姫とエニグマ。王女の想い。
スカーレット王国を出てしばらく歩くと緑豊かな森がある。
その森の奥深くには湖畔があり、そこにポツンと子供が一人。素零は不貞腐れた表情で体育座りをし、神秘的なエメラルドグリーンの水面を黙って見つめている。
「8番に負けたのが悔しかったのか?」
背後から突然声をかけられた素零は振り返ってオレの姿を確認すると、一瞬笑顔を見せるも、すぐにまた仏頂面に戻ってしまう。
「別に……。悔しくなんかないしっ!」
ムキになって反論する様が如何にも子供らしくて愛嬌がある。
そんなことを感じながらオレは素零に近づいていく。
「お前が元気ないと調子が狂うな。
そういえば、氷駕と信長はどうなった。
急に姿が見えなくなったけど」
「あの二人は闇の中で戦ってるよ。
因縁があるらしくて、どちらかが死ぬまで戦うんだってさ」
呆れたように素零は言う。
8番相手に共闘していた場面では息が合っていたように見受けられたが、実際は違うらしい。
「ほら、いつまでも腐ってないで、帰るぞ。
負けたくないなら強くなればいいだけだ」
「……ねぇ」
「ん?」
「抱っこ……してよ」
甘えるような声音で素零が言う。
オレは素零の意図が理解できないでいる。
「は? なんだよ急に」
「だから! 泣きたいから抱っこしてって言ってるの!
キミってほんとに鈍いよね! 男として全然ダメダメだ!」
「え? あぁ、ごめん。ほら」
オレが素零を抱き上げると、素零は胸の中で破顔した後、本当に泣き出した。
格下だと思っていた相手に負けたのが余程悔しかったのか、素零は嗚咽を堪えるようにしながら泣いていた。
しばらくすると泣き疲れたのか、いつの間にかオレに抱かれたまま素零は眠りについていた。
「本当に子供だな……。寝顔は可愛いし、これで無闇矢鱈に人を殺さなければ文句ないのにな」
「ペルセウス様」
オレが素零についてボヤいていると、森の中には不釣り合いな真紅のドレスを見に纏ったクリアが現れる。
「お怪我は大丈夫ですか? 突然いなくなってしまったので心配して探しに来たのです」
「ああ。潰された目も再生したよ。素零も無事だ。
これに関してはエニグマで良かったのかな」
エニグマという単語にクリアは反応し、怪訝な顔をする。
「エニグマ、ですか? それは魔法か属性のことでしょうか」
「いや違う。なんでも宇宙ができる前から存在していて、生命の頂点らしい。この世に存在しているが存在していなくて、不死身。
8番に騎士団の攻撃が通用しなかった理由もそれだ。
どうやらオレはその一員になりかけているみたいなんだ。
人類にとって身近なモノだと言っていけど、サッパリだ」
「そうでしたか。でもそのお話を聞いて納得いたしました。
最低値の能力で実力を遥かに上回る神を圧倒し、この国に平和をもたらした……。やはり貴方はすごい人……」
「なんか騙してたみたいでゴメンな。
エニグマは数値で計れる存在でもないし、常識は通用しない。
人間離れしすぎていて、化け物みたいで怖いだろ?
キミの国も取り戻したし、素零とすぐに出ていくよ」
ゆっくりと歩き出したオレを見てクリアが駆ける。
クリアはオレの背中に抱きついき、静かに語りだす。
「怖くなんてありません。私は貴方をお慕いしています。
あの、もしよろしければ、このまま私の国で一緒に……。
いつまでも私を見守っていてはくれませんか」
少女は凛とした口調で心中を吐露する。
嘘偽りのない、純粋な想いだろう。
オレは素零を木陰に下ろし、クリアに向かって振り返る。
「クリア、それは出来ない。
今オレは危険な連中相手に宇宙の存亡を賭けて戦っている。
オレがいたら、この国もきっとまた戦火に包まれてしまう。
オレはキミを忘れない。困ったことがあれば、またいつでも呼んでくれていい。だからオレは行くよ。
キミは国を守り、オレは世界の全てを守る。約束だ」
叶わなかった願いが雫となって頬を伝っていく。
クリアはすぐに涙を拭い、オレに向かって笑顔をみせる。
「でしたらこれをお持ちください。
王家に伝わる星の紅玉です。
貴方を御守りするように私の想いを込めました。
想いたけでも、ご一緒させてください」
クリアが真紅に輝く優美な指輪をそっと差し出す。
オレは指輪を受け取り、クリアの華奢な体を抱きしめる。
「ありがとう。キミの想い、確かに受け取った。
世界が平和になったら、必ずまたキミに会いにくる」
オレは寝ている素零を抱き上げ、森を歩いていく。
その後ろ姿をクリアはいつまでも黙って見つめていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
スカーレット王国・クリア編完結となります。