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復讐者、邪神と初対面
一人の女性が、扉越しにおずおずと顔を覗かせた。
ふわふわとした長い栗色の髪、黒縁の眼鏡に守られた灰色の目。フードのついた清楚なワンピースに身を包んで大人しそうな印象だが、左頬に残る三本の傷跡が悪目立ちしている。
家の中で見た人物と同じ、話の中心であるクリスタだ。
まさかいるとは思っておらず、ハンナも唖然としていた。
「おじょ、お嬢様!? 何でっ、ここにっ?」
「いつもと、違ったから、ハンナが、心配で……」
焦るハンナに、クリスタは視線をさ迷わせながらゆっくりと話す。人と話す事が苦手らしく、しどろもどろな様子だ。
定まらない視点は、ハンナとイオを交互に移している。獣人に当たる人魚に対する嫌悪や忌避が感じられない。
「お嬢様、家の中でいつもみたいに隠れて!」
「でも……その…………」
「アンタ、どこから聞いてた?」
確信をつけば、クリスタは体を硬直させる。言いにくそうに俯きながら、虫の羽音に近い小声で答えた。
「………………最初から、聞いてた」
「なんだって……!?」
「ハンナが、私を大切に、していると、知ってる……でも、私、私っ!」
可愛らしい目に膜が張り、溢れた涙が頬を伝い始めた。
泣き出したクリスタは、ハンナが駆け寄るより先に胸を抑えながら叫ぶ。
「ハンナ以外! みんな、取られた! 何で、私だけ、こんな目に!? 獣人なんか、嫌い! でも、会って、分かった! 全部全部、あの人の所為! 」
「……ナルヒェントか?」
「そう! ……番、だから。分かった! 分かっちゃった……! 許せない、許せない!」
その場に座り込み、クリスタは泣きじゃくった。悲痛な叫びが嗚咽となって吐き出されていく。
ハンナは慌てて駆け寄り、背中を擦る。その様子をイオは椅子から観察した。
今までの不幸の連続が、誰かによって引き起こされた。その事実を知ったなら、元凶を恨むのは至極当然だ。
さぞかし、濃厚な味がしそうな負の感情だ。
ゆっくりと椅子から立ち上がり、ジャピタを腕に絡ませてから二人に近づく。すると、ハンナがクリスタを隠してイオの前に出た。
取引は復讐者とイオ達だけで行いたいが、ハンナはクリスタから離れないだろう。そう判断し、クリスタに向けて微笑みかけた。
「アンタの復讐心に呼ばれ、邪神は参上した。相応の対価と引き換えに、復讐の手助けをしよう」
邪神らしく少し圧を出せば、息を飲む音が聞こえた。ハンナの顔色が青を通り越して白になり、唇を震わせる。
先程まで対面していた相手が、ただの獣人ではないと察したようだ。
これで邪魔する気力は削げただろう。あとはクリスタとの話し合いだが、様子がおかしいとイオは感じた。
イオが復讐を促すと、大抵の復讐者はすぐに受け入れる。
どうにも出来ない状況において、イオの提案はまさに希望。
クリスタも同じ筈だが、返答の歯切れが悪い。
首を傾げていると、意を決したクリスタが声を出した。
「復讐、する、前に…………理由を、知りたい」
小さいが、はっきりと意志のある声だ。続けようとするクリスタに、イオは声を出しかけたジャピタの口を塞いだ。
「憎い、けど。それよりも、何でって、思う。私の周りで、番ができる、それ、あの人の、力」
「何だって……!」
「でも、だから、おかしい……! 今更、迎え、いらない! もっと早く、わかれば、私、こんなに、苦しく、なかった! 二十年……あの人には、短くても、私には、長かった。今更、何で、来たか、知りたい」
「なるほど。番を引き寄せる体質は、ナルヒェントが何らかの方法でアンタに与えたもの。にも関わらず、アンタを放っておいたクセに、突然現れた理由が知りたいと」
イオの要約に、クリスタは小さく頷く。改めて考えると、確かにクリスタの言う通りだ。
長い間、友情を育めば番に恵まれるというクリスタの話は、種族問わず広がっていた。ナルヒェントの耳に入らない方がおかしい。
その時にクリスタに会ってその体質を話せば、ここまで拗れなかったはずだ。少なくとも、最後の砦だった父親との仲は守られたに違いない。
散々放置しておいて、溝が埋められない程の獣人嫌いになってから無理やり連れ去ろうとする。おまけに、大事にはしないという目的まである。
あまりにも怪しい。クリスタが疑心を抱くのも当たり前だ。
根は優しいらしいから、内容次第では復讐方法が変わる可能性が高い。それならば原因究明に手を貸すが、闇雲に探すには時間がかかりすぎる。
「そういう事なら付き合うが、宛はあるのか? 」
「ニイロン帝国、行きたい。連れてって、ほしい」
「いけないよお嬢様! 危険すぎる!」
ハンナが肩を掴んで必死に止める。ナルヒェントが皇子ということは、龍人が住まう国なのだろう。そこへクリスタが行くなど、ハンナとしては絶対に止めたいようだ。
だが、クリスタはゆっくりと首を横に振り、ハンナの手を自分の手と合わせた。
「危険は、分かってる。でも、知らないと、先に、いけない。ごめんね、ハンナ」
「お嬢様…………!」
目に涙を浮かべたハンナは、口を噤んで俯いてしまった。クリスタの意志が固いとわかったらしい。
ハンナを慰めながらこちらを見るクリスタの目に、イオも覚悟を感じた。
「ジャピタ。龍人が大勢いる場所を探知。転移できるかも一緒にな」
「ハーイ」
イオの指示に、だらけていたジャピタは力を入れ直した。頭部を持ち上げて、周囲を見渡していく。
そのまま一周した後、方向を決めて首を伸ばした。
「アッチ! ツヨイ、ジュージン、タクサン!」
「すぐ転移できそうか?」
「デキル! ツカレル」
「食事まであと少しだから頑張れ」
「アーイ」
わざわざ疲れると口にするなら、距離は相当あるようだ。第三者を連れて行く事も、普段とはエネルギーの消費が違う点だろう。
残りのエネルギー量は少ないが、乗り越えれば食事にありつけるのだ。踏ん張ってもらわないと困る。
とりあえずの目星がついた所で、イオはクリスタに告げる。
「準備は出来てるか?」
「………………はい」
「なら、手を」
イオが差し出した手をじっと見つめ、クリスタが立ち上がる。フードを被り、手を重ねようとして寸前で止めた。
そして振り返り、ハンナに微笑む。
「ハンナ、ありがとう。ごめんね」
ハンナとイオは目を見開いた。泣きそうな声色で告げた言葉は、まるで今生の別れを示すようだと気づいたのだ。
我に返ったハンナが何か叫ぶ前に、クリスタがイオの手を取る。それを合図にジャピタが転移を発動させ、一瞬の浮遊感と共に景色が変わった。
クリスタは基本的に引きこもっているので話し慣れておらず、長く話せずに途切れ途切れになります