8.マリアンヌ視点
『一度しか言いません。都合よく変換する耳や頭を使わず、よく聞きなさい。貴方はただのマーメイドでした。巫女ではありません。何故なら巫女は個、ヌシ様……海神タラタウス様が誕生してから、一度も変わっていません』
「んんー!」
『黙りなさいと言いました。聞き逃しても、二度は言いません。貴方は個の名を謀り、ヌシ様を貶めました。干渉は禁じられているからと、口から血を滴るほどに噛み締めて我慢していました。ですが、貴方は決して許されない事をしました。故に、個自ら罰する許可を得ました』
何を言っているのだろうか。
巫女はマリアンヌだ。目の前の化け物のはずがない。
海神タラタウス様をずっと信仰していた。
貶めるなど以ての外。
今日もいつも通り、海神タラタウス様を崇めない者達を懲らしめただけだ。許されない事ではない。
マリアンヌを罰する。それこそ傲慢極まりない。
触手に噛みつき睨みつける。海神タラタウス様の為にも、嘘つきの化け物に負けられない。
マリアンヌの抵抗に、化け物は小さくため息を着いた。
『やはり、聞き入れませんか。そうだと思いましたが、言わずにはいられませんので続けます』
途端、触手が口内で膨らんだ。限界まで膨れ上がる頬。勢いの所為で口の端が切れたらしく、鋭い痛みが走る。
それに文句を言う前に、触手が動いて身体が持ち上げられた。いとも簡単に身体が宙に浮き、瞬きする間もなく地面に叩きつけられた。
「…………っ!?」
『乱心される地神様を治めた後、ヌシ様は残された人間の身を案じました。しかし、神が関わる事は禁じられている為、自分の代わりとして人魚を創られました。
つまり、人魚とは人間を守る存在です。そこに上位も下位もなく、迫害や殺戮をする理由にはなりません』
衝撃で目が白黒と点滅する。
全身に痛みが伝わってまともに意識が保てないというのに、化け物の声だけはしっかりと聞こえた。
『また、天地海、それぞれの神がこの世界の最高神です。そこにも優劣はありません。地神様も、力は削がれましたが神格はそのままです。どの神を信仰するかはそれぞれ異なります。強要する理由になりません。
貴方は都合のいい考えを、ヌシ様の名を使って語っていた愚か者です。その様な者に、力を分け与える訳ありません。貴方がヌシ様の力だと思っていた物は、魔具による力。風魔法です。ヌシ様には関係がありません。それすら分からない者が、ヌシ様の巫女を騙るなど、言語道断です』
化け物は淡々と言いながら、マリアンヌを持ち上げては叩きつけ続ける。
度重なる痛みにマリアンヌは悲鳴も上げられず、ただ痙攣するしかできない。
『貴方の歪んだ信仰心は、ヌシ様の神格を穢しました。貴方の行いで減った正しい信仰心は、ヌシ様の神格を落としました。その所為で、ヌシ様は神の座から堕ちかけています』
一際、強く叩きつけられた。見下されているように感じる。
だが、その理由や反論が思いつかない。
『本当に、ギリギリの状態です。その上で、さらに高位の神に
、貴方がヌシ様の名で無礼を働き続けました。結果、イルンゾラは滅びかけました。貴方の所為で。幸い、貴方以外は許していただけました。寛大な御心に感謝しかありません』
言い終わると同時に、触手が抜けた。苦しかった物が取れ、呼吸が楽になる。
しかし、呼吸するだけで電撃のような痛みが全身を襲ってくる。指一本もろくに動かせない。
涙で濡れた目でうっすらと見える化け物は、冷ややかにこちらを見下ろしていた。
『最後に、罰の内容を伝えます。まず、驕りの原因である「人魚」という種から貴方を除きました。全てを取り除く事は不可能の為、多少は種の要素が残っています。ですが、それは見た目だけの話です。貴方はもう、ヌシ様の恩恵を二度と受け入れられない身体です』
海神タラタウス様の恩恵が受けられない。
朦朧とした意識でも、許し難い暴言は聞き逃さなかった。痛みに耐えながら訂正させようと、化け物を見上げる。
丁度その時、化け物が触手の先を変え、少し離れた海の水を掬い上げていた。
そして、無遠慮に海水をマリアンヌにぶちまけた。瞬間、水がかかった部分が激しく熱を持った。
「あぎゃあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
絶叫と共に身体がのたうち回る。打撲の痛みが増すが、それ以上に灼熱の痛みが強い。
酸でも掛けられたかと思ったが、化け物が海水を掬う様はマリアンヌ自身が目撃している。激痛に苦しむマリアンヌに、化け物は次々と言葉を投げつけてきた。
『ヌシ様の力は、海そのものです。つまり、貴方はもう海水を泳ぐどころか、海水を触れません。貴方の為に用意されたこの裁きの場は、この地面以外に海しかありません。なので、貴方はここから出られません。
また、背負った業を全て償うまで、貴方は死ねません。狂えません。どんな傷も、痛みを残して癒えます。全ての民に、貴方の状態とここへの移動方法は告げました。親兄弟、知人、友人、貴方に怨みのある民は数多く居ます』
今まで逃げ続けられ、辛酸を嘗めさせられていた相手がいる。
もう逃げず、反撃手段も持っていない。
屈辱を晴らす時である。
『民に嬲られなさい。犯されなさい。恥辱に塗れなさい。貴方が苦しむ程に、ヌシ様の穢れも削がれます。愚かな娘がやっとヌシ様の役に立てます。しっかりと務めてください』
マリアンヌは目を見開く。冗談ではない。必死に伸ばした手を一瞥もせず、化け物は消えていった。
マリアンヌの苦痛が海神タラタウス様の益な訳が無い。
自分は高尚な存在だ。
素晴らしい存在だ。
だから、巫女なのだ。
化け物の言う事など、何一つ信じられるものか。だが、実際に傷が治る所を見てゾッとする。
混乱する頭が導き出した結論は、天神か地神の罠である。
巫女のマリアンヌを貶める事で、海神タラタウス様を苦しめる目的なのだろう。
だとしたら、屈していられない。
ひゅんと、複数の人間が突然現れた。転移魔法だろうか。
人間達はマリアンヌを見つけると、ニヤニヤしながら近づいてくる。その手には、おぞましい道具の数々。
海神タラタウス様の為だ、耐えてみせる。
気丈に誓うマリアンヌ。それでも震える身体は、武者震いというものだろう。
決して、化け物の話が真実だったらと、一抹の不安を覚えたからでは無いはずだ。
自分は正しい。間違っていない。
それで、違いないのだ。