10.ジルコン視点
「あ……ああ………………!」
胸の内から感情が込み上げ、叫び声を上げたくなる。だが、なけなしの理性をかき集めて堰き止める。
まんまとに騙されていた自分に、嘆く資格などない。
何度も、何十回も、不審に思う時があった。今になって振り返れば、その時に何故行動しなかったかと怒鳴りつけたい。
力が入らず、ジルコンはその場に膝をついた。妙な浮遊感と共に視界が揺れ、額から汗が滴り落ちる。
息が苦しい。ルピナスの苦しさを追体験している気分だ。
か細い呼吸で、自分の体が無意識に涙を溢れさせる。滲む視界誰かが移り、同時に背中に暖かい手が置かれた。
驚いていると、背を撫でられつつ優しい声色が頭上から降ってくる。
「ジル、落ち着くッス。ゆっくり、大きく息を吐くッス」
マヤの言う通りに呼吸をする。徐々に落ち着いてきたが、同時に罪悪感が募っていく。
それを見越したか、マヤは軽く頭も撫でた。
「クロット国王が言うには、ピクシーは薬草や毒草も詳しいらしいッス。多分ッスけど、判断力を鈍らせる薬かなんか使ったんじゃないッスか? そうでもなければ自分が気づいた違和感に、ジルが気づかない訳ないっス」
ジルコンの脳裏に、ルピナスの香水が過ぎる。
花の蜜を凝縮したように甘い香り。疑問を持つ度にルピナスが抱きついて、その香りがジルコンを落ち着かせた。
あれが、自分の思考を鈍らせていた代物。
今までの出来事が浮かび、哀しみさえも飲み込んだ怒りへと変わる。射殺せそうな顔をピクシーに向けると、ピクシーの暴言と抵抗が一瞬止まった。
だが、再び暴れ出すピクシー。殺意を隠さないジルコンと、色々ありすぎて呆けるしかない両親や騎士達を見渡し、ヒースグレイは満足気に頷いた。
「うむ。現状の把握とそれに伴う判断の速さ。それでこそ、ルピナスが選んだ男だ。さて……ピクシーよ。貴様達の企みはここまでだ、下衆が」
「フざけんナ! ゲすはそっちダ! アっちらのしわざなんテ、シょうこはないだロ!」
ジルコンよりも殺意のこもったヒースグレイ視線に、ピクシーは噛みついてきた。
甲高い声で吐かれる暴言は耳を痛めてくる。子犬の鳴き声よりも酷い喚きに、ヒースグレイは鼻で笑った。
「証拠はしかと残っておったぞ。ルピナスにつけた首飾りは、ただの飾りではない。身につけた者に何かあった際、その時の音声を残す最新鋭の魔法具だ」
「ハあッ!?」
「馬達に幻覚を見せ、ルーブ沼目がけて走らせたようだな。混乱の音声の中で、貴様達の耳障りな笑い声はやけに目立っていたぞ。それと、『醜いゴブリンの所為にして、この森を快適にしよう』だったか? 自己中心な考え方も大概にしろ!」
怒鳴り声が空気を震わせる。凄まじい剣幕に、マヤや騎士隊長も動揺を見せていた。
直撃を受けたピクシーは青ざめて怯んだが、それでも口は止まらない。
「オまえのむすめがわるイ! アっちのおくりもノ、アのおんながじゃましタ! ソんなせいかくぶすガ、コんないいおとことけっこんなんテ、オかしイ! アっちのほうガ、フさわしいだロ!」
「贈り物……長女の婿に届けられた、禁止毒物や他国からの盗品の数々の事か? あれのどこが贈り物だ。王族への悪意ある行為として、ルピナスが貴様ら犯人を炙り出しただけではないか。それも、種が違うからと注意だけに済ませた恩情だぞ?」
「アっちのこうイ、ジこまんぞくだト、バかにしタ! ミくだしタ! ユるすわけないだロ!」
そう怒鳴るピクシーだが、なんとも自分勝手な内容だ。
人間が行ったら死刑になることをしておきながら、軽すぎる処罰に感謝していない。むしろ、見当違いな恨みをルピナスに持っている。
たったそれだけ。それだけで、ここまでの大事を引き起こしたのだ。
見過ごせない。見過ごす訳にはいかない。
ジルコンは覇気のないまま、ゆっくりと立ち上がる。そのまま、腰に差した剣に手をかけた。
「きリすテルノハ、まッテホシイ」
マントの人物が静止をかける。ジルコンが行おうとしたことを見越したようだ。声からして男。だが、それ以上に独特な話し方が気にかかる。
ヒースグレイとマヤ、騎士隊長を除く全員が注視する中、男はゆっくりとフードを上げた。
緑色の肌色、平らとは程遠い肌質。
目から入る情報は、この場にいるはずない存在を示す。有り得ない状況に言葉が出ない。
少し遅れて、小さな悲鳴や緊張が場に広がった。それでも、ジルコンは凍りついたままだ。
ゴブリンだ。普通のゴブリンよりも流暢な言葉遣いと知性は、上位の存在であると予想できる。恐らく、ゴブリンを統率する個体だ。
敵を認識したピクシーが、口撃を再開する。それを忌々しげに見下ろし、ゴブリンはジルコンや両親へ一礼した。
「もりノごぶりんタチ、だいひょうトシテわれガきタ」
「シネ! シネ! ミにくいごぶりんガ!」
「だまレ! きさまラノたくらミデ、なかまガドレほどなクナッタトおもっテル!」
魔物同士の口論。激しさを増していくそれに口を挟めず、聞いているしかない。
そもそも、ゴブリンが何故ここまで来れたか。連れてきたヒースグレイに説明を求めれば、想定内の疑問にすぐに返答される。
「簡単な事だ。ゴブリンが真実を教えてくれたのだ」
「どういう意味でしょうか……?」
「先程、諸事情で騎士達と遭遇したと言ったな? その事情と言うのが、ゴブリンだ。関所から、王女の秘密と叫びながら誘導しようとするゴブリンがいると聞き、急いで駆けつけたのだ」
「こっちも同じッス。白旗振ってるゴブリンを追いかけてたら、沼まで辿り着いたッス。目撃証言もゴブリンからッス」
驚きのあまり、頭が白一色に染まる。目の前にゴブリンがいて、なおかつ信頼出来る二人からの話でなければ信じなかっただろう。
徐々に事実を理解していき、それでも疑念は潰えない。
ピクシーに騙されていたとはいえ、ゴブリン殲滅の指示を自分が出した。繁殖力に富んだゴブリンも残りわずかであると、報告を受けている。
直接の仇であるイローニ国に、ヒースグレイを味方につけて真実を教えた真意が分からない。
そう思ってゴブリンを眺めていれば、目が合った。途端、歯が剥き出しになるほどに口角を吊り上げる。
「われわれハ、オまえたちヲゆるシテイナイ。かんちがイスルナヨ、にんげん」
「……ならば、何を狙っている?」
「おおクノなかまガしンダ。おぎなウため二、オまえたちニハめすヲさシだシテイタダコウ」
その要求で、ようやく意図を察する事が出来た。
ゴブリンに女性を差し出したら、末路など目に見えている。散々に嬲られ、只管に妊娠と出産を繰り返し、精根尽き果ててその命を終わらせるだろう。
通常なら、受け入れられない要求だ。
だが、今なら丁度いい。
いるではないか。二国の王族に楯突き、罪人として処刑をするしかない、女性のみの種族。
ヒースグレイも同じ考えをしているようだ。仄暗い笑みを浮かべ、ゴブリンへの詫びの品を見ている。
自分も、ヒースグレイやゴブリンのような表情をしているだろう。それを自覚しながら、ゴブリンへの供物を視界に映す。
ピクシー本人も理解してしまったようで、先程までの威勢は無くなっていた。
ゴブリンといえば、ねぇ?
あと二話で三章完結な為、明日も更新します