第一話 最後の記憶
これは私――大志クレアの最後の記憶である。
母の腕の中で、4歳の私が感情を押し殺し、ただただ抱かれていた。
「まさかあの子が魔力持ちだなんて…そんな兆候なかったというのに」
鏡の中の私とよく似た母が泣いている。
その背に腕を回し、母を慰める父。その父もまた私によく似ていた。
白に近い銀髪に紫色の瞳。日に焼けたことのない白い肌。
それもそのはずだ。二人は従弟同士なのだから。
「数百年に一度と聞いていたから、まさかこの子がそうなるなんて」
差し迫った別れを惜しむように、母は私をきつく抱きしめる。
私は大志族の唯一の魔力持ちとして生を受け、数日前に能力を開花させたばかりだった。
その直後、どこでかぎつけたのか出頭命令が下っていた。
「父上にもう一度掛け合ってくる。それが駄目なら逃げるしかない」
「そんなこと、無意味なのはわかっているでしょう?」
「やってみなければわからない。もしかしたら、うまく逃げられるかも」
彼らの父上。あの人は絶対的な神聖皇国の指導者にして、五家の当主。
五家という選ばれし立場ではあるがその実態は最底辺の操り人形だ。生まれつき魔力を持つ子供が生まれた場合、魔塔に子供の権利全てを渡す。それは数千年の歴史の中で繰り返されてきた決まりの一つ。そしてその子供を産む可能性を高めるため、大志族は一族内での婚姻を繰り返してきた。それもまた大志族を除く四家から定められた決まりの一つ。
大志族はただただ残りの四家と魔塔のためだけに血を繋ぐのみ。それを数千年続けてきたというから呆れたものだ。
大志族の当主は厳格な人形だった。魔塔から一族を守るために身内を切り捨てることはいとわない。
まあ魔力を持たないただの人が魔力持ちに勝てるわけがない。当主は正しい選択をしたこと。そして私を連れて逃げた父は間違っていたこと。今ではもう納得している。
「いくら私たちが大志族だからといって、攻撃されないわけじゃないわ。彼らはこの子を欲している。必ず奪いにくるわ」
「俺はどうなっても構わない。少しでも可能性があるのなら…それに守護者のこともある。13番神器が守ってくれるかもしれない。だから」
当主への掛け合いも虚しく、引き渡しの前日を迎える。
私は父に連れられ、魔塔の追手から逃げそして捕まった。だがその日の記憶はない。
あの日から13年後。
大志クレアは17歳になっていた。
「…で、1番神器様は中立区にヘルプに行くって?」
長い髪を後ろで三つ編みにし、槍を抱えながらぷかぷか浮かんでいる青年が声をかける。
「ああ、総統ご病気らしい。しかも成績は赤字だ」
銀髪に赤い目をしたクレアが紙の束を目の前に積み上げながら答える。これを今日中に処理するのは無謀だ。
「なあ、クレア様。あんたがヘルプに行くなんて余程だろう。中立区を立ち直らせるなんて馬鹿なことはやめたほうがいい。これ以上自分の首を絞めるものではないぞ」
「中立区は我が大志族の重要拠点だ。魔塔主が撤退させようとしているのだから対応せねばならないよ」
「でた、初代魔塔主の一族――大志族のなぞ義務感」
槍の青年の名前はカイル・アス・マジュール。2番目の神器と契約する神器契約者「イレブン」の一人だ。
そしてクレアは1番目の神器と契約した契約者であり、次期魔塔主らしい。らしいというのは魔塔が勝手に指名しているだけであり、クレアの意思は通っていない。
「てか、紅月院の隊長職と次期魔塔主に中立区総統代理って…忙しくて禿げそう」
「手伝ってくれるだろ?相棒のカイルくん?」
「うへ」
特別な力を持つ神器のなかでもナンバーズと呼ばれる武器がある。そのナンバーズ11番以内の神器をイレブンと呼び、イレブンの契約者は紅月院という部隊に所属していた。
その紅月院の隊長であり、魔力持ちが属する魔塔の次期主。そしてこの度、魔塔が治める自治区、中立区の総統代理に就任した。
悲しいかな、一人ではこなせない業務量に、クレアの副官と紅月院での相棒カイルは付き合わされていた。まあ、違法ではないので大丈夫だ。
「りまとタツマが泣いてたぞ。過労死する夢をみたらしい」
「大丈夫だ。今日から部下が増えるからね」
「もしや…中立区の…」
「ああ、軍団長に手伝ってもらおうかと」
「いや、お前の仕事についてこれねえだろ。中立区が落ちこぼれたのは彼らの怠慢のせい――」
「育てる人がいなかったんだ。なにもわからない魔力持ちには、荷が重いだろうね」
中立区と呼ばれる自治区には、魔力持ちとして差別され逃げてきた隊員が大半を占めている。そのうえ、五家から派遣されてきた魔力持ちは少数派。一族を落ちこぼれ、左遷されてきた者たちがほとんどだ。
中立区の戦績や業績は他自治区に惨敗していた。近年では予算も縮小され、近隣諸国からも足元を見られる始末。
大志族がまとめ上げた自治領として名をはせた歴史は見る影もなく。大志族嫌いの現魔塔主に自治区の合併を宣告されていた。
数日前、中立区総統が魔塔主に頭を下げているところを目撃し、仲裁に入ったことで立て直しを任されてしまったのだ。
「まあ、ゆっくりやるよ」
「…時間、あるのかよ」
出発前の雑談が終了すると、クレアの副官であるタツマが戻ってきた。最終のシフト調整に翻弄していたので、目の下に黒いクマがひろがっていた。
「おつかれさまでございます、クレア」
「ああ、おつかれ」
「よお、タツマ・ラングレー・ヒオウ」
緋桜家の特徴である黒髪に、宝石眼を持つ青年は、緋桜家の血を半分引くハーフだ。一見すると髪色は緋桜、瞳はラングレーの特徴を引き継いでいる。
クレアの副官になり5年ほど経つが護衛としても秘書としてもすばらしい能力を発揮している。魔力を持たない只人であるというのに。
「クレア、第二副官りまが中央区を担当すると張り切っておりますが、お任せしてもよろしいでしょうか」
「ああ、問題ないよ。りまも思うところがあるようだ」
第二副官のりまは金髪碧眼で、クレアと同い年であった。只人だが医術の名門クライド家の出身のため医官としてサポートすることが多い。
中央区にある村の出身の為、張り切っているようだ。
「それでは参りましょうか」
「今日は入隊式だったね。楽しみだな」
「あまり期待しないほうがよろしいかと」
タツマは大げさに肩をすくめて見せる。初めて着用した中立区の軍服がよく似合っている。
ほとんど着る機会はないだろうが、紅月院の軍服より本人もしっくり来ているようだ。
対してクレアは、白いワンピースに軍のコートを羽織っただけ。ブーツは馴染みの特注品だ。中立区に馴染む気配はなさそうだ。
「じゃあ、カイル。行ってくるから」
「後はよろしくお願いいたします。カイル殿」
転移術を無詠唱で発動し、二人は転移禁止結界の張られた中立区の執務室へ転移した。
数日前のことだ。
季節に似合わない大雨が降る日。
クレアは魔塔主に呼ばれ、魔塔へやってきた。
魔塔内では転移を禁じられているため、おとなしく廊下を歩いていたとき。すすり泣く老人の声と罵声が聞こえてきた。
といっても鍛えられた聴覚が拾ったので、凡人には聞こえないほど遠い距離の出来事である。
「んー―」
今日も魔塔主の機嫌が悪いようだと思いながら、外套を目深にかぶり廊下を進む。
成り行きで次期魔塔主に任命されたが、権限など与えられていないに等しい。寿命の短い大志族に次期魔塔主をやらせ、早々に同じ派閥の者とすり替えるつもりだろう。
まして人権の存在しない紅月院の神器契約者にやらせるのだ。魔塔主の考えは容易に想像ができる。
魔力持ちの中で、大きな派閥が二つ存在している。魔力持ちで世界を支配しようとする革新派。互いに強調しながら世界の発展を目指す大志派。なぜ大志派というと、大志族の初代当主から続く考えだからだという。
そして、歴代魔塔主は、二つの派閥が交互に長として選ばれる。任期の短い長いは問わず、次期だ。権力の少ない次期魔塔主が任期中に死亡した場合も代替わりは次の派閥になる。必然的に大志派の主力として扱われるようになるクレアが、推薦されたのは容易なことであった。死地へ行くことの多い紅月院の隊員で、低寿命でしられる大志族の生まれだ。
次期魔塔主とはいえ仕事は振られるが、人前に出るような仕事は一切なく。隙あらば事情を知らない革新派による暗殺者が差し向けられる手前。めんどうくさくて魔塔内では姿を隠すことが多くなっていた。
歴代次期魔塔主も同様に、正式な地位に就くまで公表されることはなかったらしい。
魔塔主は魔力持ちの王のような存在だ。魔力持ちが逃げ住む自治区すべてを管理し、魔力持ちで構成される組織、部隊を動かす立場にある。
それは皇帝のようでもあり、傭兵王のようでもあった。
魔塔主の部屋に近づくにつれ、声がよく聞こえてくる。
怒っている理由は、中立区の成績についてらしい。それはそうだろうな、と思いながら中庭を見る。
雨に濡れた中立区総統が頭を下げ、泥に顔をうずめている。中立区が合併されると、中立区で働く隊員の居場所がなくなる。
住民は何も変化がないだろうし、住みやすくなるかもしれないが…。
彼らにとっては死活問題なのだ。
「これは、参ったな」
五家が一角、大志族が一人。
大志族唯一の魔力持ちにして、中立区は大志族にとって縁のある組織であり場所だ。
表舞台に立つ気はなかったが。
「仕方ない」
クレアは中庭へ身をよりだし、総統のもとへ歩んだ。
雨具の代わりでもある外套を着てきてよかったと思いながら、泥でブーツが汚れるのを気にすることなく進む。
総統の前に立つと、転移術で傘を取り出した。
「え…?」
泥で汚れた顔を上げた総統と目が合う。
クレアはフードを下ろし、顔を見せた。
「お初にお目にかかります、中立区総統。私は――」
「大志、族」
「いやだな。お化けを見たような顔をしないでくださいよ」
大志族の特徴である銀髪は、唯一の一族であることを証明する。そしてクレアの赤い目は、大志族の魔力持ちであることを証明していた。
髪を見られただけで大志族と敬われるのに疲弊し、髪を染めようとしたこともあったが、魔力に満ちた髪には染色液など意味をなさなかった。同様に、薬や呪いといった類でも全て無に帰してしまう。
それは魔力持ちでない大志族も同様で、彼らが神聖皇国の主として君臨できた所以でもある。クレア自身もまた、紅月院の隊員から壊れ物を扱うように対応されており、唯一ため口なカイルを気に入っていたのだった。
「今代に大志様がおられるとは聞いておりませんでしたが、このようなお見苦しいところをお見せして…何とお詫び申し上げれば…」
先ほどまでいたであろう魔塔主は自室へ引き下がっているようだった。
「緋桜家のごく一部と魔塔…とりわけ元老院しか知らないからね。大志族の魔力持ちが今代にいて、魔塔を自由に歩ける権利を持っていることを」
「それでは…!」
大志族から得られる利益は大きい。
そのため、幼いころは幽閉されて育てられた。縁あって神器契約者になってからは、多少外界との接触を許され行動している。
それでも会える人、行ける場所。そして一日のスケジュール全てに干渉と監視を受けていた。また上層部といえる一部の人間にのみ、存在を知られ、次期魔塔主であることも公表されていないので、知るものはわずかだ。
「まあ、大志族嫌いの当代が考えそうなことだろう?大志派への代替わりの阻止に都合がよく、死地へ送ることができる隊員。直接殺さないのは、私が利益を生み出す人形であり、大志族を崇拝する者たちの勢力を恐れているからだろうね」
大志族が次期魔塔主であることを知らないことを良いことに、革新派の暗殺者を止める気配もない。
「ま、それは良い。どうでもよいことだ」
「大志、様?」
「私は君に問いたいんだ。中立区の現状と、私が力になれるかどうかを」
総統は目を見開き、口元をわなわなと震わせる。
予算もなく、人員の補充もままならない。経験を積んだ隊員などいなかっただろう。
その環境でここまで持たせたのは、現中立区総統の手腕に他ならない。
クレアが左手を差し出すと、切り傷だらけの両手に包まれた。
「ああ、期待していてくれ。そして、今まで見ていなかったことを許してほしい。私も自分のことで精一杯でね」
「よろしくお願いします…」
意識を失う体を抱きとめると、転移術で中立区へ送った。
そのまま魔塔主の要件を果たしつつ、中立区への代行権を手に入れる。
代行になるということは、表舞台に立つということ。
人目にさらされ、当代大志族がいることを知られてしまう。これまで以上に忙しくなるだろうし、狙われることも増えるだろう。それでも。
託された組織を立て直すことを、心に固く誓った。
大志族
銀髪に紫色の瞳を持ち、神聖皇国を古の時代から治めてきた一族とされている。
生まれつき魔法への親和力が非常に高く、ある周期で膨大な魔力を持つ子が生まれる。