既視感のある部屋
名前を奪われた青年オレが怒りの表情を浮かべて呟く。
「平和で退屈な世界ってオレの家のことかよ、バカにしやがって……」
アレスティラに冷たく突き放されたオレは地球から切り離された隔離世界兼自宅に閉じ込められていた。
あいも変わらず住居としての機能は完璧で、電気、水道、ガスが通っているのはもちろんのこと、食事や娯楽の類も充実している。
特筆すべきは全ての資源が尽きないことにある。
食材や日用品などを消費しても翌日には補充され、家具や衣類、その他諸々は例え破壊しようが燃やそうがその場で復元する。
その特異な性質を利用してオレは日夜修行に励んでいた。
隔離世界に閉じ込められてから長い時間が経過していた。
オレはほぼ全ての時間を鍛錬に当てていたため、雷撃のコントロールすらままならかった頃と比べれば劇的な成長を遂げている。
「もうオレは負けない。名前も記憶も、アレもソレも、全て取り戻す」
足を肩幅に開き、片目を閉じて真っ直ぐに右腕を突き出す。
指先に魔力を集中させ、標的に狙いを定め、心の中の引き金を絞る。
指先から撃ち放たれた雷撃が弾丸の形状に変化し、二本の光芒を残して空を引き裂き飛んでいく。
標的にしたマグカップに電撃が襲いかかる。雷撃の弾丸が着弾した途端、衝撃でカップが弾け飛んだ。しかしマグカップは空中で復元し、本来あるべき姿を瞬時に形成していく。
「オレは不可能を殺す。もっとだ、もっと熱く……再生するよりも早く、先の先まで焼き尽くす」
続け様に弾丸を撃ち放ち、復元すると同時に破壊しながら、左腕に雷雲を掻き集め、一挙に解き放つ。
左腕から稲光が走り、カップが復元を続けている地点に落雷を放出し続け、雷光が柱になって留まる。
力の放出を続け、火力を上げ、塵すら残さず焼き尽くす。破壊の衝撃と滞留する電流の中でしぶとく再生を続けていたマグカップはやがて完全に消滅した。
オレは腕に残っていた雷を振り払い、大きく息を吐いた。
バチバチと耳障りな残響が部屋の中をいつまでもコダマしている。
「大分様になってきたな。空の空間で戦ったときとは雲泥の差だ」
扉を開けて入ってきた女性をオレはまじまじと見つめる。
見た瞬間に息を飲んでしまうような美しさと、凛々しいながらも時折どこか儚げな雰囲気を見せる少女から目を離せない。
オレと共に隔離世界に閉じ込められている元女勇者の刹那は常日頃から身に纏っている禍々しい漆黒の鎧を脱ぎ去り、今はTシャツにジーパンというラフな格好をしている。
「おはよう、刹那」
刹那に褒められたオレは感謝の意を込めて微笑む。
「少しいいか? 話がしたい」
刹那に言われたオレは快く了承し、二人してベッドの端に腰を掛けた。
「私と戦ったとき、お前は飛んだな。理屈が知りたい」
凛とした表情で刹那が尋ねるとオレは口元に手を当て、しばらく考えた様子を見せてから話し始める。
「電撃を放出すると電界という領域が出来るんだ。あとは空気中の静電気とか磁場を上手く利用して流れに乗ればいい。多分、他にも色々できると思う。あとはオレの努力次第ってことで……」
「なるほどな。それは単に雷を繰るだけの魔術師にはできない所業だ。お前は人間の領域を超えて来ているのかもしれないな」
刹那の言葉にオレは首を傾げる。
「人間を超えるって?」
「ノノという少女はお前を人間だと断定した。私もお前を同じ人間だと思っている。しかし今、私はそれとは少し違う意見も考え始めている。お前は確かに人間だったが、徐々に人間ではなくなってきているのではないかとな」
淡々と話す刹那の隣で、オレはノノという少女の事を思い出していた。心の中で絶望の淵に立たされたとき、ノノの言葉が骨身に染みるように嬉しかった。「君は人間だよ」の一言にどれだけ救われたか。オレは感謝してもしきれないほどの感謝の念をノノに抱いていた。そんな事を思い出し、思わず涙ぐむ。
だが今、それが否定されようとしている。幾許かの不安を感じたオレは自然と表情が曇り、自身の気持ちが沈んでいくのが明確に理解できていた。
「私がお前の心臓を貫いたとき、私はお前が蘇ることを確信していた。それはお前と奴らに近しいものを感じたからだ」
「それは……オレの中に別の誰かがいたからだろ?」
オレが不安混じりの怪訝な顔で尋ねると、刹那は数秒沈黙してから真剣な眼差しで答える。
「だとしたら、お前は何故今、生きているのだ。お前の中に存在していた男の力は引き抜かれた筈だ。心臓がないお前がその男と共存することで生きながらえていたならば、その時点でお前が死んでいないと辻褄が合わない」
刹那に言われたオレは胸へと手を当てた。心臓の鼓動を感じない。だが肌に温もりはある。感情の昂りはある。明確な意思もある。自己認識を続けつつ、混乱した表情でオレは刹那を見つめる。
「それは確かに、そう……なるか? でも待て、白衣の男から力を受けとった。もしかするとそのときに再生能力も引き継いだとか」
アレスティラのときと同じく、オレは自身の異常性を否定したいかのように言葉を紡ぐ。心臓が停止しているというのに行動している時点で否定などできるはずもないのだが、それでも何か答えが欲しかった。
「確かに私はお前に雷の属性が付与されるのは確認した。だがそれ以外は何も変わっていない。今のお前に不死性は備わっていない」
刹那の言葉にオレの頭の中は真っ白になった。その場に崩れ落ちそうになるのをグッと我慢し、焦る感情とは裏腹に平静を装い話を続ける。
「いやでも、そんなことは自分じゃ確認しようがないし、わからないよ。記憶もないし。それに刹那の発言が全て正しいわけじゃないだろ?」
刹那は小さく嘆息し、ゆっくりと頷く。
「もちろん私が嘘を言っている可能性もあるな。誰の行動、発言を信じるのかはお前の自由だ。私がアレスティラと結託している可能性もゼロではない。最後の判断はお前次第だ」
「刹那は……オレを味方だと信じてくれるのか?」
縋るような目つきで見つめてくるオレの顔をみて、刹那は険しい表情を作り、強めの口調で語りだす。
「前にも言ったはずだ、私は私を信じる。キツい言い方になってすまない。私が言いたかったのは、目に見える部分だけが真実ではないし、ときには受け入れ難い事実を受け入れる勇気も必要ということだ。私達の周りには異常が溢れている。全ての事柄に安易な答えを出すべきではない」
刹那としては叱責というよりも激励のつもりであったのだろう。
他者に優しく接することに不慣れな事を自覚しているなりには言葉を選んで発していたつもりだったが、オレが消沈している姿をみて、僅かばかり困惑の表情を浮かべている。
「それでも、オレは刹那を信じるよ」
刹那は自身に向けられた厚意の言葉に瞬間、戸惑った様子を見せ口元に小さく微笑みを作り、すぐに隠す。
「そういう奴が戦場では真っ先に死ぬのだ、馬鹿者……。今から元、神と話しにいく。一緒にいくか?」
「あぁ、行くよ。今後のこと、話さないとな」
刹那が立ち上がり踵を返すと美しい長髪がさらりと靡き、遅れて届いた甘美な香りが鼻腔をくすぐり、オレの脳をゆさぶるように直接刺激する。
刹那が放つ甘く優しい匂いに心まで満たされた時、記憶にいないはずの母が幼いときに優しく抱いてくれた事を思い出すような安心感を覚えた。
それが心労絶えない今のオレの心のせめてもの慰めとなっていた。