8.アラン視点
瞼裏の暗闇で、ピクリとも身体が動かない。
本当に、何が起きているのだ。アランの問いに答える相手はいない。
担がれているのか、変な浮遊感だけを感じる。
長く感じる時間の中、ふいに投げ落とされた。上から、知らない人間の声が聞こえる。
「ここでいいんだよな?」
「ああ。さっさと処理して、王の元に」
「そこまでにしな」
男二人の会話に割り込む、若い女性の声。聞いた事がある。記憶を遡ってみれば、すぐに見つかった。
ベアトリーチェの屋敷にいた、珍しい客人だ。
海のないこの辺りで、変なペットを連れて、お茶を飲んでいたマーメイド。
態度は冷めてはいたが、敵意はなかった。しかし、アランを運んでいた男達には敵意の有無は関係ないようだ。
「マーメイド……?」
「絶滅寸前と聞いていたが……成程。乱獲されて然るべき美しさだ」
「高く売れそうだが、タイミングが悪い。仕方ないか……」
動揺を隠しつつ、カチャリと金属音が聞こえた。刃物で攻撃する気だ。逃げろと言いたいが、声が出ない。
男達が足を踏み込み、駆け出した。次の瞬間。
「邪魔」
冷たい声色が響き、男達の短い呻き声が続く。声しか分からない状況も相まって、アランの冷静さもなくなっていく。
困惑が強まる中、先程のマーメイドの声が上から降ってきた。
「あー……分かってないんだな。ほらっ」
すっと伸ばされた手に胸倉を掴まれ、力一杯引き上げられる。身体が起こされると同時に、目の前が開けた。
明瞭な視界に大きく映るマーメイド。
手にピッタリと馴染む橙の短いグローブで、アランを掴みあげていた。その首にはマフラーのように、黒いペットが居座っている。
背後に移る木々から、役場から離れた街の隅、手入れされていない空き地が現在地のようだ。
マーメイドは前にあった時と違い、額に角が生えて目が反転している。
不気味な変化よりも、凛と済ましていた顔に憐れみが含まれている方が気になる。
問いかけようとして、その前にアランは違和感に気づいた。
気づいてしまった。
足が地に付いていない。浮遊感に包まれ、視線が高い。
不思議に思い真下へ目を向け、凍りついた。
アラン自身が、横たわっている。
力なく四肢は投げ出され、いつもよりも肌が白い。
首に真一文字の切り傷があり、少し固まった血が傷口にこびりついていた。明らかな致命傷だ。
震えを覚えつつ、自分の手を見やる。薄らとその先の地面まで見えた。
ここまですれば、今の状態を正確に理解出来てしまう。
「……………………俺は、死んだのか」
「理解したみたいだな。ま、理性がある冷静なゴーストでよかったよ」
マーメイドが当たり前のように返事をする。淡々としすぎて、思わず苦笑した。
悲しいとか、苦しいとか、それよりも強い気持ちは、落胆。
勝手にフランを生贄にされても、民の為に苦渋の選択をしたのだと思いたかった。
ネルソン町長には、自分達を拾ってくれた恩義がある。
だから、自己の利益の為に人を使い捨てる様な人物と思いたくなかったのだ。
国王も、町長も、話し合えば分かり合える。
その淡い期待への答えが、この様だ。
ごちゃごちゃとした気持ちが胸を渦巻き、やがて混ざりあって一つの感情になった。
「俺は、悔しい」
フランの仇も取れず、ベアトリーチェの負担を減らせず、何も出来ずに死んだ自分が情けない。
無意識にそう後悔していたからこそ、ゴーストと化したのだろう。だからといって、どう行動すればいいか分からない。
なにせ、ゴーストになった事に気づかずに身体にしがみついていたのだ。
ネルソン町長やカルオ国王に相対しようにも、上手くいく気がしない。
考えが進む度に、気持ちが沈んでいく。ふいに、顔を挟まれて向きを変えられた。マーメイドが、不敵に微笑んでいる。
「悔しいだけか?」
問いかけの体を取っているが、アランの心を見透かし核心をついてくる。
「妹を不当に奪われ、騙され、今度は自分の命すらも奪われた。ゴーストになる程に、アンタは未練を抱えてる。自分が気づいてるかは関係ない。 それが事実だ」
言葉が投げかけられると、ごちゃ混ぜの感情に名前となって整理されていく。
綺麗に整頓された感情、広がる視野。
そうして辿り着いたアランの願いを、意図も簡単にマーメイドが口にする。
「復讐、したいだろ? 人柱全員も同じだ。アタシは邪神イオレイナ。アンタも望むなら、対価と引き換えに手伝ってやるよ」
マーメイドの言葉が、ストンと腑に落ちる。
自分達兄妹を陥れた奴らが憎たらしい。やり返したい。
ゴーストになったからか、人間の時は避けていた、ドロドロとした感情が心地よい。
「その通りだ。俺は、町長にも国王にもやり返したい。フランが望むのなら、尚更だ」
「なら、取引しよう」
目の前のマーメイドが、楽しそうに口に弧を描いた。肉体から離れたからか、マーメイドとペットの強さが感覚で伝わる。
邪神という言葉の重みを肌で感じている状態だ。本来なら、こうして話す事さえも烏滸がましい行為だと察してしまう。
「一つ聞きたい。俺やフランの復讐、貴殿が付き合う理由は?」
「愉しいからだ。それ以外で何でもない。アタシの愉悦を満たす為に、こういった案件を選ばせてもらってる」
髪をかきあげ、さも当然だとばかりの態度で言う。アランからすればありがたい限りだ。
「俺は町長と国王へ相応の報いと、フラン達人柱の復讐成功を望む。その場合、何を差し出せばいい?」
「そうだなー……人柱達の対価で充分だが、今回はちょっと例外だ。アタシらはコレが欲しい」
そう言ってマーメイドは指を下へ向ける。細い指をなぞ様に視線を下げれば、先程も見た遺体の自分。
自分の所持品を頭に思い浮かべては、邪神が望む物では無いとばっさり切り捨てる。
求める物が所持品ではないとわかった瞬間、これが欲しいのかと首を傾げた。
「俺の死体?」
「そう。コイツの外見を用意したくてな」
「ソトミー」
体を少し摘まれたペットがオウム返しする。確かに、奇妙な姿は魔獣に近くて忌避感が出てくる。
仮にアランの街に入ろうとした時、マーメイドなら下半身を隠せば問題なさそうだが、ペットは無理だろう。
そういう場面を考えた上で、使い勝手のいい肉体が必要なようだ。
少しだけ考え、アランはすぐに決意する。フランに協力できるなら、自分の死体など差し出しても構わない。
「わかった。腐ったら、適当に埋めてくれ」
「邪神への供物だ。そういう物とは無縁だよ」
「それもそうか」
軽い冗談に思わず苦笑した。その間に、頭の中に文字が浮かんでくる。
それが邪神の名だと、呼べばいいのだと、本能が囁く。
「最後の工程だ。思い浮かんでいる名を呼べ」
「わかった。頼む……お願いします。ジャンス:ピール:カブター様」
紡いだ言葉に、邪神達が笑みを深める。
取引完了だと、アランとの契約がなされた事実に、愉快そうに笑っていた。
次回よりざまぁターンへ移行します