第24話 亀裂
御者は商会へむかう道でのルドルフの不機嫌さに当てられたのか、馬車に乗った時には御者用の小窓には先んじて目隠しが下がっていた。帰りの馬車へ乗る際にルドルフの様子を見たからと言うのもあるのだろう。
ああ、さすがは侯爵家の御者ね。これだからヘビ型は、と言われるのよ。
誰も介入してこない馬車の中に二人きり。側に座っているのに、お互いに空気を悪くしながら黙り続ける状態。
「まだあの子に怒っているの?」
私の気持ちも大きく下がっている今、どうしても耐えきれずにルドルフへ話しかける。するとルドルフは頭を横に小さく振った。
「……自分に怒ってるんだよ」
あまりに声が小さかったので、馬車の車輪の音で消えかけていた。その金色の瞳も、声も、見た事がないくらい暗い。それでもずっと不機嫌に黙り続けているのかと思った私は、ルドルフが返答したことにいくぶん安堵した。
その気持ちははっきりと表情に出てしまっていたらしい。私の顔を見て、ルドルフがばつの悪そうな顔で謝る。
「お嬢に迷惑かけてごめんね」
「謝る必要はないわ。お前はよくやってるもの」
聞かなかったふりをした先ほどのルドルフの言葉が忘れられない。持っているものは全て私に与えられたものだなんて言っていたけれど、渡されてもどうにも出来ない者もいる。それに比べたら、ルドルフはちゃんとやってくれている。
確かに、今回のことはヴァイパーが言って来なければ、気づきもしなかったけれど。それでも、それはきちんと誰かの目が届いているということ。誰かに目をかけてもらえるというのは、まさにルドルフの持っている徳だ。それは私が与えたものではない。
間違いは見つかった時から対処すれば良いし、次が無いように予防すればいい。今回は幸運なことに内部で片付く話だった。外部まで波及しなければ、致命的ではない。
それにしても、お針子の女の子に『ルドルフ様』なんて呼ばれているのは驚いた。アスピスやテーラー、親方たちはルドルフを子どもの頃から知っている。だから、呼び捨てか『さん』付けだ。ルドルフは私が無理やりねじ込んだ存在で、どこかの貴族に関係する上級使用人でもなければ、任せていることは下級使用人たちとも違う。その経緯を知らない人間からすれば、特別な存在になり得る。
そういうことは、分かっていたつもりだったのに。駄目ね。この間はルドルフにテーラーへの伝え方を考えるように後でお説教したけれど。その前に、私の方が他者の心というものを分かっていなかったわ。
「そんなことないよ。俺はもっと早くに気づいて、もっと上手くやらなきゃいけなかったんだ」
ルドルフはそういったものを自分の範囲でどうにかしようとしたのだろう。しかし、私の訪問があの少女を煽ってしまった。アスピスによれば、遅かれ早かれ何かが起こる状態だったみたいだけれど。
思いつめた少女というのは、本当に恋敵に刺繍針を送りつけたりするのね。誰もがそうなってしまうものなのかしら。誰かを強く恨むほどに胸が張り裂けそうな気持ちになったことがないから分からない。だって、私は転生者で、ライオネルに対して恋に落ちることが出来なかったんですもの。でも、もしも私なら?
「それはそうね。でもお前は怪我もしたし、謝らなくちゃいけないのは私もよ。今回のことは、私にとっても学ぶことがたくさんあったわ」
「針で指を刺しただけだよ。でももしお嬢があのままコルセットをつけていたら、って考えたら」
「お前のおかげでそうはならなかったじゃない。ああいう嫌がらせは、女性向けの物語世界ならままあること。些細なことよ」
自分ながら、なんて自己完結的にしゃべっているのかしら。物語世界なんて言っても、ルドルフには分からないでしょうに。ああ嫌な女。でも仕方ないじゃない。私は針を入れる側の嫌な女なんだもの。あのお針子には、やられたわ。私にとっては刺繍針が首に刺さるより、自分がそういう人間で、そう言う役割だと言う事実を投げつけられる方が断然堪える。
自分の黒い髪をいじりながら、あのふわふわしたブロンドの髪を思う。
とにかく、その心の機微に気づかなかった私のせい。お針子の言う通り、私はヒロインではないのだから。前も思ったけど、きっとやっぱり似たような性格の人物に転生するんだわ。ルドルフも私に拾われて可哀想ね。私はセレナのようには逆立ちしたってなれない。不条理ばかりの世界では、もっと上手く立ち回らないと。殿下と婚約が解消出来たと言っても、私は――
ふとルドルフに視線を戻すと、その淡い金色の目はまだ暗く、私の顔を見つめていた。口元は変に歪んだ形で笑っている。完全に自分の思考の世界にはまり込んでいた私は、その表情にぎょっとした。
「……何よ?」
「お嬢は、いつもそうだね。お嬢に何かあっても、お嬢の言う『些細』なことなら全部受け止めちゃう。誰かが何か失敗しても、次はしなければ良いって許すよね?」
いきなり何なの?
ルドルフの不思議な話の切り口に動揺するも、ルドルフの言っていることは正しい。それが主人たるものの心構えだと思うし、自分が部下だったり使用人だとしたら上司にはそうあって欲しい。訝しみながらも肯定する。すると、ルドルフは私が頷くのを見た後、目を伏せた。ルドルフは少し自重気味に笑い、ため息をつく。
「俺はね、お嬢が心配なんだ。お嬢が思っている以上に、俺にとってお嬢は大切で特別だから。でも、お嬢は何回言っても誰かを抱え込むし、誰かを許して、いつも自分だけでどうにかしようとするよね」
「だ、だから何なのよ?」
ルドルフが急に私が大切だなんて言ったから、余計に混乱し、わけが分からなくなってくる。ルドルフは何を言いたいのだろう。その表情からはもう何も読み取れない。
「俺はすぐ頭に血が上るけど、お嬢はいつも冷静で。何でもひとりで出来るし、何でもひとりでやろうとする。そして実際、お嬢だけでほとんどのことが出来ちゃうんだ。俺を簡単に手放すことも決められる。実際、セレナ様が運命を見つけてなかったら、俺をあの子にあてがおうとしてたんでしょう?」
「…………」
「それは別にいいよ。だってあの子が俺の運命じゃないのは分かってたし。でも、俺が許せなかったのは、自分が酷い目に遭うって分かっていたのに言わなかったこと。お嬢が俺に言っても仕方ないと思っていたこと。俺に話しても分からないと思っていたこと。お嬢はセレナ様にはそういう話をするのに、俺にはしない。俺へは頼らない」
ルドルフが伏せていた目を開く。と、涙が一筋そのまぶたの間からこぼれた。
「それがすごく寂しいんだ。俺は、お嬢のことが好きだから」
ルドルフが手を伸ばして私の頬に触れる。ぞわり、とした感覚が背中に走った。
覗き込んでくる潤んだ金色の目の中に、困惑した私が映っている。
「俺が噛みつこうとした後も、あまり態度を変えなかったよね。俺から時々距離を取るときはあったけど。変わらないのは嬉しかった」
「…………」
「でもね……」
ルドルフはそこまで言った後、私から手を離し、気まずそうに項垂れた。
私はもうどうしていいのか分からなくなってしまった。自分の気持ちが読まれていたこと。ルドルフがどう思っていたか。あまりに情報が多くて、噛み砕けない。
でも、ルドルフが泣いている。何とか慰めようとする自分を滑稽に思いながら、いつものようにその銀色の頭を撫でようとする。と、ルドルフは私の意図に気づいたのか、私の手を避けるように頭を振った。
「ごめん。こんな話、するつもりじゃなかったんだ。お嬢は悪くなくて、俺はお嬢に八つ当たりしてるだけで……ごめんね」
空振りになった手のひらを見る。そこにはうっすらと傷跡が残っている。
私はもう何を言うことも、することも出来なくなってしまった。




