10番街の朝。昨夜はお楽しみでしたか?
朝。
隣で寝ている美唯子を起こさないようにゆっくり部屋を出る。
まずは12番に合わなければならない。
早朝の神の居城はシンと静まり返っている。
もうしばらくもすれば下位層エニグマ達が朝食の準備や清掃を開始する時間となり、一気に慌ただしくなる。
「昨夜はお楽しみでしたか?」
「おわっ!?」
背後から突然声をかけられて、口から心臓が飛び出すかと思った。荒くなった呼吸を整えてからゆっくりと振り返る。
従者の愛生がニコヤカな笑顔で立っていた。
「な、何を……」
「私、従者なので、一晩中部屋の前で待機していました。
周囲に迷惑をかけないよう能力を使って色々と防いでいたのでご安心ください」
まるで従者の鏡のような対応。
などと考えている場合ではない。
「何か勘違いしてないか? オレは別に何もしてないが」
「指が朱色に……よし、これで大丈夫です。
本日の予定は7時より朝食、10時から国防会議、その後新メンバーとの親睦会、治安維持活動となっております」
愛生はハンカチを取り出してオレの指先を綺麗にすると、一日のスケジュールを説明してペコリと頭を下げた。
「愛生、ありがとう」
「いえ、私は2番さんに仕えるのが使命ですから」
国防会議の準備に向かうと言った愛生と別れて廊下を進む。
途中、仁義が倒れているのに気がついた。
昨晩、美唯子に殴り倒されてからそのまま寝ていたらしい。
「おい、仁義起きろよ。朝だぞ」
一晩中、誰にも気づかれなかったのだろうか。
しばらくユスっていると仁義が目を覚ます。
まだ半分寝ているような表情で、口元から涎が垂れている。
「あ、師匠。おはようございます。……ん? 女の匂い……。
もしかして何かありました? ねぇ、何かイイ事……」
オレの首筋の匂いを嗅いで訝しむ顔を作る仁義。
こいつは犬の生まれ変わりなのかも知れない。
「イヤ、別に何もない」
「……今までの付き合いの中で一番目が泳いでますよ。
朝練はどうします?」
「……今日はパスだ」
水に美唯子の正体について聞きに行きたいと思っていたので、日課の朝練を休む旨を伝えると、仁義はオレを指差し、冷めた表情で嘆息する。
「ダウト。足にきてんじゃないすか。
ほどほどにしてくださいよ。まぁでも神様だからいいのか。
とりあえずは秘密にするんで、俺の頼みも聞いてください」
こういう時だけやたら勘が良く、知恵が回る仁義。
別にやましいことは何もないのだが、ムキになる程でもない。
頼みというのも碌でも無いものだということはわかっている。
だとしても弟子の願いは聞き入れてやりたい。
「頼みって何だよ」
「彼女が欲しいんで、手伝ってください。
それと10番街に温水プールと銭湯を作りましょう」
想定していた通り欲望丸出しの願望。
だが男として気持ちもわかる。
それに応えるのも神としての務めだろうか。
「わかった、約束する。今週中にでも作業を開始させる」
「さすが! 師匠は話がわかりますね! っしゃああ!!」
その場で飛び跳ねて喜ぶ仁義を置いてオレは12番の部屋に向かう。
──12番自室。
黒とピンクを基調としたアンティーク調の家具や壁紙。
レースのついたカーテン。オシャレな小物類やぬいぐるみ。
お姫様か魔女でも住んでいそうな部屋だ。
12番は天蓋カーテンのついた豪奢なベッドに両手を組んで眠っている。
「おい、おい、水。朝だぞ、起きろって」
「……んぁ? テメェ! 女の寝込み襲うとはいい度胸してんな!」
激昂した水が細い指で肩を掴んで揺さぶってくる。
落ち着かせようと水の腕を取ると揉み合いのような状態となり、二人してベッドに倒れた。
「……ドア、開けっぱなしにしてんなよ。不用心だ」
「あぁ、そうだったか。ならアタイも悪いな。んで、要件は」
水は能力で他者を演じ過ぎて常時情緒不安定、口調も安定しないのだが、朝はわりと落ち着いて会話ができるようだ。
「ここ最近、美唯子の人形を作ったか? すごく綺麗なやつ」
そう尋ねると水は「あ゛あ゛〜?」と声を出す。
大きな瞳でジッとオレを睨みつけ、不機嫌に鼻を鳴らす。
「アタイの人形は素体に忠実に作る。
余計な装飾はしねーよ。こだわりがあるんでね」
ではやはりあの美唯子は人形の類ではなく人間なのだろう。
余計に謎が深まる。
「そうか、良かった。とりあえず安心した」
「あんだよ。見た目が良くなってんなら何も問題ないだろ。
それとも何か、従順でガキくさい学生感丸出しがいいのか?
そっちをご所望なら叶えてやるけどな」
水が形態変化能力を発動する。
紙粘土のような物体が蠢いていて気味が悪いのだが、慣れてしまえばどうということはない。
「あ! ペル様ぁ! おはようございますー! どうかしましたか?」
オレがよく知っているいつもの美唯子が目の前にいる。
ずっと探していた大切な人。
さよならと言われた運命の人。
「美唯子。いや、水。やめてくれ。悲しくなる」
「ペル様、ごめんなさい。寂しかったですよね?
もう私はどこに行きませんからね?」
水はおふざけをやめない。他人に成り切る事が上手いのか、オレが欲している言葉を的確に投げてくる。
手が届く距離に美唯子がいる。理性が揺れ動いている。
「──っ……おい」
気がつくとオレは美唯子を抱きしめていた。
細い腰に手を回し、折れてしまうのではないかと心配になるほどに力を込める。
「お前……そんなに……。はぁ、このままじゃアタイまで本気になっちまう。ヤメダ、ヤメ。美唯子に悪いからな」
水は変身を解除してオレを突き飛ばした。
「あっ、ごめん……」
「気にすんな。……でもよ、お前がアタイでも良いってんなら、いつでも相手してやるからな? お前だけ……な」
水は悪魔のような囁きを耳元で呟いてニヤリと微笑む。
あとほんの少しでも何かが掛け違っていたら、オレはきっと止まれなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。