もうオレは迷わない。弱き心との訣別。
──行かないで、と女が言った。
澄み切った青空のような美しい紺碧の瞳で男を見据え、大切な人を失いたくないと、泣きながら懇願した。
男の胸中に渦巻くものは、悲観的な感情。
命を張る事に何の躊躇いもない。戦うことを悩んだこともない。
そして何より死ぬつもりなど毛頭ない。
だからこそ、彼女の懇願は見当違いで、煩わしかった。
昔馴染みを泣かせたかったわけではない。
ただ、誰かがいかねば全てが終わると理解していたから。
今から戦う相手が不可能殺しであろうと、男の決意は揺るがない。
「今、このタイミングで俺がこの場にいるのも何かの運命だろう。俺には戦う力がある。俺には奴を止められる可能性がある。
俺の目を見ろ。今俺の瞳に映っているのは、誰よりも俺を理解している女だ。守るために戦う戦士の意志を尊重できる女だ。わかってくれるな?」
「よくそんなクサイセリフが真顔で言える……。また自分に酔ってるのね。何度行かないでっていったらわかるの。カズくんは昔からヒーローに憧れてるだけなのよ? それに死んで欲しくないってのは本心だから。……もぅいいわ、好きにしなさい」
女は男が一度口にしたことを絶対に曲げない事を思い出した。
やがて女は諦め、死地へと向かう男を健気に見送った。
◇ ◇ ◇ ◇
異界と異界を繋ぐ暗黒の運河。エニグマしか存在を知らない次元の狭間にある超空間を、オレと曄は駆け抜ける。
「なんだか逆に、ワクワクしてきたのぅ! 妾達が世界の敵か、面白い! 逆境をはねのけてこそ正義の味方じゃ!」
曄がウキウキとした表情で言うが、オレは困惑している。
「笑えないよ。とりあえず10番街に戻るけど、10番にも伝令は行ってるんだよな……どうしたものか……」
オレが思案に暮れていると、超空間のど真ん中に人影が立っていた。
首に赤いマフラーを巻いた長身の男が、腕組みをしながら、二人を鋭い眼光で睥睨している。超空間には風もないのに、マフラーが常に靡いている。
「ここにいるってことは、アンタもオレと同類だな。10番街に行きたいだけだ、道を譲ってくれ」
「行かせねえよ。お前が不可能殺しだな。俺は17番、名はカズキ。この先には守るべきものがたくさんあるんでね。悪いがここで消えてもらう」
カズキが紅蓮の闘気を放ち二人を威嚇する。
オレは自身が世界中から憎まれ、悪人扱いされているのが現実なのだと認識し落胆する。
「ほぅ、意気込みやよし。しかし、妾たちを止めることなどできぬ。死ぬのは貴様じゃ」
芝居じみた口調で曄が言う。まるで敵方の台詞だ。
オレは信じられないといった表情で曄を問い詰める。
「何挑発してんだよ、穏便にいこう。一応相手もエニグマだぞ」
「ノリが悪いのー。今の状況を楽しむのじゃ! ウジウジしてても仕方あるまい。ほれ、お主も悪役らしく、気の利いた台詞の一つでも言わぬか!」
「えっ!? あぁ、えーと、ガハハ、モモノ姫はいただいた、助けたければ、ワールド8まで……いてぇ!」
オレとしては最大限、悪役らしい台詞をチョイスしたつもりだったが、曄のお気に召さなかったらしい。
割と強めに頭を殴られてしまった。
「もうよい、遊びはしまいじゃ、本気でやるぞ。──オレがな」
「オレかよ!?」
戦闘前にボケツッコミを入れる悪役など見たくない。
二人は壊滅的に悪役が似合わないことが確定した。
長々と茶番に付き合ってくれていたカズキも我慢の限度を過ぎたのか、猛然と突き進み、オレの顔面を殴りつける。
迫り来る右の拳をギリギリで躱すと、追撃の左アッパーが飛んできた。体勢的に躱すのが難しく、カズキの拳が顎先を掠める。
直後、視界がグラつく。
顎を掠めた一撃が脳を揺さぶり、軽い脳震盪を起こしていた。
足に力が入らず、ガクガクと震える。
カズキはその隙を逃すまいと、高速のボディラッシュをオレの腹部に痛烈に叩き込んだ。
オレの体に重く、早い一撃が次々と叩き込まれる。
痛みを感じる。体が破壊されそうだ。今のオレは人間の側が強く出ており、不死身ではなかった。断ち切れそうになる意識を気合いで繋ぎ止め、何とかカズキの猛攻を耐え凌ぐ。
「つまらん奴だぜ、貴様は空っぽだ、貴様を殴っても何も感じねぇ。戦う男の気概をまるで感じない、貴様のような奴に仲間が何人も殺されたかと思うと反吐が出るぜ」
吐き捨てるようにカズキが言う。オレは虚ろな眼で、自身の両手を見つめる。
「……そう、だな。オレは何もかもが、中途半端だ。人間でも、化け物でもない。正義にも悪にも、なり切れてない……しょうが、ないよ、な。自分自身、何者かもわかってないんだから、オレは、どうすれば……」
またオレの悪癖が出ていた。
追い込まれると、途端にネガティブな思考に陥る。
人間味があると言えばそれまでだが、こと戦闘に関しては致命的欠陥である。
「はぁ〜。お主、つい先程、オレは諦めないと言ったばかりであろう。決意が揺らぐような男を妾は好かぬ。お主はお主じゃ、名前など必要ない。理屈より前にまず行動せぬか、シャキッとせい、男の子じゃろ!」
まるで子を励ます母親の口調だ。
しかしオレに喝を入れるには充分だったようで、空っぽの瞳に光が宿る。
「曄、ありがとう。確かにオレの発言はブレブレだな。弱気になると、すぐに気持ちが迷う、臆する、逃げようとする。人間だから仕方ないさ。でも迷うのも悩むのも、これが最後だ。オレを憎む世界も丸ごと救ってやる。そして今、ハッキリ言えるのは──オレはお前を倒したい」
迷いを断ち切ったオレの全身から稲光が疾る。
気力に満ちた眼でカズキを見つめ、拳を固めて戦意を高める。
「ようやく男の目になったな。不思議な奴だぜ、敵のクセに助けてやりたくなる。さぁこい不可能殺し。決着をつけよう」




