第0話
緋桜無数の蝋燭が浮かぶ洞窟の中。
煤と返り血で汚れた白装束の男はひざまずき、白い太刀をきつく抱きしめていた。
忠誠の象徴である赤い瞳を持ち、青みがかった長髪の男の名は、緋桜ライトという。“大志族”に絶対的な忠誠を数千年に渡って誓い、守護してきた家の出だ。
魔法の祖ともいえる大志族にお使えし、緋桜家現当主として幼い時から生きてきた。大志様にお仕えする、それが全てだった。
それなのに。
「う…うう…」
こらえきれず嗚咽をあげる。
どうしてこうなったのか。何が間違っていたのか。
大罪人として追われるのはよい。一家断絶もかまわない。むしろそうなるべきだったというのに。
ライトにとって最悪ともいえる結末…愛する人を失った。
全てを尽くして敬愛と尊敬を、そして愛をささげた主を失った。
寿命で失うのは仕方がない。その時は後を追えばよい。
自分がそばにいない場所で、人知れず、拷問を受けて死んだのだ。
正確には、人であることを喪失させられた。
ライトは抱きしめていた白い太刀を静かに膝の上に下ろす。
いつしか神器と呼ばれるようになったその太刀は、先ほどまで血に濡れていたというのに、白く輝いている。神々しい光が鞘に収まらず、あたりを明るく照らしていた。
受け入れがたい現実を、白い光がありありと実感させる。
今にも崩れ落ちそうな精神を必死に保ちながら、ここまで逃げてきた。“彼女”を抱えて、三日三晩寝ずの逃走劇を繰り広げた。ただ少し特別な武器を盗んだ罪人として、“只人”に追われたのだ。
魔法を魔石なしでは使えない只人に、手も足も出ず逃げ帰った。魔石を使った魔法は威力が低く、生活魔法程度にしか使えない。魔石に封じられた魔力が尽きれば、それ以上魔法を使うことはできない。
只人には魔力を生み出すコアがない。どれだけ訓練しようが生まれ持った瞬間に魔力の有無が決まるのだ。圧倒的に人数の多い只人と、魔力を生まれ持った"魔人"は少数だ。
「神器使いが…」
彼らが"神器"さえ手にしていなければ、魔力上限もなく魔法を行使できるライトが負けるはずがなかった。多少無理をしなければ尽きることのない魔力を持ち、魔石を使った魔法とは違い発動時間もかからない。
魔人は異端として迫害を受けていたが、大志族を筆頭とする五家は違った。魔法が生まれた時代から魔人の血を繋ぎ、知識を生み出してきた。国家によっては王族待遇で迎えられ、世界の繁栄を導く者として崇められる。
しかし、魔人の血をつなげる五家とは違い、只人から突然生まれる魔人は違った。
五家の魔人よりも魔力は強くなく、魔力の使い方を学ぶ手段もない。それゆえ、魔力暴走で多数の被害を出すこともあり、世間からは迫害の対象だった。
戦争の兵器として、生活を支える魔石がわりの奴隷として、使役されることが多かった。魔力が尽きれば死にいたる道具は、時として使い勝手が悪いと呆れられる。道具としての価値しか見出さなかった人々は、残酷なことを考え始めた。
壊れない道具を作ればいい。
数年前より研究された秘術――人体魔剣化計画。
世界の異端である魔人をいかに有効的に処理するか。只人の王である人間たちと、魔人の反逆者が手を組み始まった計画は、抵抗の甲斐もなく完遂した。
魔人たち反発を恐れ、名誉の象徴と“神器”と名を変えたが、本質は変わらない。神器にされた魔人は、死ぬことも人格を失うこともできず、ただ魔力を放出するだけの存在になり果てる。そして、自ら生み出す魔力によって、自己修復され、壊れることも死ぬこともできなくなる。
人格を失わないのは、魔力が人間の生命力より生み出されるものだからだろう。永遠に魔力を生み出す武器として、人としてのカタチを失わせない必要があったのだ。
魔人として只人に使役され迫害されるのに疲れた一部の人々は死を望み率先して名乗り出たという。それが、永遠に武器として使役されることになると知らずに。
そして噂が広まるにつれて、従わぬ魔人を強制的に神器へと変えはじめた。
反逆者の邪魔をしなければ絶対に神器化されないという確証があったというのに、彼女は見て見ぬふりをしなかった。いや、大志族として、五家の筆頭として崇められる一族の当主が、できるはずはない。
彼女は神器化された人を元に戻す研究を始めたが、すでに失った肉体を元に戻すことなどできなかった。ゆえに、神器化の術式を永遠に失わせる術式を生み出し、件の計画を止めた。これ以上犠牲者を出さないために、すでに神器となった者を見捨てたのだった。
彼らはこの先も壊れることなく、戦争の道具になり果てた。魔力を自ら生み出せない只人でさえ、殺人鬼になる能力を与え続けて。
そして彼女はその後、術式放棄を要求した彼らの手にかかり、命を失うことになる。
――と、ライトは聞いた。
腰に差した、元魔人の友人に。
「シノ…なぜ彼女は神器化しているんだ。あの術式は消失したはずだろう」
先の戦闘より声の聞こえなくなった神器に、問いかける。
神器が壊れるはずはないが、まだ解明されていないことも多い。もしかしたら神器も眠りにつくのかもしれない。
彼女を救えなかった後悔にかられ、神器を奪いにいくことには成功した。だがこの先のプランがない。
魔力が消耗し、睡眠さえまともにとれていないこの状況では、さらなる戦闘は厳しい。
まして、神器戦となれば。
それに、神器を人に戻すことは不可能と、彼女が結論づけたのだ。一縷の望みなどありはしない。
「俺はこれからどうしたら…」
生きる指標ともいえる存在を失った。
生まれた時から神のようなものだと教えられてきたのだ。
共に生き、ともに死ぬ。
それがかなわなかったとしても、後を追うべきではあるが…。
緋桜の屋敷が心配だ。
反逆者にとっては、彼女を匿っていた場所である。
弟と仲間が暮らす緋桜家本家でもある。
いくら複数の魔人がいようが、神器がそろえば手も足もでない。それ以上に緋桜家が断絶した場合…
――子孫はどうなる。
残された大志族の人間は、自らの身を守ることはできないだろう。
なにせ大志の一族は、ほとんどが只人で生まれてくる。まれに生まれる魔力を持った子が膨大な魔力を持つとはいえ、幼き身で自らを守れるはずがない。
そのために緋桜の魔人が傍で守り、支え、繋いできた。
魔力を持つだけで兵器や奴隷として使役される世だ。
魔人の数万倍の魔力を持つ子を彼らが狙わないはずがない。
「次を…守らなければ…」
かすれた声が洞窟に反響した。
幸いこの洞窟は、事前に隠れ家として術式を敷いていた場所だ。
緋桜家本家との連絡は容易い。魔力なくともできるよう調整してある。
「緋桜の人間として、大志族を守らねば」
これからなすことは見えた。
それを成し遂げる未来も見える。
だから…
それが終わったら後を追おう。そう白い太刀に微笑んだ。
はじめまして!
ずいぶん昔…確か中学生の頃にちょこっと書いていた小説をやっとのことで書きはじめました。