5.ハンナ視点
今更ですが、今回の話は重めです
奥方誘拐事件から、はや三年。
クリスタの心の傷は深く、以前の明るさは消えていた。
外に出る事を極端に怖がる為、屋敷から出ない日々。そんなクリスタに対して、男爵は腫れ物でも触るかのように接する。
唯一の肉親からの対応に、クリスタはますます殻にこもった。
奥方を失った男爵は、優しさ以上に気の弱さが目立つようになった。以前より務める使用人に聞けば、結婚する前がこうだったようだ。
どうやら、二人で支え合って上手くいっていたらしい。クリスタの為にも立ち直って欲しいが、その気配が全くない。
旦那にも事情を手紙で伝え、ハンナは使用人としてまだ働いている。茶畑は持ち直したらしいが、可愛がっていたクリスタを放置して村になど帰れない。
数ヶ月前に雇った教師も、ハンナの警戒事項の一つだ。淑女教育の為に男爵が友人から勧められたと教師と言うが、地位はあっても性格が宜しくない。
クリスタの傷をまじまじと見つめては、顔をしかめる。時にはわざとらしくため息をつく。その度にクリスタの心が抉られ、気持ちを落ち込ませるのだ。
何十回も同じ反応をする教師に、使用人一同はいい感情を抱けなかった。
そんな教師が、ある日言った。
「来月、ベスタリー公爵様が開かれるパーティーに参加をお願い致しましたわ。男爵様からも許可を得ています。いつまでも屋敷に籠らず実践あるのみです」
これには、流石に文句をつけた。同じ場にいた仲間も同様に大声で罵声を浴びせると、教師は逃げるように屋敷を出た。
震えるクリスタを抱きしめ、その間に他の使用人が男爵に問い質す。
「わ、悪い話じゃないだろう? 友人が誘ってくれて、娘もぜひ一緒にと……それに、同じ年頃の友達が出来れば、クリスタも良くなると思うんだ」
しどろもどろになりながらも答えた内容に、ハンナは疑念を抱く。大人よりも子供の方が時としては残酷だ。クリスタに悪影響な気がしてならない。
クリスタ自身も、外出すると聞いて怖がっている。連れて行かない方がいいと説明したが、今更撤回できないと男爵は首を縦に振らない。
気の弱さがここで災いしてしまった。娘よりも体裁が重要なのかと、男爵に対する印象をさらに下げた。
それからは毎日、外出に怯えるクリスタを励ました。可哀想に震えるクリスタを、見て見ぬふりなどできない。
それが功を奏したか、何とかパーティーの日には、多少表情には出る位に改善した。
クリスタの要望もあり、付き添う使用人の一人としてハンナも向かう事になった。
馬車に揺られ、ドレスを着こなしたクリスタ。頬の傷は軽い化粧では消しきれず、濃くすると子供らしからぬと変に目立つ。
「ヴェールで隠せるだろう。ほら、これ。彼女の持ち物だ」
悩むクリスタやハンナに、準備を終えた男爵はさらりと言い放つ。そうして差し出すヴェールは深い青色で、クリスタには似合わない。クリスタが産まれた頃に奥方が使っていた物だ。
「旦那様、そちらはまだお嬢様には早いかと」
「そんな事ない!」
ハンナの忠告は一喝された。性格上、もっと言いたいところだが、相手は雇い主。下手にクビにされては、クリスタの傍にはいられなくなり、また傷付くだろう。
クリスタは心優しい。だからこそ、他人からの悪意をそのまま受け取り、自分が悪いと思い込んでしまう。
奥方がいなくなってから、男爵の悪い部分が露呈していく。クリスタを守る壁にはなれない。
だから、ハンナがそうなるしかないのだ。
左半分を覆うヴェールは、クリスタに仕立てた淡いドレスに合わない。ニコニコと笑う男爵は、クリスタの沈んだ表情に気づいていないだろう。
代わりに、ハンナが手を握って慰める。そうしているとクリスタは落ち着くらしく、会場の入口まで手を繋いで向かった。
今日のパーティーは、デビュタントボールまで出会いの少ない貴族令嬢達が、友人や婚約者を見つけられるようにと公爵の計らいらしい。
善意に見せ掛けて、十二歳の息子と八歳の娘に利になる婚約者探しという噂だ。
侍女達の間で広がっている位だから、貴族間ではもっと確証めいたものがあるかもしれない。最も、男爵は知らないようだ。
そうでなければ、主催に挨拶した後にクリスタを一人にしないはずだ。知り合いを見つけたと、そのまま去ってしまった男爵。奥方がいた頃と行動を変える気は無いようだ。
残されたクリスタにハンナが付き添うが、所詮は侍女。貴族達の盾にはなれない。
婚約者の座を求めて敵を貶めようと、目をギラつかせる令嬢達の前では、ハンナは無力だ。
「あら、随分と渋い色のヴェール」
「そちらの領地で流行っているのかしら? 私は知らないわ」
「私もよ。僻地から遥々来られたのねぇ」
「ヴェール越しでもお顔の色が悪いわ。それに、やだ大きな傷。貴族として恥ずかしいわ、そんな傷」
「公爵様の善意に甘えず、早く帰ったらいかが?」
数人の令嬢がさっとクリスタを囲み、遠回しな嫌味を堂々と告げてくる。クスクスと笑う様は性根を表していて醜い。
嫌味の意味も悪意も理解してしまい、クリスタは目を伏せて縮こまる。ますます調子に乗りそうな令嬢達に、ハンナはもう我慢ならない。
「皆様のお言葉通り、お嬢様は具合が悪いようです。なので、このまま失礼します」
「あら? ただの侍女が偉そうじゃなくて?」
「そのつもりはありません。旦那様から言われてますので」
あくまで、仕える主の命令。そのスタンスに見せかけて、その場からクリスタを離れさせる。だが、逃げようとした先から、別の人物が歩いてきた。
その顔に後ろの令嬢達が黄色い声を上げる。
パーティーの主役、公爵家の兄妹だ。
ハンナは焦りで真っ白になった。
「ベイン男爵令嬢ですね。初めまして。お会いできるのを楽しみにしていました」
「御機嫌よう、ベイン男爵令嬢」
「え……あ……と…………。初め、まして……べスタリー、公爵子息、様、令嬢、様」
将来有望な顔のいい男女に微笑まれ、ただでさえ人に慣れていないクリスタは上手く話せない。それでも、たどたどしく習ったカーテシーを披露した。
困惑が伝わったらしく、二人は安心させる様にゆっくりと話す。
「緊張されなくても大丈夫ですよ。きちんとした場では無いですから」
「で、も……私、これ…………」
「噂は聞いているわ。口さがない人達はバカにしているけど、お母様を守ろうとした証でしょう? 私は素敵だと思うわ」
そう言って、令嬢はクリスタの手を両手で握った。驚くクリスタに、令嬢は間近で笑みを浮かべる。
「ねぇ、いろいろとお話しましょう? 貴女のこと、お兄様も気になっていたのよ。予想よりも愛らしい方ね、お兄様」
「お、おいっ」
令嬢の言葉に、子息が慌てる。僅かに顔が赤くなっていた。
これはいい感触ではないか。
長年培ってきたハンナの勘が囁いた。