第42話 深窓・2
私はふと、気になっていたことをルドルフに聞く。
「お前も目を回したりするの?」
「うーん、ないかなあ。俺はもともと鼻が良い方だから慣れるのは早かったし、参考にならないと思う。子供の時からお嬢が――まあ、性格的なものもあるだろうね」
「……そうなの」
思っていた答えじゃなかったことにがっかりする。私のその反応にルドルフはショールをくしゃくしゃさせながら、ふっと笑った。
「お嬢は口では何でも言うけど、結構我慢するからね。耐えようとするから、酔うんだよ。うわっと思ったら、さっさと撤退したほうがいいよ」
「お前の堪え性のないのは、そう言うところにも出てるのね」
そこまで言った後、鼻がいいからこそさっさと逃げるのかもと考えを改める。ルドルフが屋敷以外では若い女性を避けたり、距離を置いて接するのはそのせいなのだろう。そう考えると、私の今までの他人との距離感は適切だったのだろうか。
泥沼になりそうな議題を考え始めたの気がつき、私はそこで思考を止めた。
「俺ほど我慢強いやつはいないと思うけどなあ。まあ、次は逃げるか、俺を側に置いておいてね。壁になってあげるから」
「期待できるの?」
鼻を鳴らした私に、ルドルフは親指を立てて見せる。
「今までもそうだったし、嫌でもそうなるよ。他の家のご令嬢は付き人をいつもつけているでしょう? なおかつ、学園とか限られた社交の場くらいしか行かないんだ。そういう距離感が普通なんだよ。お嬢も侯爵令嬢だから関わる人が限られてるけど。だから子どもの時から変わった女の子扱いだったわけで」
「……何でそれを言わないのよ」
「言ってたけど、言っても理解できなかったんだよ。外では俺以外直接関わっちゃダメって言ったのに。まあ俺の言い方も悪かったのは認めるけど。だって、お嬢は俺含めて全員に同じように接するんだもん」
やっぱり、距離感がおかしかったのね。
私は衝撃的すぎて痛む頭を抱えた。ルドルフだけなら無視したが、似たようなことを殿下にも言われた気がする。確かに本当に心配するような相手は貴族だっただろうし、概ね関わる者は限られていただろう。しかし、商会やら領地には色々とお願いをしている平民の身分の者も多い。
前にルドルフが匂いをつけて牽制をしていたと言っていたけど、そういう近づいてくる相手を減らしていたのかもしれない。だから、最近は妙に馴れ馴れしい者が多かったし、変なことがよく起こっていたのかもしれない。
「そういえば、アスピスはどうしたの?」
商会といえば、と思い出す。私の過剰反応に当てられて、変な感じになって。それでヴァイパーに殴り倒されたのを狭い視界で見た。ルドルフと話していたのに、いや話していたからこそ、今の今まで忘れていた。
次にルドルフたちに会った時にはまた発作が起こると思っていたもの。
「結構ショックだったみたいでね。お嬢に悪いから辞めるって言ってた。もちろんお嬢のために引き留めたよ」
「当たり前よ。辞められたら困るわ。急に匂いが分かって酔った私の過剰反応に巻き込まれただけなんだから、悪いのは私よ。アスピスは悪くないわ」
私の言葉に、ルドルフは少しだけ困った顔で笑った。
「うーん、分かった。じゃあ、お嬢はそう考えているってヴァイパーからアスピスに伝えてもらうね。俺が言うとちょっと変だから」
「そう? 頼んだわね。あと、ヴァイパーにもお礼を言っておいてね」
頷いた後、ルドルフが少し寂しそうな顔になった。その顔に少しだけドキリとする。
「ねえ、お嬢」
「何よ?」
もじもじとショールをいじりながら、ルドルフは質問をしてくる。
「もし、お嬢の匂いに酔ったのが俺でも許してくれた?」
「…………」
少し構えてしまった自分が恨めしい。私の答えを待っているルドルフの顔を見て、私は少しだけ意地悪な気分になった。
「何言っているの、許すわけないじゃない」
「そっ、かあ」
あからさまにルドルフの耳が垂れ、しょぼくれた表情になる。私はそれを見て、くつくつと笑った。
「さて、前に私の首に傷をつけかけたのは誰だったかしら。もちろん、そんな不届者は追い出されているわよね?」
私の意地の悪い顔を見て、ルドルフがわっとショールに顔を埋める。しばらくそうした後、ルドルフはショールから顔を上げないまま恨めしそうな声を上げた。
「あーあ、また引っかかった。お嬢って、ほんっと意地悪だよね」
「お前も分かっていることでしょう?」
さっきまで薄青かった空がいつの間にか白くなっている。そろそろ皆が起きだしてくる。ああも口酸っぱく家政婦長に外と関わるなと言われていたのにルドルフと話していたところを見られたら困る。
私が空を見上げたことでルドルフも察したらしい。周りを見回し、ずっと手遊びにしていたショールをたたみ始める。
「出禁の俺がここにいるとまずいよね」
「そうね。とりあえず私はベッドへ帰るわ」
「うん。まだ顔が赤いから、そうしたほうがいいよ。でも、顔が見られて、話ができてよかった」
ルドルフはそう言うと、私の手元へショールを投げる。私がそれを掴んだのを見ると、走って行ってしまった。
「…………」
後ろも振り返らず走って行ってくれて、よかった。
と、本当に心からそう思う。私はショールを握ったまま、その場にへたり込んだ。
ショールを手放したいのに、手放せない。
全身が心臓になったかのようだ。苦しい。体が燃えるように熱い。
「――――っ」
この間のような不快感はない。しかし、自分の感情を離れた反応をする身体が怖い。フェロモンなんかで振り回されたくないのに、一瞬でおかしくなってしまった頭が怖い。今にも窓から飛び降りてルドルフを追いかけていきそうな自分の衝動が怖い。
アンバーがアスピス、スパイシーなのがヴァイパー。そこからずっと離れた場所にいるのを感じた甘ったるい匂い。
あれはルドルフだったのね。
よろよろと這うように、ベッドへ入る。
ルドルフと会っていたことが分かったら、困る。みんなから『だから「運命の番」だって言ったでしょう』と言われるのだけは避けたい。気持ちを知られたいくない。振り回されたくない。
涙がぼろぼろと出てくる。
ショールからは、甘いバニラの匂いがした。




