オレは絶対に喰われない
──オレが初めてアレと邂逅してから数日が過ぎていた。
オレはその数日間を最大限無駄なく理由して、自身の状況と家の状態を調べ上げ、脱出の方法を試行錯誤していた。
異常な事態を嘆くでもなく、むしろ楽しんでいる。見ようによっては人生を謳歌しているようにも映るだろう。
アレは様子見という名目で午後七時に必ず現れる。
そして一言二言、言葉を交わすと空間の裂け目に姿を消し、丸一日姿を見せない。
外に通じる扉は絶対に開かないし、ガラス張りの窓も、いかなる衝撃を与えても割れることはなく、正規手段での脱出は断念した。
電気、ガス、水道等は機能しており、日常生活を過ごすだけなら非常に快適だったが、快適な生活に慣れてしまうと脱出への意欲が薄れてしまうために意図的に生活水準を下げて暮らしている。
アレを殺すということも手段の一つとして考えては見たものの、オレは即座にその考えは捨て去った。
殺人を犯したくないというのは当然として、毎日顔を合わせているうちにオレはアレに奇妙な親近感を覚えていた。
愛着が湧いたというわけでなく、彼女を見ていると何か本来の自分を思い出すような、自分に足りない何かを補ってくれているような、不思議な感覚に陥ることが多々あり、いつしか彼女に対する負の感情は一切抱かなくなっていた。
「よし、今日もできることからやっていこう」
世界から隔離されているためか電波が届かず、テレビもラジオもその機能を果たしていない。結果、必然的に独り言が多くなっていた。
幸い、午後七時に必ずアレが現れるので、数分という短い時間といえど、他人と会話はできる。
それすらなかったら完全に精神を病んでしまっているだろう。
「だいぶ様になってきたかな」
鏡の前で、フットワークを刻みながらオレは悦に浸る。
オレは無駄な時間を過ごさまいと、ほぼ全ての時間を自身の鍛錬に当てていた。いつかやるだろうと買ったまま埃をかぶっていたボクシングの教科書、剣の指南書、等々、武術の心得を水を吸うスポンジのように吸収し、トレーニング器具が充実していたことから、技術に必要な筋力も並行して身につけることができた。
時間だけは無尽蔵にある。
今まで出来なかったこと、放置していた事を次々と消化し、膨大な時間と引き換えに自信の肉体と精神を人としての限界レベルまで鍛え上げる事ができた。
『こんばんは!』
いつもの調子でアレが現れるのをオレは今か今かと待ち構えていた。
時を伺い、思案を重ね、自身のコンディションがベストだと判断した今、オレはある一つの妙案を試す気でいた。
「よう! 今日は遅かったな」
『へ? いつも通りだと思いますけど……』
「そうか。まっ、思い人を待つ時間は長く感じるってことで」
オレが余裕の態度で言葉を紡ぐと、アレは珍しく表情をコロコロと変え、今までにない反応を見せる。
『思いび……ななっ!! 何を!? というか、オレ、少し感じが変わりました??』
いつもと雰囲気が違うオレの様子にアレは動転したのだろう。
「今日は、お前にどうしても言いたいことがある」
『はっ、はい!』
自信に満ち満ちたオレの言葉に気圧され、アレはおずおずと後退する。
「オレは絶対にアレに喰われねぇ!」
ビッと指を差し、有無を言わせぬような迫力でオレは言い切ると、アレはそれをどう受けとったのか、呆然として立ち尽くしていた。
「いや、なんで黙ってるんだよ。何か言えよ!」
『あの……えっと……いえ、何でもないです。ではまた後ほど』
そそくさと、その場を立ち去るアレの姿が完全に見えなくなるのを確認したオレは作戦を結構すべく一気に加速し、アレの後を追い、空間の裂け目に自ら飛び込んた。