第20話 釘刺し
「ディライア・サーペンタイン、参りました」
片足を引いて軽く膝を曲げ、挨拶をする。顔を上げると、生徒会室の奥にじっと構えた赤銅色の瞳と目が合った。見渡すが、生徒会室には殿下しかいない。
私物化甚だしいことこの上ないわね。それに、いくら長い付き合いで学生同士の身分と言えど、婚約者でも何でもない令嬢を個室にふたりきりで話すために呼び出すなんて。礼儀知らずにも程がある。
殿下はドアの所から動かない私が自分の近くに来るのを待っているようだったが、ややあって近寄らない私の意図に気付いたらしい。生徒会長の偉そうな椅子に鎮座したまま、頬杖の上で微かに笑った。
「久しぶりだな」
「殿下もご清祥のこととお慶び申し上げます」
この間アスピスにやられたように、距離を置いての挨拶をしてみせる。もう貴方とは関係のない臣下なのだと言うことは何度示したって良いものだ。それなのに、殿下は何故だか冷たくされることが喜ばしいことのように機嫌が良くなっていく。
変なこともあるものね。いえ、殿下は昔からこんな感じだった気もするわ。殿下にとってはセレナのために婚約解消したんだから、きっと他人って事実を突きつけられる方が嬉しいのでしょう。
「君がそうやって怒るとは――何だ。まだあのオオカミとは番になってないのか」
「いつも申し上げている通り、ルドルフは私の使用人です。番になんてなりませんわ」
この問答も何度目になるだろう。私から殿下の思うような言葉が出てくるはずがないのに。
殿下は先ほどまでの薄ら笑いを引っ込め、不機嫌に立ち上がる。
「相変わらず、君とは分かり合えないな。巡り合っているのなら、さっさと番った方がいい。……そうすればトラブルも少ないだろう」
余計なお世話だという言葉が喉から出かけたが、ぐっと堪える。
それにしても、殿下がここまで急進的だとは思わなかった。返せば、殿下はセレナと早急に番いたいと思っているということ。これはネックコルセットをすぐにでもセレナに作ってあげる必要があるのかもしれないわね。
「それで、お話とは何ですの?」
「君はいつもそうだな。まあいい。話とは、『彼女』のことだ」
殿下の声色が低くなる。
「最近、『彼女』と非常に親しくしているとか。この間は、サーペンタインの商会へも連れて行ったようだな」
殿下がゆっくりとこちらに歩いてくる。私はそれに合わせて、後ずさるしかない。ライオン型の獣人特有の、排除行為を思わせる圧力。百獣の王と前世の世界で呼ばれていた動物をモチーフにしただけある。ヒョウのメスにとって、ライオンのオスはまともに戦える相手ではない。それが実感を持って分かる。
こんな殿下は見たことがない。支配者然とはしていたが、もっと高潔で冷静で――いいえ、これが殿下のヤンデレ的人格なのかしら。これが、恋に狂った状態ってやつなの?
なら自分が見たことないのも当たり前だと頭の中で冷静に思う。
貴方も、結局はフェロモンという化学物質に負けるのね。
「彼女は大切なお得意様なのです」
「それだけか? 君は何を考えているんだ?」
なるほど、それはそうよね。元婚約者が次期婚約者と接近する。何を吹き込むつもりか、何を妨害するつもりか。普通でもそう思うのに、ヤンデレ属性持ちのキャラなら思い詰めもするでしょうね。
「セレナは大切な友人でもあります。もし関わるなと仰られても、承服しかねます」
暗い目を見ながら、毅然にそう宣言する。
「…………」
殿下が冷ややかに私を見下ろしてくる。動物でなくとも、この男女の体格差がある。私は一瞬でも対決することを考えた自分の愚かさを悔いた。
殿下はじっと私を見つめた後、急にそっぽを向き、椅子の方へ戻った。
とりあえず、今日はこれでもう許されたらしい。
「話は、これだけですわね? 失礼いたします」
次に何か話しかけられる前に、略式のお辞儀にてさっさと逃げ出す。
扉を開けると、ジョナサンがすぐ横に控えていた。会釈で済ませて歩き出した私に、ジョナサンが声をかけてくる。
「お送りしますよ」
結構です、と言ってもついてくるだろうことは分かっている。いつだってそうだった。きっとこれからもそうなのだろう。私は無視を決め込むことにする。が――
「それにしても、まさかサーペンタイン様が王子を諦めるなんて思っておりませんでした。去年はあんなに王子を追い回していられたので」
思わず振り返る。ジョナサンはいつも通りの微笑みだ。気づいていたのか、と少し恥ずかしくなる。と同時に、納得と何とも言えない脱力を感じる。
だってヒロインに対応しなきゃいけなかったんだもの。あそこまでやってたら、ジョナサンにはバレるわよね。ということは、殿下も。でも、殿下は私が何しても気にもしてなかったじゃない。
「やっと振り向いてくださいましたね。失礼いたしました。サーペンタイン様が王子に対してそういったお気持ちがないは存じております。ただの感想でございます」
「…………」
私が止めていた足をまた動かすと、ジョナサンは私の横へ並んで歩き始めた。
「……これは個人的な意見ですが」
何よ、と横目でその顔を見ると、口元はいつも通りに笑ったまま、目だけは真剣な鋭い光を帯びていた。
「私は、王子のお相手には貴方が良かったと思っているんですよ」
「はあ⁉︎」
思いがけない言葉が続き、私は思わず大声を出してしまった。さっと扇で顔を隠す。
「名高い侯爵家のご令嬢ですし、領地や商会での手腕は素晴らしく、妃には相応しい性質を持っていらっしゃると私は思っておりました。貴女が相応しかった。たとえ、貴女が王子のことをあまりお好きでなかったとしても」
今までネチネチやってきた小姑が急に褒めてきた違和感に、光栄だと思えるような簡単な私ではない。何を考えているのか分からない人物の評価は怪しい。何を言いたいのか勘繰らざるをえない。それに、セレナは可愛くて健気で勇気のある主人公だ。そのセレナのどこに文句があるというのだろう。
おそらくジョナサンこそ【トゥルーエンド】攻略に必要な隠しパラメータがあるキャラクターだと思う。なら、最初はヒロインに対して好感度が低くなるようになっているのかもしれない。
今度セレナに確認しなくちゃ。
やっと混乱していた考えがまとまり、扇を閉じる。
「そんなの、今更言われても。それに、運命の方と出会われたんだから仕方がないじゃない。幸せなことでしょう?」
「……そうですか」
少しだけ悲しそうな顔をして、ジョナサンが私から一歩離れた。私はその表情に、はっとする。
私に小姑対応をしてきたジョナサンのことだ。セレナのことやあのハクトウワシのことを調べているのかもしれない。それで、殿下の恋が叶わないと気づいたに違いない。
ジョナサンのこの言動に、今日の殿下の釘刺し。思った以上に、事態は進行しているかもしれない。
気休めだとしても、早くネックコルセットが必要ね。




