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「おかげで、漁師やワシらみたいな荷運びは衰退する一方だ」
「予想よりも酷い有様だな……」
イオの呟きに、船長はため息をついた。改めて話を聞けば、マリアンヌの厄介さが浮き彫りになる。
人間や同胞は容赦しないが、自分には傷一つつけさせない。絶対正義を振りかざす自己中心的な人物など、はっきり言って関わりたくないものだ。
そもそも、海神への敬意も怪しい。本当に敬っているなら、その教えを自分の都合が良すぎる方へ曲解しないはずだ。
何しろ、その所為で人間達から信仰が薄れているのだ。本末転倒である。
巫女と自称している点も、その方が自由に動けるからではないだろうか。
ただ、これ以上は考えたくないのでイオは思考を止めた。
「ワシらには、魔具で追っ払うのが精々だ。上手くいけば捕まえられると、投網のようにしているがな」
「魔具……魔力を帯びて、誰でも魔法が使える道具って事か」
「そうだ。その場で魔力を通した方がいいらしいが、魔力持ちはそう多くないからのう。しかし……そうであっても、海神様が味方するマリアンヌを、ワシらが何か出来るわけないが…………」
力なく笑う船長。強大な力を前に、諦めが勝っているようだ。海神の後ろ盾は、この世界では何よりも強力だろう。
ただ、それは単なる勘違いだ。面倒な事に、当のマリアンヌ自身も気づいていない。
勘違いで信仰が削れては、流石に不憫だ。
イオやジャピタが例外で、信仰は神にとって死活問題。信仰がなくなった神は消滅の可能性さえあるのだ。
だから、イオは真実を船長に突き立てた。
「あの渦に、海神の力は関わってないぞ」
「え?」
「魔力の質から、アレは風魔法だよ」
「何だとぉ!?」
船長が声を荒らげて立ち上がった。
それを落ち着かせ、再度座らせる。
「風魔法? 奴がか?」
「混乱する気持ちは分かるよ。だけど事実だ。それも、本人も気づいていない」
「さらに意味がわからん……」
「簡単な事だ。マリアンヌのネックレス、アレが魔具だよ。本人は海神に祈って渦を発生させていると思っているが、実際は魔具に魔力を流して起こしている」
イオの説明に、船長は口を大っぴらに開けて間抜け面のまま固まった。
少しして、我に返った船長がブツブツと呟き出す。
「渦を使うようになる前……確か、規模が大きい海賊船が犠牲になってたな……」
「それが原因だな。最も本人からしてみれば、デザインから巫女の自分が付けるべきだとか思ってそうだ」
「なら……海神様は、ワシらを見捨てていないのだな……!」
たどり着いた結論に、船長の表情が明るくなっていく。信仰する神が、自分達を排除する相手に手を貸していない事実に安堵したようだ。
これで船長から真実が広まれば、海神の信仰は少しずつ回復していくだろう。
しかし、根本的な問題の解決にはならない。その上で、イオ達側に問題が発生した。
「一つ聞きたいが…………マリアンヌへの怨みが一番強い人物を知っているか?」
「奴を恨んでいる奴は大勢おるわ。どいつもこいつも、自分が一番憎んどると思っているだろうな」
「だよなぁ……」
予想していた回答に、イオを空を仰ぐ。
今回、マリアンヌが復讐対象者で間違いない。そうなると、取引相手の選別が困難になる。
対象が同じ場合、複数人と取引する事はあった。
それでも、二桁は超えない人数に留めている。取引相手を増やした分だけ、メリットとデメリットが襲ってくる。
メリットは得る負の感情が増える事。
デメリットは誰かが口を滑らす可能性が出てくる事、集まった者が信仰を持つ確率が上がる事、離れた場所にいる場合は意見をまとめる手間ができる事、移動が大変な事。
軽く考えただけでも、デメリットの方が大きい。おまけに、イルンゾラというこの世界は島ばかりらしい。
移動手段を潰されている以上、イオが各島に行き来するしかない。その労力を考えただけで寒気が走る。
ただでさえ、ジャピタが力を使いすぎて空腹状態なのだ。なるべく早くに取引をして、負の感情を得る必要がある。
どうするべきかと、頭を捻る。その時、ドタドタと船員が興奮した様子で駆け寄ってきた。
「船長! 海光っす! それも結構でかい丸!」
「何ぃ!? どこだどこだ!?」
「真東、それも船横です!」
方向を聞いた途端に、船長はその場から動き出した。手摺から身を乗り出すように海を覗き、感嘆の声を上げた。
幼子みたいに喜ぶ船長。他の船員も同じ反応をしているらしく、はしゃぐ声が聞こえてくる。
自然と興味が湧いてくる。
船長の隣まで行き、海面へ視線を移す。そうして描かれている光景に思わずため息が出た。
青白い光が、海水越しに輝いている。
小さな発光物の集合体らしく、光加減や円の形は安定していない。それがより一層神秘さを増しているように思えた。
「アレは……?」
「海光さっ。マレルーナっつーふよふよした生き物の群れが、海上付近に来た時に現れる縁起もんだよ。丸い形が基本でな、あの中は海神様の住処に繋がってるって言い伝えだぁ」
船長は表情を綻ばせ、頬を弛めたまま手を合わせる。船乗りに伝わる、幸せのジンクスに近いもののようだ。
説明を受けて改めて海光を眺める。
確かに、薄く透明な傘状の物が、開いたり閉じたりして浮いている。その下には、複数の長い触手が垂れ下がっていた。
世界的には、クラゲと呼ばれる生物だ。それが輪になり、青白く光っている。
その輪が入口で、イオ達を誘っていた。
「船乗り達の言い伝えとやらは、的を得ているな」
「ん? どういう事だ?」
「いや、アンタらはそのままでいいさ。話、聞けて助かったよ」
言うや否や、イオは踵を返してジャピタの元に行く。うとうとと夢現のジャピタを片手で抱え、再び手摺際に戻った。
そのまま、手摺を使って勢いをつけてその場を飛び、その上に着地する。手摺に立ったイオに、船長が驚愕して声をかけた。
「何をする気だ!? まさかとは思うが、海光に飛び込む気か!?」
「安心しな。マリアンヌと違って、向こうからの招待に乗るだけだ。不敬にはならない」
船長の不安を口にしてやれば、目を丸くして硬直した。ものの数秒だが、別れには十分だ。
軽く挨拶をしてから、頭から海光の輪に飛び込む。
海水の心地よい感触と、衝撃で発生し浮かぶ泡。見慣れた青の世界に、先程の海光の輪が視界に入った。
進んでも退いても一定距離を保ち、行き先を案内する道しるべのようだ。微かにだが、神性を感じられた。
それに従い、イオは泳ぎ始める。スピードが乗ってくると、脳内に情報が流れてきた。
マリアンヌの行い、犠牲者達の嘆き、怒り、悲しみ。そういった映像の断片が浮かんでは消える。
誰かの記憶の欠片に感じた。
その誰かは、イオ達の事もよく知っているようだ。復讐方法や対価までもが、頭に流れてきた。
かなり綿密に作られた計画書だ。いくつかの穴を指摘すれば、すぐに修正されたものが伝わってくる。
そうして取引の中身全てが決められた時、景色が一変した。
円形に張られた紺碧のタイル、その周りを囲む石柱。
祭壇の一つだろうと結論づけ、タイルに尾をつける。石柱は結界の維持も兼ねているようで、この中は明るく快適だ。
周りは魚が悠々自適に泳いでいる。目が退化している種類が多く、水深が高い場所にいるようだ。
『お待ちしておりました。最邪神様、並びに眷属様』
外に気を取られていると、透明感のある声が響いた。それはイオの前にゆっくりと形を成し、姿を現す。
その正体がわかった瞬間、イオはにやりと笑った。納得のいく復讐者だ。
「考えてみれば、アンタが怒らないわけがないよな。アタシも考えが回らないものだ」
『最邪神様の事で、動転していたと思います』
「それもそうだな。それで、さっき作った通りでいいのか?」
『はい。お願いします。最邪神ジャンス:ピール:カブター様。眷属であるイオレイナ様』
取引完了だ。
想像もしなかった大物が釣れて、面倒ごとも省けた。いい事ずくめだと、邪神はいつも以上に愉しく笑った。
次回、ざまぁ回