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短いですが導入です
深い深い海の中。
多くの世界がそうであるように、太陽光は届かず光源となる物もない。その為、漆黒の世界が広がっていた。
近くを泳ぐ生物は独特の進化をしており、視力の代わりに他の感覚器が優れている様だ。
イオ達から一目散に逃げているのは、その生存本能の高さ故だろう。
特に気にせず、イオは一直線に泳ぎ続ける。
視力の悪さから、生物は聳え立つ岩肌を避ける傾向にあるらしい。高山のような岩礁の一部、イオよりも少し大きい穴が空いている。
そこに入ると、細い道が先に続く。曲がりくねった道なりに進み、目的の場所に辿り着いた。
道の行き止まりは、四角い空間が広がっていた。自然にできた穴にしては、整えたように凹凸が少ない。
人間が数人過ごすとしたらやや狭いが、イオ達には十分な大きさである。
「なかなかいい場所だな」
そう言葉にするが、返事は返ってこない。代わりに心地良さそうな寝息が聞こえ、苦笑した。
片手で抱きしめているジャピタは爆睡中だ。返事があるわけないが、いつものように話しかけてしまった。
収納魔法を発動させて手を突っ込み、中から一本の棒を取り出す。ぐねぐねと曲がりくねった細い棒。
どこの世界で手に入れたかは忘れたが、珊瑚の一種である。
生命力が強く一本でも砂に刺せば、忽ちイオの腰辺りまで樹枝状に伸びる。複雑に枝分かれする珊瑚は、ジャピタが好む寝床なのだ。
中央付近に珊瑚を挿し、成長したそれにジャピタを静かに乗せる。すると、身体を器用に珊瑚に巻き付けた。
起きた訳ではなく、爆睡でも身体が覚えている癖だろう。
「さて、アタシも休むか」
ジャピタの健やかで寝相を見届け、軽く身体を伸ばしてから独りごちた。この空間を一通り見て、比較的綺麗に整っている壁に近づく。
そこを背に座り込み、人間の膝に当たる部分の尾を抱えて丸くなった。
できるだけ縮こまり、抱えて山になった尾に額を乗せる。
この広々とした空間に、海藻や貝殻のベッドで眠れたら素敵だろう。だが、昔の名残りでこの格好以外だと寝つきが悪くなる。
膨らんだ腹がもたらす眠気は、目を閉じればあっという間に襲ってきた。
意識がだんだんと朧気になっていく。
『神嫁として……』
『……この数値が、上昇してきて…………』
『今日の……は…………』
『敬愛する我らが神の為になるのだ!』
昔の記憶が浮かび、眠りを邪魔する。
昔の奴らと今回の復讐対象者。一方通行の敬愛が通じていると信じて疑わず、やる事なす事全てが神の為だと盲信していた。
似ている。そう思ってしまった所為で、無意識に思い出しているようだ。
尾を抱える手に、少し力が入る。頭から消し去ろうとしても、逆に色濃く記憶が蘇ってきた。
白衣を来た人間達が、淡々とした口調で残酷な事を告げる。
不安そうな人魚達が一人ずつ消え、新しい人魚が同じ場所に浮かぶ。
勇ましい銅像の前で、珍しく感情を表に出す研究員。
逞しい筋肉を惜しげなく現している一人の男の像だ。
そして、隣には細長いウツボの様な生物も立っている。
「…………ジャピタ」
呼び慣れた名前を口にする。それだけで、不思議と心穏やかになってきた。
自分に力をくれた張本人で立場は上だというのに、イオの言う通りにすれば上手くいくと、自分から下に甘んじている邪神。
イオにとっては、手のかかる相棒といったところだ。
ジャピタと出会わなければ、狭い限られた空間しか知らずに死んでいた。
邪神の眷属としての力も、イオレイナという名も、生き方も、ジャピタがくれたものである。
「…………夢見、悪そうだな」
柄にもなく落ち込む自分を鼻で笑う。
ジャピタが連れ去られたり真の姿に戻ったりして、意識していなくても疲れてしまったかもしれない。
精神不安定は一時的だろうが、弱っている状態での睡眠は嫌な予感がする。悪夢でも見てしまいそうだ。
予想出来ても、生理的な反応には勝てない。ゆっくりだが、イオは微睡んでいき、やがて夢の中に沈んだ。