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「言われてみりゃあ、その通りだ。何であたしは気づかなかったんかねぇ?」
「クリスタの安全しか目に入っていなかったからだろ」
悩むハンナにそう告げれば、手を打って腑に落ちたようだ。
獣人と番に苦しめられてきたクリスタが、今度は自分が対象になっている。その事実に心痛めているはずだ。そのフォローもあり、敵の思考など気にする暇もなかっただろう。
最も知った所で、だからどうしたと放り投げそうだ。
ハンナにとって、ナルヒェントは敵。それだけで十分であり、それはイオ達にも当てはまる。
「んで? あんたらは復讐の手助けするっていうけど、具体的には何をするんだい?」
表情を引き締め、イオを注視しながらハンナは問う。数秒前の和やかな雰囲気は跡形もない。
イオ達による復讐の手助けがクリスタの利になるか否か。それを一語一句、逃さず見極めるつもりだろう。
力の差を分かっていても、クリスタの害になりそうなら何とかしてみせる。
そう告げる視線に、楽しさを感じたイオは口角を上げた。
「相手をどうしたいか、対価に何を差し出すか、全ては復讐者の匙加減で決まる」
「対価!? これ以上、お嬢様から何か奪うってんかい!?」
「先に言った通り、アタシらは復讐の力と引き換えに負の感情を貰いに来た。感情単体で切り離せないから、復讐者が持つ物に乗せて貰うことになる」
「……例えば、どんなもんを……?」
「長い間、復讐に至るまでの負の感情を溜め込んだ品物が多いか? あとは、心身の一部や寿命、種族という例もあったな」
「渡せるわけないだろ!」
テーブルに勢いよく手をついてハンナが立ち怒声を上げた。近くにあった湯飲みが倒れ、残り少なかった茶が零れ広がっていく。
その様は目に入っておらず、ハンナは鋭くイオだけを睨み付けていた。高ぶった怒りで息も荒い。ただ、激昂は予想できていたので、イオは冷静にハンナを見続ける。
「お嬢様が絡むと、アンタの視野は狭くなるな」
「やかましい! 何で、そんな大事なもんを奪うってんだ!?」
「生憎と、正義の味方ではないからな。善意ではなく、対価に見合った復讐を。それがアタシらだ」
「なら、あたしから持ってきな! んでもって、獣人がお嬢様に近づかないようにしておくれ!」
ハンナの提案に、イオは考える。見た所、ハンナの感情もなかなかの物だ。
イオは静かに視線を隣に移す。飲み終えた湯飲みで遊ぶジャピタは、イオの視線に気づかない。気づく様子もないので、無防備な頭頂に指を押し込んだ。
「ピギャッ」
「おい、話聞いてたか?」
ジャピタは顔を背け、返答しない。聞いていなかったようだ。
小さく息をつき、簡短に内容を告げる。ジャピタは唸りながら長い首をぐるぐると回す。
「ウー……。エサ、アッチ、オイシイ」
「やっぱりそうか。アンタの嗅覚に引っかかったのはクリスタの方だからな」
「ウン!」
「ちょいとなんでだい!?」
会話の内容が分からなくても、自分の案が却下されたとわかったようだ。ハンナが慌てて食いかかってきた。
「あんたらは感情が欲しいんだろ!? なら、お嬢様じゃなくてもいいじゃないか!」
「負の感情だけなら、相手は山ほどいるよ。それをわざわざ厳選しているのは、質の問題とアタシの趣味だ」
「質と趣味……?」
「そう。同じ野菜を買う時に、どれがいいか見比べるだろ? そうして買った一番いい野菜を食す時に、美味しくなる様に手を加えるだろ? そういう事だ」
「……趣味の意味がわからんね」
「そのままの意味だよ。同じ質の料理なら、出来るだけ愉しく食べたいと思わないか?」
小首を傾げて笑いかければ、ハンナの顔色が一瞬で失せた。イオの言う意味が伝わったらしい。
イオ達を見る目には、不愉快さがありありと浮かんでいる。
「悪趣味っ……!」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
趣味が良い奴など、邪神の眷属でいられるわけがない。鼻で笑うイオに、ハンナは強く歯を食いしばる。
完全に敵と判断したようだ。別に問題は無いが、非常に面倒くさい状況である。
獣人に分類されるイオは、確実にクリスタに拒絶される。
硬い心の壁を掻い潜るには、ハンナを使う方法が一番手っ取り早かった。その方法が潰れた今、遠回りするしかない。
「さっさと村から出ていっておくれ!」
「それは聞けないな」
「頼むよ! お嬢様は静かに暮らしてんだ!」
「それでも、募り募った負の感情は消えてない。だから、アタシらがここに来た」
「それでもっ!」
いたちごっこの問答。ハンナの説得は不可能そうだ。
ならば、さっさと切り上げて復讐者の所に行く必要がある。同時に、ハンナがクリスタの元へ行かないようにする必要もある。
ハンナとイオが違う事を言えば、クリスタは間違いなく前者を取るはずだ。
力技しかないかと考え始めた時、ジャピタが腕に尾を絡ませた。そのままぐいぐいと引くので、イオはため息をついてジャピタを見る。
「ジャピタ。何か用か?」
「ウン。ソト、イル」
「え」
間髪入れず、ゆっくりと扉が開いた。ハンナとイオは一斉にそちらへ振り向く。
邪神の眷属は決して味方ではない