第17話 商会・1
不思議に思うなら、お嬢様もたまにはお針子たちの所へ行ってみればよろしいかと。
意味深なヴァイパーの言葉に、次の土曜日、私はセレナを連れて久しぶりに商会の方へ伺うことにした。だってこれでちゃんと行かなかったら、ルドルフの主人としての責任を放棄したことになるし。
それに最近あまり新商品を出していなかったけれど、これからセレナからアイデアが上がって来たら商会を通して作製してもらう。実際に手足を動かしている現場には挨拶くらいはしておいた方がいい。ロイヤリティを管理する事務方にはセレナを紹介もしたいし、人的資源や職場環境の監査みたいなものでもある。
「商会の企画を手伝ってくれることになったヴァンドール嬢よ。ヴァンドール伯爵家のご令嬢だから、失礼の無いように。なにとぞよろしくお願いするわね」
「よろしくお願いします」
私が『お友達』を連れて来たのがそんなに珍しかったのか、好奇心を滲ませて職人たちが事務所の方へ挨拶に来てはセレナに絆されてに帰っていくのが、見ていて面白かった。いつも気難しい金匠の親方までちょっと照れて頭を下げて行った。
さすがはヒロイン。あらやだ。この商会、一歩間違っていたらセレナに乗っ取られていたんじゃないかしら。
ヒロイン特約でがちがちに固めた契約書にしておいてよかった。それに、引き抜いたところでわざと完全分業にしているから経営ノウハウがない限り……ルドルフかこの会計係あたりが両方抜かれたらまあまあ厄介ね。
「お嬢様におかれましては、ご健勝のようで安心いたしました」
「こちらへはご無沙汰だったものね。いつも報告書をありがとう、アスピス」
ルドルフにセレナの案内をさせている間、久しぶりに事務方とも話をしておく。会計処理を任せているヘビ型の獣人が恭しくそう言ってくる。こちらを思いやるような言葉ではあるが、ほとんどは嫌味だ。
ルドルフが右腕の男なら、アスピスは左腕の男。なら、ヴァイパーなんかは右足かしら?
とにかく、重要人物であると私も価値を分かっているのに。不実を指摘されると流石に気まずい。ばつの悪さを噛み締めていると、アスピスはくつくつと笑った。
「いいえ。みな、ライオネル殿下との婚約解消のことで心配していたのですよ。不遜を恐れずに申し上げますと、親方たちはお嬢様のことを我が娘の一人かのように思っていますから。今日は元気そうなお顔を拝見出来て大変喜んでいるんですよ」
「そうなの?」
学園の貴族たちにどんなに心配されても、ただただ屈辱なのに。商会の職人たちが私のことを思ってくれていた、と言うのは何故だか素直に嬉しく受け取れる。ここの商会には、職人気質の素朴な人が多い。その裏のない親愛はどこか温かく、信用がおける。
商会を立ち上げたい、と私がお父様にねだったのは十二歳かそこらだった。元々侯爵家が持っていたお抱えを接収する形で、アスピスを含めてその時にかなり無理をして召し抱えた者ばかりだ。侯爵家の名前での商会で、最初の立ち上げに関してはお父様が手を回してくれていたが、その後の運営については私がかなり尽力した。前世で会社員をやっていたような精神年齢はあっても、経営者としては未熟。見た目は子ども。前世の時代の組織作りの知識はかろうじてあっても、みんなよくこんな小娘についてきてくれたものだと思う。
「ええ。まあ、私はみなと違ってお嬢様が学園へ入られた後もお会いしていましたし。婚約解消の公示が出た日の報告書にお嬢様からの返信が変わらずあったので、いつも通りだと思っていましたが」
「貴方らしいわ」
「ルドルフさんは最近妙にご機嫌でしたしね。それで、ルドルフさんとはいつご成婚されるのですか?」
話が正反対の方へ吹っ飛び、ほっこり安心しきっていた私はもう少しで吹き出しそうになった。さっと顔を扇を隠し、その陰からアスピスの本気度を探るが、何とも読めない。
これだから爬虫類の獣人は表情が分かりにくいって言われるのよ。
「……するわけないじゃない」
「そうなんですか? なら、うちの縫製チームの子達が喜んでしまうな」
そういえば。お針子たちの間でルドルフが人気になっている件もあって、商会へ来たんだったわ。
「ヴァイパーもそんなことを言っていたわ。ルドルフをあまり一人で投げ込むな、たまには顔を出せって文句付きでね」
「お恥ずかしい。ヴァイパーさんにも伝わっていましたか。まあお嬢様と歳の変わらない年頃の子も多いですから。そんな子達にとっては、同年代で商会の取り仕切りを任されているルドルフさんは頑張れば手の届きそうに見える優良物件ですから」
「言葉に容赦がないわね。でも、なるほど。分かったわ」
いわゆる仕事バフというやつだ。職場が一緒だと周囲との関係や仕事の評価が見えるから『かっこいい』『素敵』と思ってしまうタイミングがいっぱいあるのだろう。少女の狭い生活圏の中で、同世代のルドルフは余計に目立つだろう。周りにいる工芸の職人は体格がいいし、年上すぎたり、少女の好みではないだろう。そもそも既婚者が多い。
それなら、このアスピスが選ばれないというのも変な話だ。アスピスを上から下まで見て、そう思う。
褐色の肌に、黒髪。瞳孔が割れた赤い目。蛇の成分が強い容貌は蠱惑的と言ってもいい。二十代半ばの精神的にも安定し、成熟した男性。まだ独身だし、お父様の筋の従業員だから身分も申し分ないのに。
まあ、半分ヘビ型の贔屓があるからかしら。見慣れないと怖いでしょうしね。そういえば、セレナは爬虫類が好きだと言っていた気がする。あの『運命』のハクトウワシほどじゃなくても、セレナならアスピスを評価してくれると思う。
「まだ若いから見る目がないのね。あの駄犬とだったら貴方の方が――」
私がそこまで言いかけた途端、アスピスが私の口元に人差し指を添えた。
「おっと、私はまだルドルフさんに噛み殺されたくないので。今のは私の胸のうちに秘めておくことにしますよ。それに、長く一緒に居すぎましたね。そろそろお嬢様を迎えにくる頃だと思います」
アスピスがそう言ったか言わないかのうち、確かにこちらに歩いてくるルドルフの足音がしてきた。ドアへ向けた視線をアスピスへ戻し、どうして分かったのかと聞くと、アスピスは薄っすら微笑んだ。
「お嬢様が気づかないだけで、彼はいつもこうですよ」