10
少し長め
特殊修行からかなりの時間が経った。新しく修行に連れて行かれる気配が全くない。
人間と人魚が協力して不正をし、騙されて非のない人魚を処刑しようとした。その事実から、再発防止の策でも練っているのだろう。
「イオー。ヒマー」
「何もする事がないからな」
頬杖をついて、イオはおざなりに返答する。起きていた人魚が動転してこちらを見たが、すぐに顔を背けた。
特殊修行以降、イオに敵意を示していた人魚はいなくなった。
先導していた05-19が死んだ事もあるだろうが、一番はイオに恐れ慄いたからだ。人の死を前に、鎮痛剤を使うまで大笑いした相手など怖いに決まっている。
イオとしては急に親しくされても困るので、今の状態に満足している。
気が狂ったのではという内緒話を利用し、人目を気にする事を止めた。常にジャピタと会話をして暇を潰している。
あの映像は、ジャピタが集めた証拠だった。イオを助ける為に集めたという。
最初から、イオに好意的な邪神。
他人が転落する様に悦を覚える自分。
お似合いではないかと、自嘲する。
「なぁ、ジャピタ。前に話した事、答えを変えてもいいか?」
「マエ……イッショ! イオ、イッショ!?」
「ああ。アンタの記憶の中には、アタシが愉しめる復讐もあったからな」
ジャピタが感情と引き換えに力を渡した相手は、多種多様に富む。共通点は、強い負の感情だろう。
怒り、嘆き、悲しみ、怨み。
そういった感情は、弱者が強者へと持ちやすい。逆恨みや自業自得のものもあったが、家族を殺された復讐など垂涎物もある。
思い出しただけで笑い声が漏れかけたが、なんとか抑えた。
高く高く積み上がった勝者が、少しの後押しで一気に奈落へ堕ちる悲劇で喜劇。
それを間近で観劇する興奮が忘れられない。
「それに…………こうしていて、落ち着く相手はジャピタだけだ。できるなら、最後までずっと一緒に居たい」
心許せる相手と、少し手間をかけ、特等席で極上の食事。
正に夢のような生活だ。二度と覚めたくない、官能的な夢。嬉しそうに体を擦り寄せるジャピタの感触が、現実だと伝えてくれる。
「イオ、イッショ、ウレシイ! アイテ、エラブ! ジカン、ダイジョウブ!」
ジャピタは鋭い歯を見せ、満面の笑みを浮かべる。
餌を選ぶとは、力を渡す相手をイオの好みに合わせてくれるのだろう。
時間が大丈夫とは、寿命を伸ばす術でも持っているかもしれない。
それよりも、改めてジャピタの歓喜する様に安堵した。
ここまでされて、いらない、と言われたら立ち直れなかっただろう。
ふと、頭に文字が浮かぶ。ジャピタのフルネームだ。説明を求めジャピタの方を向き、思わず仰天した。
ジャピタが自分の尾を噛んでいる。歯が肉を貫き、離れた時にはくっきりと歯型がついていた。
空いた穴から薄い灰色の体液が滲み出している。血液だろうが、漆黒に薄い灰色が広がり濃さを薄める様は少し不気味だ。
そう考えていると、急にその部分突き出されて仰け反った。
「イオ、ナメル」
「な、舐める? これを?」
「ナメル、ナマエ、ヨブ! ナカマ!」
「仲間……?」
「ウン! ズット! イッショ!」
ジャピタの興奮を表すように、鎌首の振りが激しい。期待に満ちた瞳から、前から考えていた雰囲気を感じ取った。
神とは何だろう。
少し考えたが、すぐに止めた。それよりも、ジャピタと同じ存在へ至る事に胸が高鳴る。
「『イオレイナ』、ヨロシク!」
「こちらこそ、よろしくな。『ジャンス:ピール:カブター』」
互いに本名を呼び合い、イオは差し出された尾を優しく取って口付けた。
粘度の低い体液は簡単に舌で掬え、喉奥へと流れていく。体液が苦味を残して体内へ滴る度、自身の身体が熱く拍動を始めた。
強く脈打つ毎に、どこかが変化している。認識しているが、まるで第三者から知らされているように実感がない。
暖かい布で包まれている感覚が、とても心地よい。
これ以上は危険だと、本能が察知して口を離した。銀糸が伸び、名残惜しさを現している。
神の力が、知識が、イオに渡った。
限界まで得たつもりだが、ジャピタからすればほんの僅かなようだ。同じ立場になったから、格の違いがはっきりとわかる。
体液を通して得た知識は、昔に学んだかのように脳裏に浮かぶ。今の行為は、眷属化の儀式らしい。
つまり、同じ神でも地位は異なる。それを踏まえても、ジャピタの力は強いと理解出来た。
これだけ強大な力なら、相手の許容量をいとも簡単に超えてしまっても無理はない。
「イオ、キレー!」
ジャピタが飛び跳ねて喜ぶ。確認しようと、イオは右手を振るった。貰った知識には、魔法の使い方もあった。
頭に描きながら使えば、想像通りに水鏡ができる。
邪神の眷属となったからか、見た目の変化も大きい。
真っ先に分かる部分は目だ。白黒が入れ替わり、それだけで人智を超えた存在だと思わせる。
尾の鱗がいくつか剥がれ、そこから垂れた鎖。その先は邪神の力で造られた収容庫だろうと判断した。
何よりも、額に生えた一本角。黒色をベースに赤色と青色が渦巻く様は、これからの行く末を暗示している。
「まぁ、悪くない」
「ワーイ! イオ、イコウ? ココ、ウルサイ」
「そうだな」
返答しながら、五月蝿い方へ顔を向ける。
穴という穴から体液を垂れ流し、不協和音で喚き散らす人魚達。ジャピタは魔法で隠れていたが、イオはそのままでいた。
恐ろしい人魚がその姿も禍々しく変貌すれば、恐怖でしかないだろう。
少し前から叫んでいたが、雑音としてずっと放置していた。
噂に踊らされて、陰口を叩き敵意を向けていた人魚達。
どうせ手を下すなら、もっと大きく、楽しい方がいい。
「ジャピタ。石像まで行けるか?」
「テンイ、デキル」
「封印、解けるか?」
「デキルー!」
言いたい事が分かったらしく、ジャピタのテンションが一気に上がる。直後、若干の浮遊感と共に視界が一変した。
見た事がない、だだっ広い部屋だ。
ジャピタが水魔法を使っているようで、水に包まれた感覚を受けながら宙に浮いている。名前だけしか知らなかった軍神を前に、イオは眉をひそめた。
巨体の男が気迫る表情で暴れている。そうとしか見えない石像が、どうねじ曲がれば楽園に導く軍神の伝承となるか、全く分からない。最も、その辺りはもうどうでもいい。
中央の石像を隙間なく人間達が囲み、拝んでいた。しかし、一人がイオ達を見つけてから、あっという間に混乱状態に陥る。
「何だあれは!?」
「おい、セキュリティ班!」
「まさか、神嫁様……?」
「馬鹿言うな! あんな禍々しいモンが神嫁様なわけなかろう!?」
混乱は激しくなっていき、それだけで笑いが込み上げてくる。特徴的な頭部の男が、イオが10-07だと気がついたようだ。
だからといって、何か出来る訳では無い。精々、虚勢を張って命令するだけだ。
こちらに気を取られすぎて、石像の変化に気づいていない。
「トケタ~」
ジャピタがのほほんと告げる。刹那、大きな咆哮が耳を劈いた。反射的に身体を竦めて耳を塞ぐ。すぐに視線を戻したが、惨劇は始まっていた。
血走った眼は何も映さず、雄叫びを上げては腕を振り下ろす。大岩のような拳は人間の身体を潰し、床に罅を入れる。
一度に何人も餌食となり、判別が付かない平たいミンチ肉と化していた。
我先にと、一つしかない扉に密集する人間達。阿鼻叫喚の部屋の中。
大量の人魚を犠牲にしてまで復活させたかった神から、必死に逃げ惑っている。
望んでいた光景に、イオは腹を抱えた。
「アハハハハハハッ! 逃げる必要はないだろ!? アンタらが、私欲の為に実現させたかった事だろ!? フハッ、ハハハハハハッ! ほら、笑えよ! ヒャーハハハッ!」
イオの高笑いに反応する人間がいない。皆、生き残る為に必死だ。無様なあまり、笑いが止まらない。
呼吸が苦しく涙があふれてきた。だが、それを上回る楽しさ。
楽しい、愉しい。この愉悦を味わう為に、今まで耐えてきたかもしれない。全身で感じ取る、高揚感。
それに水を差してきた、急な浮遊感。
五話もクライマックス近いです