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第41話 深窓・1

「では、お嬢様。くれぐれも不用意に扉を開けたり、外に出たりはしないで下さいね」

「まるで深窓の令嬢ね」

「まるで、ではなく、実際にそうなんです」


 まだ鼻声の家政婦長が私にショールをかけ、そう言って部屋を出ていく。しかし、それでも少しの間は紅茶のような匂いがショールや部屋の中にしばらく残り漂っていた。

 匂いと言うものは、結構残るものなのね。今不快感はないけれど、これだときつめの香水以上じゃない。それなら、たくさんひとがいれば、それは酔っても当たり前よね。

 鏡台の上の香水を自分にかけてみる。爽やかなトップノートが鼻をくすぐるが、あの鼻の奥を刺激するようなものではない。香りと匂いは感じ取る器官が違うと聞いたことがある。そのせいなのだろうか。鼻というか、目や脳の方が近いのような気がする。

 ブラシを手に取りながら、鏡を見る。鏡の中の顔は、もう赤みが消えていた。

 前世では香水のテスターで鼻が駄目になった時はコーヒーの匂いを嗅いだけど、そういうものをお守りとして持ち歩いた方がいいのかしら。ああ、そうか。だからみんな気付け薬を持ち歩いているのね。匂いの効果を打ち消すために。貴族のいた時代の情景用フレーバーテキストならぬフレーバーアイテムだと思っていたわ。

 これからそれのお世話になると思うと、惨めさに泣きたくなる。

 夜風で髪を乾かそう窓を開けようとすると、少し開けただけで隙間から強い風が吹きこんだ。力を込めて窓を全開にする。と、家政婦長の着せたショールが、窓の下に落ちた。


「あっ」


 それを追いかけて手を伸ばす窓の下、私の部屋が面する庭。そこから見上げてくる金色の瞳と目が合う。心臓が跳ねる。

 驚いた表情をしたその顔にショールがひらりと落ちた。


「……驚いたな。出てこないかなあって思ってたら、本当にお嬢が出てきたから」


 ルドルフは頭にかかったそれを取ると、いたずらが失敗した子どものようなその表情で笑った。

 発作は、出ていない。私は無意識に鼻を押さえている自分に気がつき、構えすぎていた自分が嫌になった。

 そうよ。みんなが『運命』だと言っても、この程度なのね。何だか肩透かしをくらった気分。いいえ、そもそもこの駄犬が私の『運命の番』ではないだけ。やっぱり、みんなの言うことなんて大袈裟なのよ。

 

「お前、こんな時間にこんなところで何してるの?」

「こんな時間って言っても、もうそろそろ朝だよ。お嬢が目を覚ましたって聞いて。ちらっとくらいは見えたり会えたりできるかなって」


 尻尾をぶんぶんと振りながらルドルフは当然と言わんばかりに答える。そのあまりの通常通りな態度に脱力する。

 この屋敷内のストーキングは結局この十年治らなかったわね。


「お嬢が落ち着くまでは、俺たちは出禁になったからね。もう体調は大丈夫なの?」

「まあ。お風呂も入って、だいぶマシになったわ」

「よかったね」


 風のせいかルドルフの匂いは全然気にならない。けれど、多分隣に立てば家政婦長のように匂いがするのだろう。今まではルドルフも家のネコ型の使用人たちも前世の犬や猫のように毛皮に至近距離まで近づかなければ分からなかったし、日向の匂いしかしなかった。

 ルドルフはどんな匂いがするのかしら。

 そう自然に思った自分に私は驚いてしまった。


「……お前はこんな世界で生きてたのね。あまりに今までと違いすぎて目が回るわ」

「お嬢もこの世界ではジュウジンなんだから、今までが特殊だったんだと思うよ」

「ええ、そうなんでしょうね」


 ルドルフの答えを聞いて自重気味に笑う。この世界では獣人が人間。今までずっと心の中で頑なに彼らを獣人と呼んでいたが、私こそが異端の少数派だった。

 いいえ、セレナの前でも言ったことがあったかしら。

 しかし思い返せど、セレナが獣人という言葉を使っているのは聞いたことがない。子どもで転生に気づいた私。ある程度当たり前の事として知識や常識を身につけた上で記憶が統合されたセレナ。

 やっぱりこの意識の差はそこにはあるのね。だから、セレナは匂いのこともよく口に出したし、先生のこともすぐに受け入れたんだわ。


「『運命』に出会うことは()()なら誰しもの喜びなんですって。鼻がきくようになったってだけで、さっき家政婦長に泣くほどよろこばれたわ。自分のせいで私の鼻がきかなくなったって思っていたんですって。今思えば、人生って恋愛だけじゃないって反論できたのに。本当に驚いちゃった」


 でも、これで私も恙無くその仲間入りね。

 匂いが分かるようになり、私もついにこの世界の人間になってしまった。獣じみていると内心思っていた、フェロモンで振り回されるこの世界の人間に。前世の最期、赤の他人の痴情のもつれでこの世界に転生した私、悪役令嬢としての自覚があった私にとって、一番なりたくなかった存在。

 恋愛ゲームの世界なんだから、恋愛至上主義な設定になるのはしょうがないけれど。だって、この世界の獣人のあれこれに一番苛まれていたのは、鼻が効かない唯一の『人間』だった私だもの。

 とはいえ、苛まれていた分、得していたところもあったのは否定できない。

 この間までの『おりおり』本編のタイムラインで、この鼻が治らなくて本当に良かった。自分でもどうなっていたかなんて分からない。きっと殿下のご乱心を冷静に見れる立場じゃなかった。

 私が色々と考えている間、ルドルフは手遊びにショールを自分に巻きつけたりしている。ショールといえば、ルドルフを拾った時もこんな感じだったと私は思い出し、窓枠で頬杖をつきながら私はため息をついた。

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