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無機質な扉が開く音に、自分を含めた部屋の人魚達が一斉にそちらを見た。
扉の前には、白衣を着た人間が立っている。
それだけで、自分達人魚にとっては 恐怖の対象だ。歯を鳴らし震える仲間達を見つつ、冷静に自分を落ち着かせる。
次の修行という名の実験まで、まだ日はあるはずだ。
また、前の修行でこのグループは今、欠員が一枠ある。
だとすれば人間が来たのは、修行の呼び出しではなく実験体補充だ。
その予想通り、白衣の男の後ろから別の人間が、台車を押して部屋に入る。運ばれているのは、気を失っている人魚だ。
刻印されたばかりらしく、左胸の印が痛々しい。
人間達は台車を傾けて人魚を降ろすと、そのまま無言で帰って行った。まるで、ごみ捨てに来た様な軽さだ。
最も、人間達にとってはその通りなのだろう。
降ろされた人魚は茶髪に黄緑の尾で、左胸に刻まれた数字は10-68。
部屋の八人が見守る中、10-68はゆっくりと目覚めた。
「……っ!? 何、ここ……貴女達は…………!?」
「驚かないで。貴女と同じよ」
「皆、急にここに連れてこられたの」
動揺する10-68に、近くの人魚が説明する。自分が説明する手間が省けていい。
それに自分と関われば、ろくな事にならない。だから、自分は少し離れた所で説明を聞いていた。
皆、何らかの手段で連れてこられた人魚だ。
詳しくは知らない。なにせ、記憶がない。
起きたらここにいて、左胸に数字が刻まれている。それが一番古い記憶だ。
全員がそうなのだから、薬物か魔法かで以前の記憶を消されている可能性が高い。
けれど、分かったところで今更だ、どうしようも無い。
名前すらも覚えていない。与えられたグループナンバーと個体ナンバーの組み合わせが、唯一の個である。
「うそ……やだ……なんで…………! なんでっ、何も思い出せないのぉ…………!?」
絶望的な現実を前に、10-68が涙目で悲痛な叫びを上げている。それを宥める他の人魚達。
同情もあるだろうが、重要な説明が残っているのだ。泣き止むまで待つだけなど、時間の無駄だ。
しかし、10-68はそのまま泣き出してしまい、落ち着く様子がない。背を撫でる人魚が、意を決して話を再開した。
「あのね、落ち着いて聞いてちょうだい。ここで過ごす上で、とても大切な事があるの」
「大切な、事 ……?」
「そう。それこそ……命に関わるのよ」
最重要事項を伝えると、10-68の怯えが強くなった。
端から見て分かるほどに震える様は可哀想だが、本人の為にも今、伝える必要がある。
「白衣の人間達は、私達を数日おきに外に出しては実験するのよ」
「実験……!?」
「人間達は『修行』って言ってるけど……成功とか失敗とか、あたい達を実験台にしてる風にしか見えないんだ」
「ええ。それも、失敗したら………………惨い最後を迎えてしまうのよ」
話す内に思い出したようで、皆の顔色が悪くなっている。中には恐怖で小刻みに震え出す者もおり、言葉よりも如実に事実を伝えている。
悲壮感にあふれる部屋で、動揺して辺りを見渡す10-68と目が合った。
途端、顔を明るくさせた。唯一、自分が平常を保てている事に、希望を持ったようだ。
残念ながら、そうではない。左胸の刻印を見せ、冷たく突き放す。
「アタシは感覚が麻痺しているだけだ。アンタが考えてる様な希望はないよ」
「え……でも、数字………………」
「だからだよ。最初の方からここに居て、運良く成功を続けて生き抜いてる。けど、その分だけ他のヤツらが死ぬ様を見てきた。おかげで、ちょっとの事では動じなくなったよ」
10-07。自分の刻印を撫でで、自嘲気味に笑った。
それでもまだ言いたげな10-68とは違い、他の人魚達はこちらを睨む。その意味を正しく理解しているからこそ、10-07は簡潔に伝えた。
「他のグループ含めて、アタシが最古参だ。だからか、不正を疑われている。特に、一人の人間と人魚にな。ここでは、人間に逆らったら終わりだ。目をつけられて死にたくないなら、アタシに関わらない方がいい」
それだけ言い、強制的に話を終了させた。10-68も周りの言葉で納得したようで、10-07から目を逸らす。
それを見てから、周りは説明を続けた。話が進むに連れ、10-68がチラチラと見てくる。
その視線が段々と、疑心に満ちていく。その様がはっきりとしていた。
「……信じられない…………」
侮蔑の言葉も態度も隠そうともしない。
つい数十秒前にはその相手に擦り寄っていたというのに、手のひら返しが早いものだ。
修行と言う名の実験は、主に三種類に分けられる。
体力修行、知力修行、そして直感修行。
もう一つ、特殊修行というものがあるが、これは例外だ。何せ、反抗した人魚や脱走を企てた人魚が受けさせられる処刑の別称だ。
必ず失敗する実験を見せられ、残った人魚達は反抗する気が削がれる。よくできたシステムだ。
修行名で内容がわかるようになっており、数日おきに完全ランダムで参加させられる。
比率として体力修行が多く、直感修行が少ない。その分、難易度は逆になる。
体力修行は時間内はずっと泳ぎ続ける、目標地点に到達するといった、単純な実験。
知力修行は時間内に鍵を外す、パズルを完成させるといった、冷静にかかればなんとかクリア出来る実験。
問題は直感修行だ。決められた回数でパネルを揃える、ナンバーを合わせるといった、運任せの実験。
失敗率が高い直感修行を、何度も成功させたからこそ10-07は生きている。怪しむなという方が無理だろうと、10-07自身が思っている。
「……言っても信じないだろ」
口から少し零れた本音は、誰にも聞かれなかった。遠巻きにされている現状が幸いしたようだ。
直感修行は、運だよりでは無い。
成功する方法が存在する。
それも、直感修行の際に流すアナウンスがそのままヒントになっていた。
10-07も寝る間を惜しんで試して、それが出来た時には自分で驚いた。
そのような方法を教えた所で、嘘だの不正だのと騒がれるがオチだ。
自分を疎み疑いを広めた、次に古株な人魚に聞けばいい。
冷たいかもしれないが、敵意しか向けてこない相手に向ける礼儀は持ち合わせていない。
修行がない日は、この狭い部屋から出られない。突き刺さる敵意の視線を無視するべく、10-07はまた眠りについた。
ナンバリングの個体認識。
まるで、ではなく、実験動物に過ぎない。