愛が重い。オレの娘が誘惑上手な小悪魔すぎる。
継続。
──10番街、無名、砂浜。
波打ち際、肌に心地よい潮風がビュウと吹き抜けていく。
アレスティラのもとを去った後、オレと零奈はあてもなく10番街を彷徨い歩いていた。
アレスティラの発言はオレと零奈に深刻なまでの精神的苦痛を与え、心身ともに疲弊し切っている。
「パパァ、ママのとこには帰らないの?」
美しい金髪を靡かせて、甘ったるい声で零奈が言う。
「……突然娘が出来たと言ったらオレは殺されるかもしれない。
しかもよりによってアレスティラの娘だしな」
「多分、ママなら許してくれると思うけど?」
「いやいや、どんだけ心が広いんだよ。あり得ないって」
「あと、あたしはアレスティラの娘じゃないから。
零奈って名前も嫌いよ。死蔭でいいわ。
パパとママが付けてくれたから気に入っているの」
「紫苑と被るだろ。それに字体がイカツすぎる。
怖いし、縁起も悪いし、女の子の名前としてよくないだろ」
オレは手近にあった木の枝を手に取り、砂に文字を書いていく。
「そう? あたしはカッコいいと思ってるけど」
「中二病にはまだ早い。
じゃあ、とりあえずレイにしとくか?
零、玲、怜、礼。この辺の漢字でさ」
オレが漢字で改名候補を書き出すと、零奈は冷めた目つきで一瞥した後、静かな口調で語りだす。
「どれもイヤ。ちっともあたしらしくないもの。
ねぇパパ。ママの名前は文字にするとどうなるの?」
「ん? 日本人の名前だと沙羅ってのが一般的かな」
「やっぱり、ママは文字にしても綺麗なのね」
零奈は地面に書かれた文字を眺めながら小さく呟いた。
「アレスティラは愛恋鈴……さすがに無理だな。ヤンキーみたいになる」
「あーあ……。パパはまだアレスティラが好きなのね」
「は? そんなことないけど」
嘆息しながら呟いた零奈の言葉にオレは即座に反応してしまう。
「ウソ。見てたらわかるもの。今の反応だってそう。
パパはママと紫苑を口実にして諦めようとしてるだけ。
さっきあたしがアレとの娘だと聞いたとき、嬉しそうだった」
「そりゃ、アレスティラはオレにとって特別だよ。
でも、すれ違ってばかりだった。結ばれる運命じゃないんだ」
オレの発言を聞いた零奈は、またしても深く大きな嘆息一つ。
砂浜を無言で見つめ、しばらくすると妖艶な笑みを浮かべてオレを見つめる。
「…………ねぇパパ。あたしはアレスティラに似てる?」
零奈の美貌はまさにアレスティラのそれそのものであった。
端正な顔立ちはもちろんのこと、所作振る舞いまでも全てが愛らしく、美しく、幼いながらに男性を魅了してやまない魔力を秘めている。
「容姿も仕草も、生き写しだ。キミの全てがアレスティラを連想させる」
「じゃあ、大きくなったらあたしがお嫁さんになってあげるね」
悪戯っぽい微笑みを浮かべる零奈。
「親をからかうなよ」
「冗談よ。あたしはパパとママに幸せになってほしいから」
「なぁ、零奈」
「結局その名前なんだ?」
「まぁ、母親がつけた名前だし」
「ふーん。なぁに? パパ」
「…………氷駕と信長を殺したのか」
「そうだとしたら、あたしを叱る?」
まるで最初から質問されることを想定していかのように、表情一つ崩さずに零奈は即答した。
「複雑な心境だな。最近さ、人の死に対して何も感じなくなってきた。さっきの龍騎兵だってそうだし、大切な仲間である氷駕が死んだのかもしれないのに、怒りや悲しみの感情が湧き上がらない。
何が正しくて、何が間違いなのかわからないんだ。
覚醒が進んだからか、人としての心が消えかかっているのかもな」
「パパも昔は悪いことをした?」
「そうだな。感情に飲まれて大勢殺した。オレはクズ野朗さ。
だからこそ、紫苑に素零、零奈には命を大切にしてほしいと本気で思うし、無闇に人を殺してほしくない。悪人はオレだけでいい」
しばらく沈黙していた零奈が唐突にオレに抱きつく。
細い腕でしっかりと抱きつきながら、甘えるような声を出す。
「パパ、愛しているわ」
「なんだよ急に」
「真剣に話してるパパを見ていたら、お腹の奥がキュンとなったの。パパ、だいすきよ。あたしって変? おかしいのかな」
「変ではないけど、その言葉は未来の彼氏に言ってやれ」
零奈は機嫌を損ねたのか、唇を尖らせる。
「あたしはとーっても、真剣なのに……もぉ、バカ……。
もしも、もしもね? あたしが娘じゃなくて、ママやアレスティラより先にパパと出会っていたら、あたしと結婚してくれた?」
「結婚? オレを放置しない人なら一考の余地はあるな」
自虐的にオレが呟くと零奈はクスクスと笑いだす。
「そっか、だからアレは失敗したのね。いい気味よ……。
ねぇ、パパ、あたしの目をちゃんと見て?」
零奈の瞳が桔梗色の閃光を放つ。
光を直視したオレは意識混濁のようになり、虚ろな視線で娘を見つめる。
「なんのつもりだ……何かしたな、……既視感が……」
「パパがあまりに不憫だから、あたしが慰めてあげる。
パパの全てを知りたい。本心に触れたいから。
あたしのこと、アレスティラって呼んで?」
「……アレスティラ」
零奈の言われるがままにアレスティラの名前を口に出す。
「ワタシの事、どう思っていますか? 真剣に答えてください」
零奈は母親のフリをする。
母親と同じ声、同じ仕草で。オレの心を強引にこじ開ける。
「……強がって、悪役を演じているだけ。助けてやりたい」
「アハッ! やっぱり! まだアレスティラのこと思ってるんだぁ! でもダメよ。パパにはママがいるんだから。あたしがアレスティラの代わりになって全てを忘れさせてあげる!」
零奈はオレを誘惑するように甘い吐息をもらす。
「クソ、おい、冗談はやめろ……頭が……」
オレは抵抗を試みるも、朦朧とした意識ではそれも叶わず、バランスを崩して大地に倒れた。
一緒に倒れ込んだ零奈は甘い視線でオレを見据えている。
「本気で拒絶してないわ。心ではこうなりたいと思ってるのね。
パパの身体、逞しくて、とーっても、素敵よ」
「……お前はアレじゃない。アレスティラじゃないんだ」
「アハ! 必死になって、アレを忘れようとしてる。可愛い……。
でも顔が赤いし、反応してるし、説得力がないわ。
……アレスティラもバカね。パパはこんなにメロメロなのに、いつまでも高嶺の花を気取ってて。
だから他の女に取られるのよ。自業自得ね」
言いながら零奈はオレの耳を甘噛みする。
「パパ、あたしはずっとそばにいる。
だから、あたしがアレスティラになってあげる。
全ての想いを、あたしだけにぶつけてほしいの」
「いい加減に……しろっ!」
オレは気力を振り絞って全身に力を込め、耳元で囁いている零奈を拒絶するように突き飛ばした。
「確信したよ、やっぱりお前はアレスティラの娘だ。
男を自由に操れると思っているんだろ。
オレはお前を娘として愛しているし、一生守ってやる。
でもな、もう二度と、こんな真似はするなよ。いいな」
零奈は地面にぺたんと座り、上目遣いにオレを見ている。
全てが計算されつくしたかのような愛らしさ、男として否が応でも反応してしまう仕草を天性で知っているようだ。
「キュン。パパァ、もっと怒った顔であたしを叱って?」
反省しているのか、いないのか、零奈は火照った表情でオレを見つめて、抱いて欲しいと両手を広げた。
「ああ……前にもこんなことあったな。母親譲りの小悪魔性か。
クソ、サラと真剣に話し合って教育しないと危険だな」
オレは零奈の手を取り、強引に立ち上がせる。
「パパ、あたし、ホントの本気でパパが好き……なのかも?」
服の袖を引っぱりながら零奈が小首を傾げる。
思わず抱きしめたくなるような衝動を押し殺してオレはソッポを向いた。
「だからもういいって。あぁ、くそ、惑わされるな……行くぞ」
「ママのところに?」
「いや、レオナルドのことも聞きたいし、寄り道してレッドの基地に行く。サラになんて謝るか考える時間も欲しいからな」
零奈はコクリと頷き、オレと手を繋いで歩き始める。
「パパァ。アレスティラとあたし、どっちが好き?
あたしとパパって親子じゃない可能性もあるのよね?
アレスティラが嘘をついていたら、パパと結婚できる?」
歩き始めてからすぐに零奈の質問攻めが始まった。
趣味などの些細な質問から、恋愛に関することまで、一秒でも長くオレと会話がしたいかのように話し続けている。
「さっきから、矛盾してるだろ。オレとサラに幸せになって欲しいんじゃないのか? 結婚とか好きだとか、いい加減にしなさい」
敢えて父親らしくオレが振る舞うと、零奈はスッと表情を暗くする。
「あたし、パパに会ってからおかしいの。
どんどんパパのことを好きになってる。もちろんママのことも大好きよ? でも今はパパの事で頭がいっぱいなの」
真剣な表情で見つめてくる零奈を見てオレは小さく嘆息する。
「……愛が重い。アレスティラ、キミはなんて事を……はぁ」
最後まで読んでいただきありがとうございました。