第23話 針・3
夕闇の庭に、若い男女が言い争っている。女性の方は自分の手に顔を埋め、男性の方は腰に手を当てながら泣き喚いている女性をしっかりと見据えて立っている。
あら、あの子。記憶が正しければ、セレナが変なことを聞いてきた時にびっくりした声を上げてた子だわ。そう、あの子だったのね。
小柄で、細い手足に人懐っこそうなきゅるんとした顔立ち。特にもふもふした茶髪の髪の毛が、可愛らしい小型犬を思わせるイヌ型の獣人。だから印象に残っていた。虫も殺さなそうな少女。意外すぎて眩暈がする。
「だって……だってぇ……」
泣きながら首を横に振るお針子の少女にルドルフは、うんざりしているようだった。ため息をつきかけ、そんな自分にも閉口したらしく、途中で首を振った。そんな仕草をしているルドルフがあまりに自分の知っている普段と違いすぎて、私は驚きアスピスを見た。アスピスは特段驚いた様子もなく、肩をすくめて見せる。
なるほど。信じ難いけど。ルドルフ自身も、周りも、ルドルフが思いを寄せられるのに慣れているのね。
セレナは例外だとして、ルドルフは同世代の女性には基本的にそっけない。だから、ルドルフがお針子から人気だと聞いた時に、理由が分からなかった。アスピスに話を聞いて、やっと納得できた。その程度だったので、こういう強く実感するような場面に出くわしても困惑しかない。
慣れる程度にはこういうことが多々あること。ヴァイパーが言ってたのはこういうことね?
「アスピス、最近辞めた子はいる? もしいるのであれば、報告してちょうだい」
「承知致しました」
ここでアスピスが承知するのだから、つまりはそういうことなのだ。
「だって……ルドルフ様のことが好きだったんです……」
「そのことと、お嬢様に針を送りつけること。関係ないですよね?」
「で、でも……」
ぴしゃりとルドルフが言い返し、お針子は余計に狼狽えてしまう。彼女は感情的な話をしていて、ルドルフは論理的な話をしている。だからずっと噛み合わずに、彼女は分かってもらえずに悲しくなり、元々怒っているルドルフは理解が出来ずにイライラしている状態で膠着しているようだ。
第三者として見られるからこうやって冷静に見ていられるけど、私も悪役令嬢。元といえば、この役割。ドレスやアクセサリーに毒針か媚薬でも詰めて、セレナに送りつけたりしていたかもしれないのよね。
そう思うと、胸が苦しくなる。だって自分のことだからよく分かるのだ。私の性格なら、もしも殿下に惹かれていたら……きっと、と。
「君は俺の今の状態に惹かれたんだと思うんだけど、分かって欲しいのは、それはまやかしでしか無いってことで」
焦れたように、ルドルフはそう言って顔を両手で覆い、こする。精神的な疲れからか、どんどん敬語が崩れていく。耳や尻尾は少女に負けないくらい垂れて、この泥沼の状態を必死に耐えようとしているのが見えた。
「俺は確かに商会や領地の色々を任せてもらっているけれど。俺の今の仕事や立場、俺の環境は全てお嬢様に頂いたものだから。そういう仕事をこなせるのも、こういう身なりが出来るのも、全部お嬢様のおかげ。だから、俺は君が思っているようなすごい奴なんかじゃないんだよ」
これは、私が聞いていいものではないわ。
窓辺から立ち去ろうとすると、アスピスが私の腕を掴んだ。思わず、その顔を見る。アスピスの痛切な表情に、私は驚く。
「いいえ、お嬢様。ルドルフさんは……お嬢様のものなのです。遅かれ早かれ、お嬢様はこれを聞く責任を負うのです」
「何を――」
「なら、もっと嫌です!」
庭の方から、女の子の金切り声が上がる。視線を戻すと、泣きながら地団駄を踏みながら少女が大泣きしている。
「ズルいです! そうやってルドルフ様を縛って利用して! ルドルフ様の好意を弄んでるってことでしょう? あの金髪の人だったら、まだよかったのに!」
セレナ。ハニーブロンドの髪。素直な藍色の瞳。
それはそうなの。だってセレナはヒロインなのだから。
まずいとアスピスが小さく声を漏らしたことで、私の意識が戻る。殿下が私を呼び出した時以上、いいえ、ルドルフが私に噛みつこうとした時以上の薄暗い威圧感をビリビリと感じる。
「……君に、お嬢の何が分かるの?」
「ルドルフさん、いけません!」
アスピスが私の腕を離し、窓を踏み越えて飛び出していく。しかし、ルドルフはアスピスの闖入に驚かない。アスピスが少女を庇うようにルドルフの前に立ち塞がるが、ルドルフの視線は少女にしか向けられていない。少女はというと、泣き腫らした目を大きく開けて怯えている。アスピスが何を言おうが、ルドルフの怒りが止まりそうにないのは、明白だ。
そう、あの場にいる誰にも止められるものじゃない。
「…………」
そう、私はこのためについてきたのだものね。大丈夫よ、どうせ駄犬のこと。すぐに落ち着くわ。だって今までもそうだったもの。ルドルフに限って言えば、私だけは大丈夫。
そこまで考え、無意識に手のひらを見る。毎日クリームを塗りこんでいるだけあって、ルドルフにつけられた牙の痕はほぼ消えかけている。しかし、逆を言えばそこまでしないと治らなかったという意味だ。ルドルフと私が万が一争うことになったら、お互いにただでは済まない。
でも、いいえ、主人としてはここでしっかりと手綱を握らなくては。
深呼吸で息を整え、すぐ近くの中庭に面した大窓の鍵を開け、屋外へ出る。ルドルフの背中と、その奥のふたりが見えた。
「アスピス、ひどいじゃない。私を置いていくなんて」
私の声が聞こえた瞬間、ルドルフが項垂れたのを見て、私はほっとする。
出来るだけ、ゆっくりとルドルフとアスピスの元へ移動し、間へ割り込む。俯いたルドルフとは目が合わないが、その顔を見据えてはっきりと命令を出す。
「ルドルフ、もう帰る時間よ。あとはアスピスに任せなさい」
さあ帰るわよ、と歩き出すが、振り向くとルドルフは動かない。もう先ほどまでの殺気は感じないが安心はできないことが分かり、私は焦った。
まずは対象をどうにかしないと。
アスピスの後ろに隠れたお針子の少女を見る。少女は私と目が合うと、後ろめたそうな表情で一歩後ろへ下がった。
「ご、ごめんなさい」
「……ねえ貴女、謝罪ではどうにも出来ない相手がいるってご存知? いいえ、私のことでは無いわ。でも、考えてごらんなさい。謝罪ではなくお金を要求されたら、どうするつもりだったの?」
「えっ」
「今回のことをお金に換算すると、いくらになると思う? もし私が普通のご令嬢で、お客様だったら? ここは貴女の商会では無いわね。なら、貴女はお客様と商会の両方から訴訟を受けて損害賠償を求められるわ。さて、貴女はどうやってお金を返したの?」
「そ、れは……」
少女は顔を青くして黙り込んでしまう。彼女もやっと理解したのだろう。
「貴女、運が良かったわね。相手が私で」
ゲスな手を使う者なら、彼女はひどい目にあっていた。何もない若い女性が手っ取り稼ぐ方法なんて、前世でもこの世界でも最古から決まってる。売り飛ばされた先は運頼みで、年季は長い。商会をクビにならなかったとしても、無給で働き続ける。としたらそれは奴隷と同じだ。
今回の罰金は損害賠償だとすると相場の何百分の一にも満たないでしょうけれど。本気でそういうことをする貴族は、残念ながら本当にいるのよね。
「アスピス、さっき話した件を明日の報告と一緒に頂戴。それと、話は終わり。その子を連れて行って」
「承知いたしました」
アスピスはすぐに私の意図が分かったらしく、ルドルフを避けて少女を連れていく。
「さあ、ルドルフ。屋敷へ帰りましょう」
未だ項垂れているルドルフの手を握る。その歩みは遅いが、手を引く私にはちゃんとついてくる。
子ども子どもだと思っていたけれど、知らない間にルドルフも色々な経験をしているのね。それに、まさか私のことをああいう風に思っていたとは。私が全て与えた、ね。
もう一度、手のひらを見る。いつの間にか登った月の光で、手のひらのでこぼこした傷痕がうっすらと浮かんで見える。手を握れば、誰も気づかない。手を握り、開く。
ルドルフを好意を弄んで、縛って利用して? 本当にその通り。だってあの雪の日、私がルドルフを拾ったのは、この世界で絶対に私を裏切らない味方が欲しかっただけなんだもの。本当に肉体は子どもだったけれど、子どもじみた性根の悪い考えだったわ。その結果がこの手の傷に、今日の騒動? 今更、因果応報ってやつなの?
私は自重気味に笑うしかなかった。




