5.マヤ視点
ゆっくりと、着実に。ジルコンとルピナス王女の距離は縮まっていった。
初対面から三年。互いに愛し合っていると傍から見ても分かる程だ。早く結婚しろと、ジルコンの背中を押したのは既に二桁を越していた。
それはマヤだけではなく、国王夫婦やマヤの両親、ジルコンを知る他の重臣達も同様である。
もどかしく見守る中、二人がようやく結婚に前向きになり、周囲が諸手を挙げて喜んだのが半年程。
クロット国側も、今か今かと待ち構えていたらしい。すぐに準備が行われ、半月という異例の速さで王女が輿入れする事になった。
向こうの国を出てから、国境である川の関所までは三日半から四日。
精鋭の騎士団を迎えに行かせ、落ち着かない様子で公務に行うジルコン。
その様を微笑ましく眺めていたが、次第にそうも思っていられなくなった。
ルピナス王女と侍女、護衛と嫁入り道具を乗せた馬車が来ない。
予定日を一日過ぎ、二日過ぎ、あっという間に五日過ぎた。
クロット国からは、予定通りの日に嫁入りの列を送り出した旨の手紙が届いている。
即ち、ただならぬ事態が起きているということだ。
ジルコンを中心に多くの者がすぐに花嫁探しに乗り出そうとしたが、保守的な重臣数名が待ったをかけた。
両国の慶事中に、荒々しく捜索するのは如何なものかと言う。
確かに関所で観測されていない以上、クロット国側で何かしらに巻き込まれた可能性が高い。そうなると、許可やら説明やらと様々な案件をこなす必要があるのだ。
しかし、待ち望んだ王女の行方に比べれば些細な事だとジルコンは一喝。
すぐに事態を簡潔にまとめた文書を作成、急ぎでクロット国王へ届けさせると、ジルコンは防衛する騎士以外を連れて国境を目指した。
勿論、マヤも同行し後を着いていく。
ジルコン一行が王都から一番近くの関所に到着した直後、事態は急速に動いた。
ルピナス王女を保護したという知らせが、イローニ国側にある別の関所から届いたのだ。
休みもそこそこに関所を出、ルピナス王女がいる関所へ向かう。不測の出来事に足は速くなり、数時間かかる距離が半分の時間で済んだ。
我先にとジルコンは足早にルピナス王女がいる部屋へ行き、そのままの勢いで扉を開ける。
急いで後を追ったマヤは、扉を開けてジルコンが硬直する瞬間を目撃した。同じ様に中を覗き込み、異常な光景に息を飲む。
関所の内部は薄暗く、通気性も良くないので湿気か高い。
じめじめとした部屋で粗末な椅子に座るルピナス王女は、城で魅せていた気品さが消え失せていた。
小さく震えるルピナス王女は、自身の身体をしっかりと抱きしめていた。
青地に金の刺繍がされた上質なドレスは、ジルコンの為に作られたようだ。だが、土や泥で汚い斑が無数に広がり、摩擦や鋭利な物によって余す所なく傷んでいる。酷い場所では破れほつれが目立った。
「ルッ……ルピナス……!」
「ジル、ジルコン、さ、ま…………」
あまりの有様に我慢ならず、ジルコンは目の前の伴侶を強く抱き締めた。囲い込む様な抱擁に、ルピナス王女は身を委ねる。
まるで一枚の油絵のようだ。緊急事態にも関わらず、マヤは美男美女の姿にそう感じた。
すぐに我に返って冷静さを取り戻し、そこで小さな違和感を覚える。
ジルコンの胸に身を預けたルピナス王女から、震えがなくなっている。それに、表情も一変していた。
恐怖に怯える顔から、恍惚とした笑みへ。それだけ安心したという事だろうが、今まで見たことの無い表情に首を傾げる。
それ以外にも何かあると思ったが、気付く前に話が進んだ。
抱き合ったまま、ジルコンとルピナス王女は顔を合わせる。ジルコンを見つめるその顔は、また恐怖に歪んでいた。
「ルピナス……貴女が行方知らずになり、私は胸が張り裂けそうだった…………」
「ジルコン様……」
「…………辛いだろうが、何があったか話してはくれないか?」
髪を撫で、優しい声色でジルコンは尋ねる。暫く見つめ合った後、ルピナス王女は小さく頷くと、口を開いた。
「何時だかは、覚えていませんが…………ゴブリン………………ゴブリンが、アタクシ達を襲ってきましたの…………!」
「ゴブリンだと!?」
ジルコンの動揺が声量になって現れる。マヤも目を見開いて驚くしかない。
森の中に住む魔物の内、明確な意志を持って襲いかかる代表格がゴブリンだ。
しかし、害がある魔物の中では最下級。簡単な魔物避けを装備するだけで、ゴブリン達は近寄れなくなる。
遠巻きに、獲物が素通りする様を悔しそうに眺めるのだ。
魔物避けは必須。それをよりにもよって王女の行列で忘れるはずがない。
その考えを補足するように、ルピナス王女は言葉を続けた。
「……此度の護衛の中に、アタクシを思い慕っている騎士がいました…………恐らく、彼が魔物避けを…………」
「なんて身勝手な!?」
「輿入れするアタクシを見て、もしかしたら、気持ちが暴走したのかもしれませんわ…………それで、ゴブリンの魔の手から、必死に逃げまして…………ようやく、ここにたどり着きましたのよ」
「なんという事だ……」
事態の重さに、ジルコンの身体が一瞬ふらついた。
顔色が悪い。ルピナス王女の悲惨な状況を推測したのだろう。こういう時、頭の回転が速いジルコンは大変だ。
逆に、マヤは話を聞いて胸のモヤが大きくなった。
基本的に、ジルコンの護衛はマヤが務める。その為、ジルコンに付き添ってルピナス王女と会う機会は多かった。
マヤから見て、ルピナス王女は芯がしっかりしている女性だ。
貴族としての矜持を持ちながらも、それだけに頼らない。
何かが起きた際、彼女は隅の隅まで調べ尽くし、そうして得た事実を元に話を進める。地位や噂など、憶測で物を語る事を嫌う女性だ。
しかし、先程のルピナス王女は三度も、曖昧な言葉で自身の憶測を語った。
特に、最後。自分を慕っていた騎士が原因だと言わんばかりの言い草だ。このような言い方、ルピナス王女らしくない。
襲われたショックで混乱している。そう自身に言い聞かせているが、どうしても疑念が拭えない。
マヤの疑惑を分かったのか、ルピナス王女はジルコンにより密着し、視線の盾にした。その行動もまた、不自然だ。
だが、些細な疑問は次の言葉で一気に吹き飛んだ。
「ジルコン様……お願いします…………! 護衛や侍女の、無念を晴らして…………!」
「それは、どういう意味でしょうか」
「皆の仇を、ゴブリンをかの森から消し去ってくださいませ!」
「ちょ、正気ッスか!?」
必死に傍受に専念していたマヤも、つい口が出てしまった。
敬語を使い忘れたと後から気がついたが、その時はジルコンすらも気づかなかった。
一定区画だけとはいえ、ゴブリンの殲滅などコストがかかりすぎる。多大な労力と時間を消費し、一匹の見逃しも許されない。
魔物達のパワーバランスと人間側の事情を交わらせ、ゴブリンの対処は害を与えてき次第となっている。
当たり前の事項だが、王女の憂いを晴らしたい。腕の中で蹲るルピナス王女と宙を交互に見るジルコンの顔は、そう伝えてきた。
いくら混乱してようと、聡明なルピナス王女がこの取り決めを忘れているとは考えにくい。やはり、何かがおかしい。
だが、何回見直してもルピナス王女そのままの見た目だ。
混乱の空気の中、ルピナス王女の嗚咽だけがやけに響いた。
重臣達を中心とした会議にてゴブリン殲滅が決まり、騎士団が投入される。
そう決められたのは、一ヶ月後と早かった。
疑念の姫君
ゴブリン殲滅
不穏しかない