神と勇者
隔離世界と呼ばれる異様な空間。
真っ黒な闇の中にポツンと佇む大邸宅の二階の和室には神が住んでいる。
その神はかつて、全知全能と呼ばれ、崇め奉られていた。
生きとし生けるもの全てを慈しみ、自らの世界を寵愛していた。
しかし一瞬にして全てを失い、神は死んだ。
神は死の淵で、不思議な少女と契約を交わし、生きながらえた。
残ったのは見目麗しい乙女の姿と、ほんの少しの神聖能力。
守るべき世界もなく、生きる意味もなく、復讐心だけを胸に抱いた神は今、何を思うのか。
「いつまで不貞腐れているのだ、いい加減に気持ちを切り替えろ」
ミカは機嫌の悪そうな様子で朝っぱらから酒を飲んでいた。
ミカは神を臆することなく一括する刹那を見据え、気だるげな顔で話し始める。
「いいか? 普通なら、普通ならな?
ここはお手手そろえてアレスティラを止めましょうがスジだろうよ。セツ、お前の言ってることは全て正しい。故郷を消されたから復讐したい。あぁ、アタシもそうだし、充分な大義名分だ。義理に厚い女だ、アンタを応援しようともなる。だが状況をよく考えろ。今のアタシ達に何ができる? 籠の中の鳥だろうがよ。脱出も次の手も打てない状況なら、酒でも飲んで現実逃避するのが一番合理的だとアタシは思うね」
完全に絡み酒だった。
一方的に捲し立ててくるミカを見て、刹那は表情を崩さずに小さく呟く。
「荒れているな。彼女が恋しいか」
刹那の発言がミカの逆鱗に触れたのか、机を叩き、酒を飲んでいたお猪口を乱暴になげ、顔を赤くして立ちあがる。
「てめぇ、バカにするなよ。あんな化け物どうだっていいさ」
「私はどうでもよくないな。エドに復讐することを忘れたことなどない。いつも頭のどこかで奴を殺すことを考えている。……暴れて少しは気が晴れたか? 落ち着いたのなら座ったらどうだ」
ミカは黙ったまま座布団に座り、刹那もゆっくりと腰を下ろし、神と勇者が向かい合う。
「アタシだってノノのことを忘れたことはないさ。とぼけているようで芯があるし、一途で憎めないし、こんなアタシのことすきだって……言うし。この世界に来たとき、ノノがいなくて絶望したよ」
「ベタ惚れではないか」
刹那の発言にミカは一瞬ムッとしてみせるが、すぐに諦めた様子で話し出す。
「っせーな。あれだけ愛情を一心に向けられたら同性だろうが化け物だろうが靡かない女なんていないんだよ。……セツ、お前いくつだ。アンタも女なら一つ二つ経験はあるだろう?」
「私は十と七になる。物心ついた時から戦いを始めて、十五で魔王を滅ぼした。色恋に時間を当てる暇などあるはずもない」
「冷めてるねぇ。そういう女ほど、恋に落ちたときの落差がすごいもんだ。気をつけなよ」
「心得ておこう」
ミカが微笑むと刹那も微笑みを返した。
場の空気が静まるのを待ってから、オレが扉を開けて部屋へと入ってくる。
女性同士が争っている様を間近で聞いていたオレの表情は僅かに引き攣っていたが、刹那の隣に座る間際に顔を直す。
「ミカ、元神ならば奴らの正体がわかるのか」
「あぁ、わかるね。人間に分かるかどうかは別として、アタシは最近理解したよ」
刹那の問いにミカは自信満々の様子で即答する。
「では奴らは宇宙人なのか?」
「はぁ? なんだそりゃ」
刹那の突飛な発言にミカが思わず顔を顰める。
その様子を見ていたオレは顔を耳まで真っ赤にして二人の間に割って入り、ブンブンと手を振りながら否定する。
「いや、オレが例に出したのが宇宙人ってだけで……恥ずかしいな。刹那、覚えていたのか……からかわないでくれよ」
オレが恨めしげな目で刹那を見ると、ミカが楽しげに笑い始める。
「面白い奴らだな。お前ら、お似合いだよ。話を戻す。まずスーツの男な、名前は■◇◇◇】だが、理解出来ないだろう」
ミカがエドの正体を明かすと、刹那は頭に手を当て苦痛の表情を浮かべ、それとは対照的にオレは神妙な顔をする。
「頭痛がする。やめてくれ」
「オレはうっすら聞こえた。う、り……いや、う、みゅ? やっぱり、オレは……変わっていってる。どうなっているんだ、オレは」
不思議そうな顔で周囲を見回し、オレは自分に言い聞かせるように呟いていた。
「なるほど、アンタは理解しかけているね。ほんとに人間かい?」
「人間離れしているが、普通の人間だ。今の所はな。それで、正体がわかったとして、奴らを倒すことは可能なのだろうか」
刹那はオレの膝の上にそっと手を置いた。
困惑していたオレの表情がすっと和らぐ。
「常識的に考えれば不可能だね。倒す倒さない以前の問題だよ。しかし実際に奴らが何人か死んでいるならば、可能性はある。ノノさえいてくれればね。奴らの核心に迫ることも、ここから脱出することも出来るのによ……」
憂いを帯びた顔でミカが、ガックリと項垂れる。
その直後、空間が割れた。
異常を察知したオレが刹那に切れ目の入った空間を指差し伝えると、刀に手を掛けた刹那の表情が一気に険しくなる。
「奴らだ、来るぞ。私の思惑通りに事が運んだようだ。気を張れ、戦闘になるかもしれない」
刹那に耳元で囁かれたオレは首をコクリと振り答える。
ミカは気づいていないのか項垂れたままだった。
部屋の中に緊張が走る。
空間が裂け、中から人影がゆっくりと這い出してくる。
緊張の面持ちでオレと刹那が見つめていた先に立っていたのはサクラ色の髪が特徴的な可憐な少女だった。
少女はオレと刹那に喋らないように促し、ミカの耳元に忍足で近寄っていく。
「そんなにノノに会いたいのかなー?」
「一応アタシの女だしな。会いたくないことはない」
声色を変えてノノが尋ねると、下を向いたままミカが答える。 ミカの答えが余程嬉しかったのかノノの顔がパッと明るくなった。
「じゃあ次にノノと再開したら抱きしめちゃったりして?」
「……抱擁だろうが接吻だろうが何でもしてやるよ。戻ってきたらな」
ミカの言葉にノノは音も出さずにピョンピョンと飛び跳ねながら、全身で喜びを表現していた。
「っ!? ほんとに? その言葉に嘘偽りはありませんかー?」
「しつけーぞ! なんだってしてやると……ノ、ノ?」
ミカが顔をあげるとノノが笑顔で立っていた。
衣服に多少の汚れや、肌に擦り傷などを負っていたものの、普段の明るい少女のままの顔を見て、ミカは思わず涙ぐむ。
「希望通り本物のノノですよー? ミッちゃん、おいで?」
「てめっ、死んだかと……勝手にいなくなりやがって、ばか」
ノノが手を広げると、ミカは黙って抱きつき、思いのままに抱きしめた。それは恥も外聞も捨てたミカの心からの抱擁だった。
想像以上の熱い抱擁にノノは瞬間、息が詰まり仰天するが、すぐに落ち着いた顔になり、優しい声音でミカを甘やかす。
「おーよしよし。寂しかったねー。もうノノはどこにもいきませんからねー」
胸の中にいるミカの頭部を、ノノは愛おしそうに撫でている。
ノノはミカの温もりを堪能し、溢れんばかりの笑みをこぼした。
「何というか、微笑ましいな。でもミカが主人じゃなかったか?」
「恐らくこれが本来の形なのだろう。ミカは意地を張っているだけで幼さを残している。対してノノは常に余裕と包容力がある。
依存関係になった場合、こうなるのは必然だ。まぁ、どちらにしても仲睦まじくていいではないか。仲間でいてくれるうちはな」
女子二人がいちゃついている様子をオレと刹那は離れた位置から眺めていた。というより、近寄れる雰囲気ではない。
「ノノが来てくれて、何か状況は変わるのかな」
「当然だ。何もかも変わる。忙しくなるぞ」
刹那が力強く言うのを見て、オレも強く頷いた。