第16話 テスト
「ほら、ルドルフ」
髪を持ち上げ、うなじをルドルフへと差し出す。
「お、お嬢」
「構わないわ。思い切りやりなさい」
「でも……」
顔を上げると、涙ぐむ駄犬の情けない顔があった。その割に顔は興奮で赤く、イヤイヤ言う口元からは鋭い犬歯が溢れている。
「そうは言っても、お前のその顔はなんなの。噛みつきたくて噛みつきたくてたまらないって顔をしてるわよ。よだれダラダラって感じね」
「それは……っ」
さっとルドルフが顔を隠す。
そうやってかわい子ぶったって。この間は、思い切り噛みつこうとしたくせに。
「もういい、なら私が噛むわ。ルドルフ、おすわり。そこに跪きなさい」
瞬時にルドルフがぺたんとその場に座り込む。その首に私は自分の着けていたネックコルセットを当てがい――
「あら……入らないわ。お前の方が、首が太いのね。昔は私の首飾りも着けられたのに」
「当たり前でしょう。お嬢の中での俺ってその辺りで止まってんの?」
「じゃあ、やっぱり私が着けるしかないのかしら」
そう話してる瞬間、廊下から独特な足音が聞こえてくる。まずい、と思った瞬間、私の部屋のドアがノックも無しに開け放たれた。
「お嬢様、何をされているんですか?」
現れた蛇頭の獣人、ヴァイパーは激怒状態だ。口調は穏やかだが、怒りすぎて毒牙の根本まで見えている。ルドルフは慌てて立ち上がり、しゅんと縮こまった。
ルドルフは私直属の従僕とは言え、使用人の組織上では上司に当たるし、ルドルフの育ての親がヴァイパーの父親なので乳兄弟のようなものでもある。
「何って。ネックコルセットの試作品が出来たから、そのテストよ」
「侯爵家のご令嬢が何で自分の身体でテストするんです。ああもう、臭い! ……頭がおかしくなる」
ヴァイパーはシャーシャーとヒスりながら部屋の窓を開け放つ。
「レディの部屋にずかずか入ってきて、その言い草はないんじゃないの?」
「臭いとは貴女のことではないですがね、ルドルフがこんなにフェロモンを垂れ流してるのは貴女のせいですよね?」
「そんなに匂うのかしら?」
「ええ、それはもう」
相変わらず、鼻がいいのよねえ。
今日だって何処から走ってきたのか知らないけれど、気づきさえすればどこからでも駆けてくる。この間ルドルフが本気で噛みつきにきた時には来なかったくせに。こういう時だけは早い。
そもそも蛇はナントカ器官だかなんかで鼻がいいのだったかしら。半分は蛇なのに、私には全然わからないけど。この平たい蛇頭のどの辺りについているのかしら。
「あら、貴方も牙が長いのね。殿下の犬歯は私の倍はあるから、テスト相手に良さそうね」
久しぶりにヴァイパーの顔をまじまじと見た感想。何となく呟いただけなのに、そう言った途端、両脇で蛇と犬にギャンギャンと吠え立てられた。
「お嬢、なんでライオネルの牙の長さなんて知ってるの⁉︎」
「何を……お辞めください、侯爵閣下に私を殺させたいんですか。なんなら父も含めて二回は締め殺されますよ!」
「あいつ、いつもトリとかネズミ型の国民ために牙が見えないようにしてるじゃないか。ねえ、一体どんなタイミングであいつの口の中なんて見たのさ!」
騒ぎ立てる二人を見ていても、その言葉を聞いてもあまり頭には入ってこない。とりあえず、二人が落ち着くまで静観するしかない。
よく見れば、蛇だけあってヴァイパーの首筋は長くて細い。少しだけきつそうだが、女性サイズでも着けられそうに見える。
「聞いてるんですか、お嬢様」
「ああ、もううるさいわね! なら、あなたがこれを着けなさい。それでルドルフが噛みつけばいいじゃない!」
すると、二人のおしゃべりは突如止み、びっくりしたような顔で私とお互いを見て、静かに後ろに下がった。
「……ルドルフ、とりあえず臭いから他のやつに障る。着替えてこい」
「……うん、そうする」
さっきまでの熱気が嘘のように無くなる。そそくさと部屋を出ていくルドルフを見送った後、ヴァイパーは咳払いをして私に向き直った。
「ネックコルセットの件は、お嬢様から旦那様への定例報告でうかがっております」
領地はいくら私の方で取り仕切ろうがサーペンタイン侯爵家のものだし、私は全てを見ているわけではない。商会は私の名義でも侯爵家の名前がついてる。私の内部顧客であるお父様には定期的に報告を行い、取り上げられたりしないにしている。
その報告を見られるようになったなんて、ヴァイパーも偉くなったものだ。
「ただ、個人的に看過できないのは、お嬢様がことを急いてルドルフを商会のお針子たちが詰めているところへ何度も遣わせていることです」
「あら、それになんの問題があるの?」
このネックコルセットはセレナのためにも(私にとっても)すぐに必要な急務を要するものだ。だからいつもはあまり作業場へは行かないルドルフを何度か向かわせて直接指示を投げさせたことはある。コルセット職人に無理を言って首につけられそうなものを作ってもらい、裁縫が得意な者にレースや刺繍をあしらうように依頼している。
私の真っ当な疑問に、ヴァイパーは嫌味たらしく大仰なため息をついた。
「ありますよ。風紀が乱れますから」
「どういうこと?」
「あれは存外、モテるんですよ。商会には年若い女性が多いですから。入れ替わりも多いので、お嬢様も学園に入学されてからは会ったことない者が多いでしょう」
ルドルフに関しては以前に貴族の未亡人に身を請われたくらいだから、それはそうでしょうねと言う感じ。昔から屋敷の使用人たちにも可愛がられている。でも、女性が多いことは挙げる理由としては弱いのではなくて?
「若い可愛いメイドなら、屋敷にいっぱい居るじゃない」
「ここにはお嬢様がルドルフを拾ってきた時からお仕えしている者も多いので。私も、それになによりお嬢様がいらっしゃいます」
「……だから?」
「相変わらず、ルドルフに酷ですね」
私の疑問にヴァイパーが冷ややかに笑った。
「不思議に思うなら、お嬢様もたまにはお針子たちの所へ行ってみればよろしいかと」