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寂しいインコたち

作者: 阿久根 想一

 

    1


「さつきちゃーん。お店の周り、掃除しておいてちょうだい」


 店長に言われて、私は倉庫から掃除道具を持ち出すと、店の外に出た。店の周りはサツキの木がびっしりと植えられ、根元には落ち葉などのゴミが散乱している。初夏の陽射しに、鮮やかな緑色の葉に顔を近づけると、小さな毛虫が私の目の前を、体をくねらせ通り過ぎていった。


「キャーッ!」


 思わず尻もちをついた私の頭上を小さなチョウが一匹、翅を羽ばたかせ飛んでいった。


 私は犬飼さつき。このファミレスでアルバイトをしながら予備校に通い、大学を目指す19歳だ。


 掃除を終えて店内に戻ると、エリーさんこと楠田絵理子さんが、


「さつきちゃん、ごくろうさま」


 と、声を掛けてくれた。エリーさんは私の先輩。背が高くハキハキしていて、いつもキビキビと働いている。やや茶色い髪を私と同じように左右に分けて垂らしている。引っ込み思案で、口下手で不器用で、ノロマな私にとっては憧れの存在である。


「さつきちゃん、ちょっと訊いていい?」


「はい、なんでしょう」


「さつきちゃん、真面目で、勉強も出来そうなのに、なぜこんなところでアルバイトしながら予備校に通っているの?」


「……、私も、一校ぐらいは受かっていると思ったんですけど、いざフタを開けてみたら、全部ダメだったんです。私、思わず進路指導の先生に訊いちゃいましたよ。『なぜだ!』って」


「そしたら?」


「『お嬢ちゃんだからさ』って一言」


「そう、うまくいかないものね」


 エリーさんは左右に分けた髪に手を当てた。


     2


 今度は私の方から訊いてみた。


「エリーさんは、なぜここでアルバイトをしているんですか?」


「……。私は看護師になりたかったの。それもただお世話するだけじゃなくて、相手の心の中にまで入っていけるような看護師に──。でも、それは果たせなくって。遊んでいるわけにもいかないから、色々考えた末に、ここで働くことに決めたの。最近はここの仕事にも慣れてきて、一人で生きていくならこのままここに居てもいいかなって──」


 目を伏せてエリーさんは答えた。


「一人で生きていくってどういうことですか?」


「私、今まで人を好きになったことがないの」


「えっ」


 想像もしていない返答に、私は驚いた。


「そんな、信じられない。エリーさんみたいに素敵な人が、人を好きになったことがないなんて──」


「本当よ。今までの私の人生において、恋愛経験と呼べるものはないわ」


「そんな……。でもそれって寂しくないですか?」


「寂しいけど……、仕方ないでしょ。さつきちゃんも残酷なこと聞くなあ。これは私がこの先背負っていかなければならないものだと思っているから──。大丈夫よ。自分の中で覚悟はできてます」


「私はエリーさんと違って、ドンくさい上に口下手で、不器用で、ノロマだけれど、人を好きになる心はわかってるつもりです」


「そうね、それが大切なことかもしれないわ」


 エリーさんはそう言って私の髪をそっとなでて、ひまわりをプリントしたTシャツと黄色いミニスカート姿で、きびきびとした足取りでフロアーに歩いていった。


(素敵だな……。エリーさん)


 彼女と比べ、これといって取り柄のない我が身が恨めしかった。


     3


 ある日、私が床をモップがけしていると、


「さつきちゃん。さつきちゃんは着る物とかファッションには興味がないの?」


 と、エリーさんに声を掛けられた。


「ええ、一年中これ──、ジーンズ姿ですし。それに何を着たって似合いませんよ。エリーさんこそどうなんです?」


 と、訊き返すと、


「私? 私はね、ここで一人で生きていくと決めた時から、かわいい服を着ることやおしゃれをすることは諦めたの」


 と、目を伏せて答えた。


「えっ、なんで……。そんなに素敵なのに」


「自分で決めた事だから。ちょっと寂しいけど、ね」


 それから顔を上げて、


「私、この仕事はね、お店に来ていただいた人に料理を提供するだけじゃなくて、時間と心も提供することだと思っているの。この店に来てよかった。愉しい時間を過ごせて、心も愉しくなった。そう思ってもらいたくて」


「とても……、うん、エリーさんらしいと思います」


「と、いうことで、今日も一緒に頑張りましょ」


 などと話している所へ店長が、


「そろそろ時間よ。あの人たちが来るわ」


 と、落ち着かない様子でやって来た。何事かと思い視線を向けると、クラクションが鳴り響き、エンジンの轟音と共に、一台の車が駐車場に躍り込んできた。


「ほら、おいでなすったわよ」


 身を固くする私たちの前でドアが開き、中から三人の男女が降りると、大股で店内に入ってきた。オレンジ、グリーン、イエローと、まるで南の国のインコのような服を着た三人組だった──。


     4


 店内に入ってきた三人組は中央のテーブルに陣取ると、周りの人のことなど気にも留めぬ大声で話し出した。話の内容からしてオレンジの服の女性がリーダーらしかった。二人の男性の内、イエローの服を着た方は背が低くがっちりとした体格で、グリーンの服を着た方はヒョロリと痩せていてメガネをかけていた。三人は大声でオーダーをし、料理が届けられても話す事を止めず、それから三十分程、騒音をまき散らした後に、来た時と同じようにエンジンを轟かせ去っていった。


「ふん、いけ好かない客ね。すっかり常連気取りでさ」


 と、店長。


「さつきちゃんはどう思う?」


「あの人たち……。あまり感じのいい人たちじゃないですね」


「やっぱりそう思う? でもね、この店に来るからには、愉しい時間と心を求めて来ているのだろうから、料理だけではなく──、って、この話、この前したよね」


「ええ──」


 こういう客にもそう思える所が、エリーさんらしいし素敵なところだと思う。


「さ、そろそろ十二時。これから忙しくなるわよ」


 店長に促され、私はモップがけを再開した。


「それにしても、さつきちゃんは真面目ね」


「それくらいしか取り柄がありませんから」


 少々情けない気もするが、私の本心だ。


「でもそれが一番大切なことかもしれないわ。ねえ、さつきちゃん」


 言葉の意味もよく理解できぬまま、私はモップをかけ続け、エリーさんは洗い物を始めた。


「よいしょ、っと」


 長身のエリーさんが腕を伸ばし、洗い終わった食器を食器棚に仕舞いはじめても、上の空だった私は、まだモップがけを終えられていなかった。


     5


 あのインコ三人組はそれからも度々店にやって来た。相変わらずフロアー中央のテーブルに陣取り、傍若無人な態度で飲食し、大きな声で喋る。周囲の人が顔をしかめても知らん顔だ。


「まったく……。何様のつもりかしら。自分たち以外に、客はいないと思ってんじゃないの。できれば、あまり店に来て欲しくない人たちねえ」


 と、店長。


「その気持ち、わかります。でも、あの人たちだって、何かを求めてこの店に来るわけですから。できるだけその気持ちには応えたいです」


「あら、エリーちゃんは優しいのね。さつきちゃんはどう思うのかしら?」


「そうですね、エリーさんの言う通りかもしれません。それに、私がこんなことを言ったら言い過ぎかもしれませんけど……、あの人たち、あんな態度をとっていますが、表情を見ているとどこか寂しそうなんです。それが気になって」


「言い過ぎだなんてことはないわ、さつきちゃんも優しい子ね」


「さつきちゃん……」


 エリーさんが私の肩にそっと手を置いた。


「今の言葉で、あなたの優しさがわかったわ。あの人たちに代わってお礼を言わせて。ありがとう」


「そんな──。私、口下手だから言いたいことが上手く言えなくて、それで──」


「十分よ、ちゃんと伝わったから」


「エリーさん……」


 なぜか目頭が熱くなり、それを悟られぬよう、モップを手にしフロアーへと向かった。


「寂しいインコたち……」


 店長が小声で呟くのが聞こえた。私はそれに、コクンとうなずいた。


     6


「まあ、他のお客さんに迷惑さえかけなきゃいいんだけどねえ」


 そんな店長の願いもむなしく、三人組のテーブルから何やら賑やかな音が聞こえだした。オレンジの服の女性が、こともあろうにテーブルの上にタブレットを置き、音楽を流し始めたのだ。他の二人はそれに合わせて、気持ちよさそうに体を揺らしている。他のお客の中には顔をしかめ、帰ってしまう人もいた。


「クーン」


 その時、どこからか一匹の白い仔犬──おそらく残り物目当てなのだろう──が店の中にやってきた。昼間は基本的に店のドアは開け放たれているので、時折このような事が起こるのだ。うちの店の、一種のマスコットのような仔犬である。


 その仔犬が、三人組の足元にまとわりつき始めた。すると、


「キャン!」


 悲鳴と共に仔犬の体がはじけ飛んだ。どうやら二人の男性のどちらかが蹴り飛ばしたらしい。


「ひどいことするわねえ」


 腹に据えかねた店長がテーブルに向かったが、


「なによ! ここで何をしようと私たちの勝手でしょ!」


「そうだ。俺たちは客だぞ! それにレストランに犬が入ってくるなんて、不衛生極まりない!」


「客に対してなんだその言葉遣いは! 教育がなっておらんな。責任者を呼んでこい!」


 と、三人に鋭い言葉を浴びせられ、すごすごと帰ってきた。三人組はますますやりたい放題だ。


 その時、


「ちょっと、他にもお客さんがいらっしゃるんですが」


 押し殺したようなアルトに振り向くと、エリーさんが銀のトレーを手に持ち、仁王立ちになっていた。


「もう少し、お静かに願えませんか」


 普段のエリーさんからは考えられないような、怒りを含んだ声だった。それでも三人組は意に介さず、


「他にも客がいる? そんなことは見ればわかるだろ」


「そうよ、何か文句あんの?」


「他人の事なぞ知ったこっちゃないね」


 その言葉に、ついにエリーさんの形相が変わった。次の瞬間、


「いい加減にしなさい!」


 と、手にしたトレーを三人組のテーブルに叩きつけた。こんなエリーさんを見るのは初めてだった。


「何なのよ、この女!」


「客に対して無礼にも程がある!」


「謝れ! 謝罪しろ!」


 エリーさんに睨みつけられても三人組は言いたい放題だ。


 フロアーに、しばしの沈黙が訪れた後、自分でも不思議なことに、自然と声を出していた。


「この店は、ご覧のとおり小さなファミリーレストランですけど……、ここに集まる人にとっての憩いの場所です。それを傍若無人に振舞って台無しにするなんて……」


 くやしかった。あんな三人組の事まで大事に想っていたエリーさんにここまで言わせるなんて。声を振り絞り、


「私、堪忍袋の緒が切れました!」


 自分でもびっくりする程のソプラノが、辺りに響き渡った。


     7


 私が顔を上げると、三人組は席を立ち、店を出ていく所だった。やがて遠ざかっていくエンジンの音が聞こえた。


「さつきちゃん、大丈夫?」


 店長が駆け寄った。


「大丈夫です、なんとか……」


 どっと力が抜け、床にへたり込んだ。


「すみません、お客の前であんなこと……」


「いいのよ、ありがとう。その小さな身体で、ご苦労様」


 店長が私の肩に手を置き、優しく言ってくれた。


 私は立ち上がり、ゆっくりとフロアーへ足を向けた。


「さつきちゃん……。私があなたを好きなのはね、小さな努力でも毎日コツコツと積み重ねていくことができるからよ。毎日の積み重ね、それが大切な事だと思うの。あなたにとっても、私にとっても、二人のこれからの人生にとっても」


「エリーさん……。今、とっても大切なことを言っていただいたような気がします」


 そんな店内に、大きな声が響き渡った。


「すみませーん、納品でーす」


 宅配便のドライバーが、大きな箱を台車の上に下ろし始めた。


「ご苦労様です。──よーし、こうしちゃいられない、こいつを片付けなきゃ!」


 一人で箱が詰まれた台車を押し始めるエリーさんに、


「私も手伝います」


 そう言って二人で台車を押し始めると、重い台車はゆっくりと動き出した。


「私に必要なのは、重い荷物を一緒に押してくれる人なのかもしれないわ。さつきちゃんのように……」


「私が? なんだか照れくさいなあ」


「そういう所も、さつきちゃんらしくて好きよ」


「あはは。……あの三人組、去っていく後姿は、なんだか寂しそうでしたね」


「店長が言ったように、寂しいインコ、ね」


「そうですね」


 二人は顔を見合わせ、笑いあった。フロアーにも、人がぼちぼち戻り始めた。


「さあ、これから忙しくなるわよ。頑張っていきましょう」


 店長の声に、持ち場へと戻ろうとした私に、エリーさんがそっと囁いた。


「さつきちゃん、あなたがさっき言ったように、ここは小さなファミレスだけど、お客さんだけでなく、私たちにとっても憩いの場よね。さつきちゃんには大切なことを教えてもらったわ」


「私も、エリーさんに大切なこと、教えてもらいました」


 これからも二人で台車を押していき、毎日小さな努力を積み重ね、共に笑い、共に泣き、時には怒るような、そんな生活を続けていけたらいいな。そうしたら私の人生、これから何かいいことが起きそうな気がする。そう信じたい。そう思って見上げた初夏の空を、白い雲がゆっくりと流れていった。横を見ると、同じように空を見上げるエリーさんがいる。あの三人組も、こうやって並んで空でも眺めてみれば、きっと寂しい思いなんて吹き飛ぶだろうに。なんてことをふと、思った。

Copyright(C)2022 - 阿久根 想一

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