未来は不変。まさかの共闘。
「また、ダメだったか……」
じわじわと精神を蝕む心労と焦燥に眉を顰める。
霞む視界で天井から差し込む光を見つめ深く嘆息。
隔離空間から脱出するための方法を探していて、一か八か窓から飛び降りたら何故か天井から落ちてきた。
これがギャグ漫画なら大笑いするシーンだろうな。
「……ッツぅ──」
立ち上がろうと腕に力を入れようとして驚愕する。
右腕がない。
いや、動かないからそう感じただけで腕はついている。
どうやら無茶をしたせいで脱臼したらしい。
「グッ、がッ、ふ、っ──」
外れた関節を力任せに強引に捩じ込む。
激痛が走るが唇を噛んでなんとか堪える。
「アレとかいう女、オレを地球から隔離して放置かよ。
こんなの望んでないっての……絶対に脱出してやる」
何もかも分からないことだらけ。
退屈な毎日から抜け出したいと考えていたのは間違いのない事実だが、これだと非現実が過ぎて笑えない。
「白い光に包まれたら異空間に飛ばされたって、職場で同僚が話してた漫画の話に似てるな……」
一人でいることに慣れているせいか、独り言が自然と口から出る。孤独な人間はどこまでいっても孤独らしい。
閉じ込められている世界を見渡す。
殺風景で無駄に広い空間。時間も事象も存在しない世界。先程落下してきた箇所から光が差しているのを見るに地下空間ではないと思う。
状況は絶望的。こうなったら最後の手段だ。
「──神様! いるなら助けてください! なんて……」
嘆くような祈りの声が異空間の中を虚しく反響する。
普段は神なんて微塵も信じていない人間が、追い込まれた途端に縋る思いで両手を合わせる。本当に神が存在していたら、今のオレを見て笑っているに違いない。
「いいだろう。救ってやる。ただし、死神だがな」
神への願いに応えるかのように背後から声が聞こえた。
「良かった! 他にも人がいたんだ、な……」
振り向いた先にいた人物を前に瞠目する。
人間の身体に狼の顔。鋭い眼光から放たれる殺意と圧力。漫画の中でしか見たことがないような異形の怪物。
──ドクン。
心臓が跳ねた。
胃液が口まで上がり、横隔膜が揺れ、形容できない恐怖と不安で不快な悪寒が背筋を這い回る。
逃げなければ死ぬ。それだけは瞬時に理解できた。
震える膝に喝を入れ、もつれる足で異空間を走る。
「嘘だ、嘘だ、嘘に決まってる。
狼男、目の錯覚だ。オレはまだ狂っていない──」
同じ光景が無限に広がる空間を走りながら、半狂乱状態で叫び続ける。
頬を叩き、髪を掻きむしり、夢から覚める事を期待するが願いが叶うことはない。
「……よう。また会ったな?」
走り続けた先で壁にぶつかる。
その壁は荒い呼吸で口から涎を垂らし、獲物を甚振るサディストのような声で話しかけてきた。
魂までも凍りつくような絶望に全身が支配される。
言葉が出ない。身体がピクリとも動かない。
圧倒的な恐怖で完全に封殺されてしまう。
「怖がることはない。今からチョイと心臓を抜くだけだ。痛みもなく一瞬で終わる。俺はプロだ、任せろよ」
狼男は口角を上げてイヤらしい笑みを浮かべる。
これは現実で絶対に逃げられない。完全に終わり。
そう確信し、脳が無理矢理に理解させようとしている。
「う、あぁ、ア──た、たすけ──」
喉の奥から絞り出した声を聞いた狼男は恍惚の表情を見せる。
「それだよ、それで良い。それが当然の反応だわな。
恨むなら自分を恨めよ。じゃあ、イクゼ?」
真紅の閃光が世界を満たしていく。
誰でもいい、もし神様がいるなら、どうかオレを助けてください。世界を憎んだまま消えたくはない。誰か。
「──あのぅ、もし? お取り込み中のところ失礼しますよ、なんてね、へっへ。フェンリルさん、アッシが来ましたぜ」
不意に話しかけて来たのは背の高い飄々とした男だ。
「……なんだ? テメェは……。
まさかレインスト!? クソが! なぜ代行者が……」
突然現れた男を見た狼男の様子が一変する。
「何故ってそりゃあ、世界の理を正すのがアッシの仕事なんでね? この場所に来るのは必然でしょうよ」
「──クソが! レインスト……クソ野郎が……。
おい小僧! 死にたくないだろ? そうだよな?」
狼男は焦りの色を隠さずに尋ねてくる。
余裕がないのか先程までの強烈な殺意も不可視の圧力も感じない。
死にたくないかと聞かれたら、ハイと答えるしかない。無言のまま首肯すると狼男は曇っていた表情をパッと晴らした。
「だろうな! 俺も死にたくないんだよ!
俺の名はギリナス。今から二人で協力して奴を倒すぞ、いいな?」
とてつもない急展開に思考が上手く回らない。
オレを殺そうとしていたギリナスと協力して、窮地を救ってくれたレインストを倒す? 意味がわからないし、戦うというのも普通の人間であるオレには無理な注文だ。
「あの、レインストさん?
オレを助けに来てくれたんだよな?
どう見ても狼男より、そっちが正義の味方だもんな」
「……未来は不変。運命は必ず収束する。
たった一つの生命がどう頑張っても変わる事はない。
アッシはね、そんな世界がたまらなく好きなんでさ。
お兄さん、残念だが、黙って死んでくださいよ。
──粒融溶剣」
レインストは虚空から警棒のような武器を取り出した。
人ならぬ闘気を放ち、唇を舐めて妖艶に微笑する。
異論を挟む余地がない。話してる内容も意味不明。
どうやらレインストは話し合う気がないようだ。
「アイツは生命じゃないから泣き言は通じない。
恐ろしい相手だが、何がなんでも倒すしかないんだ」
レインストは生きているように見えるが生命ではない。おかしな話だが、この状況では納得するしかない。
果たしてオレに戦えるのだろうか。
ただの人間に抗えるのだろうか。
考えても仕方がない。やらなければオレは死ぬ。
ならば今は胸中に渦巻く葛藤も疑問も振り払って前を見るしかない。
「わかった。でもオレの願いも聞いてくれ。
裏切りとかは無しでさ、もしこの場を切り抜ける事ができたら、その時はオレにも協力してほしい」
「ふん、ガキが。……ここで野垂れ死ぬよりはマシか。
いいだろう。もし奴を倒せたら仲間でも友達でも何にでもなってやる。──行くぜ、覚悟決めろや、小僧!」
「ああ! 頑張ってみるさ、人間なりにな!」
最後まで読んでいただきありがとうございました。