてはルドルフを育ててきたような感覚だ。肉体的には同い年なので母と息子までの関係にはならなかったが、確かな絆があったように思う。しかし、今のルドルフはもう子供ではなく、違う関係性を望んでいて、そこについてはどうやら譲歩するつもりがないらしい。

 譲歩できないのは、私も同じだけれど。

 流石に身をもって感じたので、分かってはいるのだ。匂いがわかる状態になって、誰よりもルドルフの匂いに惹かれている。私もいつまでも子供ではいられない。成熟は止められない。侯爵家の女性相続人になるのかはまだ確定でないにせよ、貴族の女性として生まれた私にはいつかは誰かの妻や母になる未来しかない。今ルドルフと番になれば、すぐに部屋から出てどこへでも行ける。気心も知れている。幸せになれるのかも知れない。でも――


「どうしたらいいのかしら」


 結局、部屋に閉じこもってすることがない私は、答えは決まっているのに選べない自問自答を続けるしかない。日記に吐露し、独り言を呟き、物思いに耽る。時間だけはあるので、ある程度洗練されてまとまってきた考えも一部はある。しかし、同時に気が狂いそうでもある。

 顔を上げると、鏡の中のげっそりとした顔と目が合った。


「セレナが何か言ってきそうな顔ね」


 ふふ、と思わず笑う。笑ったタイミングで、私は自分で思いついてしまったことにため息をついた。

 セレナは選択を重ねて幸せを掴み取り、先生はヘタレを返上し、殿下も心のうちを話してくれた。誰にも頼らないことを責められる私も、そろそろ変わるべきなのかもしれない。


「……セレナさんにどーんとご相談をするタイミング、なのかしらね?」

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