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個がそれぞれ成り立った
「ワカッタ! 『イオレイナ』!」
「え?」
「ソレ! ナマエ! チガウ?」
顔で隠した左胸を指す生物。言われた事が分からず、自分でもその場所を改めて見直す。
10-07。見慣れた自分のナンバー。
言われた内容と数字を照らし合わせ、やっと答えに辿り着く。
10-07。
簡単な当て字だ。だが、たったそれだけでも、気分は段違いだ。実験動物ではなく、一個人。
そういう扱いに変わった気がして、じわじわと喜びが湧き上がってくる。
「イオレイナ、か……個体ナンバーで慣れすぎて、そういう発想が消えてたな…………」
「チガウ? アッテル?」
「半々だ。これからはそう名乗れる。それに、この数字も好きになれそうだ。ありがとな。そういや、アンタの名前は?」
「ナマエ、ヨブ! コウカン! コウカン!」
名付けに感謝して生物の名を聞けば、またもや予想外の返答だ。復讐の力と感情の取引は、目の前の生物の名前を呼ぶ事で成立するようだ。
少し考え、生物に問いかける。
「名前を口に出さずに、アタシに伝えられないか?」
「デキル!」
言うや否や、生物がしっかりと瞬きする。途端に、脳裏に文字が明確に浮かんだ。
ジャンス:ピール:カブター。
邪神と言うだけあって、大層な名前だ。ほけーとした姿からは想像つかない。
この名称を使いつつ、目の前の生物に合う名前。単純に頭文字を取ってみると、案外しっくりときた。
「じゃあ、アンタのことはジャピタって呼ぶよ」
「ジャピタ? ジャピタ、ジャピタ! ナマエ! ジャピタ!」
呼びやすい名をつけた途端に、跳ね上がって喜ぶジャピタ。自分と同じ感動を、全身を持って表している。
どことなくこそばゆい感じがして、小さく笑った。
「アリガト! イオレイナ! イオ……イオ!? イオ! アイショウ、イオ!」
「アンタがくれた名前だ。アンタが呼びたい様にすればいいよ、ジャピタ」
「ウン! ヨロシク、イオ! ズット!」
ジャピタは嬉しそうに尾を差し出す。握手という事だろう。自分、イオは笑みを浮かべてジャピタの尾を優しく掴んだ。
まだ会って間もないのに、心許していた。久しぶりに敵意なく話せる相手、それもショックを受けた後に寄り添ってくれそうな相手だ。
ジャピタの素性よりも、名前をつけあった仲間意識の方が強い。とても、晴れやかな気分だった。
しばらくの間、ジャピタとの会話に花を咲かせていたイオ。
何度か同室の人魚が目を覚ましたが、ジャピタには気づかない。擬態と防音の魔法の効果が発揮されているようだ。
イオだけ除外し、自分に掛け続けている。神と名乗るだけあって、魔力も桁違いに高い。
他愛のない話をしつつ、イオは頭でタイミングを測る。
どこから来たか、目的は何か、色々と踏み入った話が聞けるなら尋ねたい。
素直に答えてはくれそうだが、切り口が見つからない。
そう思っていたが、第三者によって話が進むこととなった。
「軍神様のお付きが復活された! 貴様らの中から神嫁を差し出し、軍神様が復活なされる日も近い!」
恍惚とした感情を顕に、人間達は人魚の補充をしながら高笑う。その意味はイオだけがわかった。
隣に座る当の本人すらも分かっていないらしく、首を傾げていた。
どうやら、軍神の下僕とされた謎の生物像がジャピタのようだ。部屋の人魚達が寝静まった後に突っ込んでみたが、ジャピタはまた首を捻った。
「グンシン? ゾウ?」
「覚えてないか?」
「チカラ、コウカン、ネタ!」
「寝た? 力と交換に食事をして、腹でも膨れたか?」
「ギャク! ツカレタ!」
ジャピタの言葉に、小首を傾げた。復讐する力を授ける代わりに、元となった感情を得る。
休眠が必要な程、難しい作業なのだろうか。ましてや、権力がある神の方が疲労するというのもおかしな話だ。
唸っていても答えが見つかるはずがない。かといって尋ねても、ジャピタの要領を得ない話し方では、理解までに時間がかかる。
「なぁ、ジャピタ。その時の事、分かりやすく伝える方法とかないか?」
「ウーン…………キオク、オクル?」
「記憶? もしかして……アンタの記憶をアタシに?」
「ウン! タマシイ、キオク、ドーチョー。トッテモ、イタイ、ラシイ。ダイジョウブ?」
「みたいって、知識としてあるだけか。なら、挑戦する価値はあるな」
恐らく、軍神の神話にはジャピタが関わっている。長期にわたって苦境に立たされ続け、磨かれた勘がそう告げている。
この状況の根本を知る為なら、激痛も耐えてみせる。死ななければ軽いものだ。
覚悟を決めたイオの額に、ジャピタが自分の尾先を当てる。次の瞬間、景色が変わった。
見たこともない風景が、人物が、会話が、鮮明に意識を埋めていく。文字通り、一気に様々な情報が流れ込んできた。
世界は一つではない。その世界同士を繋げる暗闇の空間。
知らない現実も常識だと説明もなく認識させられる。
情報の多さに、心臓と同じリズムで頭が痛む。不快感が全身に渦巻き、それを追い出そうと腹から何かが迫り上がっては戻っていく。
あまりにも気持ち悪い。だが、まだ耐えられる。得られる情報は、イオにとって有力なものばかりだ。知識はあればあるほど、自分に有利に働く。
だから、限界まで詰め込みたい。自分の置かれた状況の真実に吐きかけたが、踏みとどまれた。
流れる記憶は、どんどんと古くなっていく。やがて、本人も覚えていなだろう原初の記憶が伝わったところで、尾が離れた。
途端、自身を蝕んでいた感覚がいっせいに消えた。急すぎて、逆に違和感を覚える程だ。
深い深い記憶の海