割れた合わせ鏡
白を基調とした病院の廊下を少年が走っている。浅黒い肌に短く刈り込んだ髪の彼は必死な形相で、すれ違う看護師達も注意出来ず、最短で駆け抜けた彼はすぐに目的の病室たどり着いた。
入院から間もないからか、患者名の書かれていない病室の扉を、彼は自身の恋人の名前を呼びながら開けた。
中では一人の少女がスマホをいじっていた。頭に包帯を巻き、腕や顔に所々ガーゼが当てられている。
痛々しい様相の少女は病室に入ってきた彼の存在に気付くと、いつも通りの気安い笑みを浮かべた。
「よっ」
あまりに普段通りのその様子に、少年の顔は一瞬弛緩する。しかし、すぐ引き締めると捲し立てるように口を開きながら病室の中に入っていく。
「よっ、じゃないだろ!事故に遭ったって聞いて、どれだけ心配したか…。
怪我は!?大丈夫?頭打ったのか!痛くないか!?」
「ちょーいちょいちょい!いきなり捲し立てないでって!答える!答えるから~!」
あまりの勢いに若干気圧されつつも、少年の勢いを少女は手で制した。そして両腕を開いて上半身が全て見えるようにして話し始める。
「…あー、まぁ見ての通りではあるんだけど、生きてます。
少し怪我はしたけど、お医者さんは跡になるようなのはないって。
頭は、その…」
バツの悪そうに口を噤む彼女に、彼は顔を青ざめさせる。
少女はちょいちょいと手で彼を招く。そして近づいてきた彼の耳元に口を寄せる。
「あのね、その……」
彼女から一体何を言われてもいいように、少年は心の内で覚悟を決めた。
そして――――――――。
少女は寄せられた彼の耳を唇で挟んだ。
思いもよらない感触に彼は驚いたように飛び退き、その様子を少女はけらけらと笑っている。
「あはははははっ!!」
「……っ!…なんだよっ!人が心配してるってのに!」
「いやごめんって。…でも、ククッ…、ビ、ビクーって、…猫みたいに飛び上がってさ。…ごめん、やっぱ無理~!!」
心配する彼を尻目に、少女は腹を抱えて笑い続ける。
その様子はいたずら好きで無邪気ないつも通りの彼女で、少年もつられて笑う。
「ほんとにね、何ともないんだよ。
私は無事。だから心配しないで」
笑い終えた少女は何ともないように話す。
少年もそんな彼女の様子に問題ないと感じたようで、彼もニカリと笑った。
それからしばらくなんてことない雑談をした後、少年は席を立つと病室の外へと向かう。
そして最後に、
「…その、妹さんは残念だったな」
そんなことを言って病室を出ていった。
◇
白を基調とした病室の廊下を少年が走っている。色白で長い前髪の奥に眼鏡をかけた彼は必死な形相で、すれ違う看護師達に何度もぶつかりそうになり、その度に深く頭を下げていた彼は目的の病室まで相当な時間をかけてたどり着いた。
入院から間もないからか、患者名の書かれていない病室の扉を、彼は自身の恋人の名前を呼びながら開けた。
中では一人の少女が本を読んでいた。頭に包帯を巻き、腕や顔に所々ガーゼが当てられている。
痛々しい様相の少女は病室に入ってきた彼の存在に気付くと、いつも通りの柔らかい笑みを浮かべた。
「あら、いらっしゃい」
あまりに普段通りのその様子に、少年の顔は一瞬弛緩する。しかし、すぐ引き締めると吃りつつも喋りながら病室の中に入っていく。
「だ、大丈夫なんですか!?事故に遭ったって聞いて、僕心配で…。
その、し、死んじゃったらって思ったら、僕……」
「…ごめんなさいね、心配をかけてしまって。ちゃんと話すから、落ち着いて、ね?」
半ば混乱している様子の彼に、少女は優しく声をかける。そして両腕を開いて上半身が全て見えるようにして話し始める。
「と言ってもまぁ、見ての通り、生きてはいます。
少し怪我はしたけど、お医者様は跡になるようなものはないと仰っていたし、多分すぐに退院できるでしょう」
あっけらかんとそう言う少女は、彼の目から見てもいつも通りの様子だった。
それでも少年は不安そうな目で少女を見る。
そんな彼を少女はちょいちょいと手で招く。そして近づいてきた彼を抱き寄せた。
「大丈夫だから、私は大丈夫。
心配してくれて本当に嬉しい。
ありがとう、来てくれて」
少年は突然の抱擁に身体を固くしたが、それでも少女の身体を抱き返した。壊してしまわないように優しく。
「本当に、無事でよかったです…」
「私が君を置いていくわけないでしょう?」
自身が辛い状況でも少年と共にいる間、少女はその細面に微笑みを湛える。
その様子は物静かで慈愛に満ちたいつも通りの彼女で、少年は強張っていた体の力を抜いた。
それからしばらくなんてことない雑談をした後、少年は席を立つと病室の外へと向かう。
そして最後に、
「…その、お姉さんは残念でしたね」
そんなことを言って病室を出ていった。
◇
誰もいない病室で、少女は一人呟いた。
「困ったなぁ。流石に一人で二人の相手は出来そうにないし」
「…なんで死んじゃったんだろう、―――」
なんて言って自身の片割れの名を呼んだ。