第27話 愚痴
「セレナ様がお慕いしている方がって……そしたら殿下があの鋭い牙を見せて……ああ、恐ろしかった!」
セレナと同じ学年だったかしら。どこかのお茶会で会ったことのあるこの子は、子爵家の令嬢だったような。赤い目には涙、長い耳は周囲を警戒しながら震えている。
まさかこんなか弱いウサギさんの目の前でしでかすなんて。
元婚約者の考えのなさに内心腹を立てつつも、私は可哀想なその子の小さな白い手を握って励ます。
「怖かったでしょう。ごめんなさいね」
「い、いえ……ディライアお姉様のせいでは……」
「教えてくれてありがとう」
「お姉様ならなんとかしてくれるって、信じております!」
「――って言われたのよ、ただの元婚約者に何を期待してるのかしら?」
ガラスペンをインクに浸しながら、私は毒づく。相手の反応を待つが、何も言ってこない。私は余計に腹を立てながら話を続けた。
「問題は、相談してきたのがその子だけじゃないのよね。まったく。余裕綽々威風堂々の王子様を気取るんだったら、貫徹して欲しいものだわ」
セレナからもらったメモを清書しながら、愚痴を話し始めたら止まらなくなってきてしまった。先週から面白くないことばかり起こっている。お針子のことがあってから駄犬は私を避けるし、そうなると仕事がうまくは回らない。そして殿下はついに頭がおかしくなってしまったらしい。セレナに言い寄っているらしいが、その姿を他の生徒に見られていたりと脇があまい。先週の木曜日の一件はこうやって私の耳にまで登ってきた。
「最近変なのよね。お姉様だなんて潤んだ目で見つめてくる子もいるの。逆に『セレナさんに近づくな!』なんて言ってくる輩もいるし」
さすがヒロイン、というかみんなが運命の番だと思い込める設定だからこそ、ヒロインへの好意が私に反転する。私が殿下と決別したことは周知のこととなり、私と殿下がセレナを取り合っているなんてゴシップまで流れている。
妙に女性人気が出たのは、セレナとの熱愛の噂のせいかしら。なんでそんなことになってるの?
「やっぱりおそろいのネックコルセットって変なのかしらね」
黒いリボンをいじりながら、セレナのことを思う。メモがちょうど殿下のページに差し掛かり、私はため息をついた。この走り書きを見た時に、殿下の【トゥルーエンド】のための情報を全部知っていたと言ったら、セレナに『ライオネルと仲が良かったんだね』なんて驚かれた。
もし本当に仲が良かったら、婚約解消なんてしなかったでしょうね。
王族として期待される重圧。帝王教育ゆえの幼少期からの孤独、側室として苦しんだ母親、それ故に番の多い父王との価値観の相違による確執、兄の死と継承権にまつわる政権争い。貴族としてはよく耳にするようなドロドロした話だし、流石に長く婚約者として側にいれば気づくことだった。
精神年齢が実年齢じゃなかったんですもの。子どもなら気づかなかったでしょうけど。
セレナが私たちを残して取りに行っていたのが、この攻略メモだ。『おりおり』世界設定やら攻略者達の大体のルートが書かれている。メモは手書きで、追加の書き込みが多い。一生懸命時間をかけて思い出せるだけの情報を都度書き出した、と言った感じだ。それを関係者と時系列順に日記帳へ清書しなおしている。
セリフは流石に全部は覚えてないし曖昧だから書けなかったよ、とセレナは笑ったけれど。私にすればよく覚えていたなと感心してるのが本音。最近思い出したからなのかしら。私はだんだんと前の世界のことを忘れかけているというのに。
セレナには時間がかかってしまったことも謝られたが、私はすでに婚約解消済みだ。エンディングについても、協力体制に入った時、教えてもらっている。これだけのメモを作るのにも時間がかかったろう。私とすれば、感謝さえすれど、不満などない。
それにしても、殿下が物語から外れているのは、大体のストーリーラインから明らかに分かる。そもそも、見聞きしてきた性格と『おりおり』の殿下はかなり違うようだ。
どうしたものかしら。
「……そういえば。変なラブレターが届いたりもしてるわね。僕の女王様、ですって。口説き文句にしたって不敬過ぎて笑っちゃうわね」
センセーショナルなことを言ってみてもあまりに聞き手の反応が無いので、居なくなったのかと顔を上げる。と、一応はちゃんと思った位置に立っていた。
「ちゃんといるじゃない。ねえ、ちゃんと聞いてるの?」
「聞いていますよ。ただ、私はルドルフほど聞き上手じゃないだけです」
「あらそう」
相変わらず蛇頭のヴァイパーは無表情だ。はっきりとその感情がわかるのは、激怒している時くらいのもの。
「喧嘩でもしているんですか? あの辛気臭い表情。気が滅入ります」
「そういう訳ではないわ。あの駄犬が勝手に私を避けているだけ。でも元はと言えばヴァイパー、貴方が商会へ行けなんて言ったからよ」
「刺繍針の件はお怪我もなかったとの事で。劇薬でしたが、正直いい薬です。お嬢様は、幾つになっても子どもの頃のようにルドルフをお側に置いていらっしゃいますから」
ついに反撃してきたヴァイパーに、ペンをスタンドへ立てる。
「どういう意味よ。……貴方も昔みたいに混ざりたい? 寂しくなっちゃったの?」
「まさか。そういうご冗談も昔から治りませんね。私はきょうだいとは殺しあいにはなりたくないので、やめていただきたいものです」
ふざけて手招きした私に向かって、ようやくヴァイパーが分かりやすくにまりと笑った。ヴァイパーは私やルドルフよりもひとつ年上だが、正直いえばルドルフと同じく歳の離れた弟のように思っている。そのつれなさが生意気で、ついいじめたくなる。
「ルドルフのことを本当に何も思っていないのですか?」
「アスピスにしろ、貴方たちはあれと私のことをくっつけたがるわね」
「ええ、だってそうして頂けた方がトラブルもなくなりますから」
トラブル、という言葉は殿下にも言われた言葉だ。私は少し苛立ち、ヴァイパーを睨む。しかし、ヴァイパーは平気な顔で私の横に立った。
「お嬢様はご自分がどのように見えるのか、考えたことがありますか?」
ヴァイパーは子どもにするように私の頭を撫でる。それが馬鹿にされているようでひどく不快で、私は手を払い除けた。ヴァイパーはそれでも口の端で笑い、耳を髪に撫でつけてくる。
「自分の運命を見つけたが、孤児で身分差が大きすぎる。男性の貴族なら運命の番として平民を娶っても問題とされない。でも女性の場合は生まれた家を出なくてはいけない。そこで自分の番をいなくてはならない存在にまでのし上げる。教育し、手に職つけさせて自分の側に置く。お嬢様がしていることは、みなの憧れなんですよ」
「はあ?」
「恵まれているのです。素直になられた方がよろしかと」
いきなり想像もし得ない何かを言ってきたヴァイパーに不快感を露わにするが、ヴァイパーは優しい目でこちらを見下ろしてくる。まるで妹を慈しむ兄のようだ。その目はお父様が私を見る時の目と同じで、私はそれ以上言い返せなくなってしまった。
「おかしな手紙の件は、ルドルフにはちゃんと話しておいた方がいいですよ」
「……何て話せばいいのよ」
「それはご自分で考えてくださいませ。私が言えるのは、もっと素直に、ということだけです」
ヴァイパーは言いたいだけ言うと、さっさと部屋を出ていってしまう。私はその背に向かって、書き損じたページを丸めて投げつけた。




