闇
一面の闇。一条の光すら差すことのない暗黒世界。
アレを追ってきたはずが、闇の中に放り出されたオレはパニック状態に陥る。深い闇の中では平衡感覚すら鈍化し、空中遊泳でもするかのような格好でじたばたと踠くしかなかった。
「やあ、よく来たね」
声と同時にパッと周囲に明かりが灯り、闇の中には不自然すぎるほどの優美な玉座が見えた。
オレは誘蛾灯に群がる羽虫の如く、闇の中を玉座に向かってふらふらと進んでいく。
豪奢な椅子に腰掛けているのは、まだあどけなさが残る少年だ。
少年は立ち上がり、オレに向かって恭しくお辞儀をして見せた。
「オレはアレを追ってきたはずだが……ここはどこだ」
「そうだよね、知ってるよ。僕がここに君を呼んだのさ。ここは僕だけの闇の世界。よかったら、少し僕とお喋りしようよ」
歳の割には落ち着いてみえる少年は柔和な雰囲気と共に、絶対零度の冷たさのような緊張感も放っている。
闇の中、一筋の光を浴びて佇む少年はどこか神秘的で、人間離れした妖しさを醸し出していた。
「お前……人間……ではないよな。もしかして神とか妖の類か?」
オレが問いかけると少年はキョトンとした顔を見せた後、静かに笑い出す。
「神? 失礼だね。あんなものと僕達を同一視しないでほしいな。
……神、というのは君達人間が考え出した困ったときにだけ縋りたい、いわば偶像だよね。もっと現実的に考えてよ。僕達は人類にとって、神様や自然なんかより、もっと身近な存在だよ?」
対峙しているだけで胃がキリキリと痛むような圧迫感を覚え、拭いきれないほどの不快で身体中が包まれていく。一秒でも長くこの場にいたくない。そう感じたオレは嫌悪感を隠さずに少年を見据える。
「もういい、禅問答なら他でやる。アレがいないならこの場所に用はない。もう話すこともないし、帰らせてもらう」
「彼女が君を選んだ理由を教えてあげようか?」
踵を返し、その場を去ろうとした刹那、少年の言葉に脳が直接反応し、オレの指先がピクンと跳ねた。
「それは、オレが悩んでたら突然声が聞こえて……」
少年に背を向けたまま、オレが答えると、少年は口角を上げ実に満足そうな声をだした。
「そう、まさにそれだよ。彼女も君と同じなんだよ。もっとも、彼女の場合はもっと高尚な領域でソレを行なっているんだけれどね」
「待ってくれ、もう少しわかりやすく説明してくれ。アレの目的は一体なんなんだよ」
「……残念。時間切れだ」
闇の中、突如飛来する影が一つ。
オレと少年のあいだに割って入ってきた影を見つめ、少年は心底つまらなそうに玉座に腰掛けた。
『やってくれましたね』
「そうでもないさ。君が彼に何も説明しようとしないから、変わりに僕が教えてあげようと思っただけだよ」
『ワタシ達は似て非なる者。手出しはしないでいただきたい。ワタシにはワタシのやり方があります。オレ、帰りましょう』
「君のやり方は理不尽なだけだよ。なんなら、僕が代わりにやろうか? そのほうが彼もきっと幸せだろうからね」
『余計なお世話です。ワタシも怒りますよ……』
アレと少年の間に一触即発の空気が流れる。
剥き出しの殺意を放ち、アレが今にも飛び出そうとしているのを見て、少年も静かに立ち上がる。
先に動いたのはアレ。右腕を天高く差し上げ呪文を唱えると、上空から飛来した閃光が瞬時に分裂し、無数の刃となって少年に向かい高速で疾走る。
少年は迫り来る光条をすんでのところで躱し切り、一気に距離を詰め、おちょくるようにアレを覗き込む。
「君は昔からそうだよね。そうやって何人消してきたのかな?」
『……黙りなさいッ!』
少年の余裕な態度を不遜と見たか、アレが激昂する。
アレの叫びと共に空間が爆裂し、幾千万もの輝線が大気を引き裂きながらグングンと加速し、熱気を撒き散らしながら少年へと迫る。
少年は迫り来る熱線の流れを読み取り、回避しながらアレの背後へと回り込み、一息吐くと衣服についた埃を叩いて払う。
「君もわかっているだろうに何故無駄な行為を繰り返すかな」
『無駄だとわかっても腹が立ちます。言われたままで黙ってはいられません』
アレが半ばヤケクソ気味に放った風の刃をさらりとかわし、少年は大きなため息を一つ。
「君は◇√∇‰⇔で僕は⇔‰∇√◇。お互いに互いを抹消できない存在だと認知しながら更に挑戦するのか、面白いね。僕も試してみようかな!」
少年が腕を交差させると、大気が逆巻き、光の奔流が渦となり一点に収束していく。触れたら死ぬ。そんなことが本能的にわかるほどの威光。禍々しくも美しい光球が闇の世界に降臨した。
「これを放っても恐らく君は死ねない。でも間違いなく彼は死ぬ。それはわかっているよね? でも僕は寛大だ、君が先に矛を収めて詫びるなら、今回の非礼はなかった事にしてあげるよ」
永遠にも感じられる刹那の静寂。
アレは深刻な表情で何事かを呟いている。
『……わかりました。数々の無礼、失礼しました。おとなしく、この場を去りましょう。でも、もし今後も我々の関係に茶々を入れるようなことがあれば、その時は確実に貴方を抹消する方法を持って、この場に来ます』
「何度も言わせるなよ。僕達は死なない。それは不可能だ」
クツクツと笑う少年を一瞥した後、オレとアレは闇の世界から離脱した。