19.エピローグ。ジャピタ視点
船がある。大きな船。波を受けてもビクともしないで、どんどん進む。
その様子を、ジャピタは上からじっと眺めていた。偽装しているから、見上げても空と同じ。
でも、船の人達はゆっくりと船を止めて、暗い顔で進行方向を見ていた。
その先だけ、黒い霧が出ている。
上からだと、それが一部分だけ囲んでいるように見えた。
船の人達は悲しそうに霧を見て、首を横に振る。
『駄目だ。完全に瘴気に覆われちまった……』
『遂に来ちまったか……。この量じゃあ……島民達は手遅れだろうな』
『そんなん、あん時から分かってただろ! アーサーの野郎! 嫁さん連れて帰ってくるって言ってたくせに!』
『失敗したら瘴気まみれだから、異変感じたらすぐ逃げろってな。それが遺言とか笑えねぇよ、馬鹿野郎が……』
『急激に神力が失せ、瘴気の気配により上陸不可能。遂には消失し、島の存在すら観測不明……こうなった以上、我々には手出し出来ん。女王陛下に急ぎ報告だ』
帽子を被った人の言葉に、他の人達は頷いて動き出す。ちょっとして、船はなるべく前に行かないように方向を変えて、来た方向に戻って行った。
正しい選択だ。あのまま進めば、瘴気にまみれて船の人達は人間ではなくなっていた。
「ハヒッ……ヒー、フー!」
また、イオの笑い声が出てきた。
くるりと顔を後ろに向けて、イオをじっと見る。
ジャピタの体を掴んで、プルプルと震えている。
掴むと言うより、上から手を置いているだけだ。パイプを落とさないように必死でもある。
鹿という生物が産まれたてで立とうとしていた姿にソックリだ。
今のイオは弱っている。
笑いすぎて、力が入らない状態らしい。
今回の劇は、それだけ面白かった。
『わ、ワシらはどうなるというんじゃ!?』
『苦しみ続けるなど御免よ!』
『何とかしてくだされ、帝様!』
『ブハッ!』
取引相手が消滅した後、何も言わずに見ていた人達が慌て始めた。
一番偉い人に縋るように近づいて行って、イオが吹き出した。
『もう遅い……』
『嘘だと言うてくだされ、帝様!』
『ええい黙れ! そうだ、そもそも姫巫女を穢れさせたあ奴らが悪い!』
『何だと!?』
『ブフォッ! ホホホッ!』
偉い人は青ざめていたけど、急に元気になって責任を別の人になすり付けた。
収納魔法でパイプを探していたイオが、前かがみになってお腹を押さえた。
『私から娘を取り上げろと!? 帝様とで許しませんよ! 私は悪くありません! 夫が何よりも悪です!』
『何を言う!?』
『貴方が下賎な女に手を出さなければ良かった話でしょう!?』
『巫山戯るでない! 第一、そなたが子一人しか産めぬ劣等品だからであろう!?』
『何ですってぇ!?』
『ウヒャヒャヒャヒャ!』
今度は夫婦で責任を押し付け合い。
折角、取り出せたパイプが落ちた。地面に着く前に、ジャピタが掴み上げられてよかった。
『ああ、やはり私にはヒイラギちゃんしかいないわ。ねぇ、ヒイラギちゃ』
『知らないわ!』
『……え』
『ヨモギが消えちゃった! ヨモギ! 私の大切な妹! 最後まで私を頼ってくれなかったわ!? 何で!? どうして!? 私はあの子の為なら何でもしたのに!』
『……ヒイラギ。違うぞ。改めて思い返せば……あの鬼女は、オレや母君にキミを押し付けていた……』
『そんなはずないでしょ!? キンウまてまそんなこと言うの!? 皆皆、とても悪い人達よぉー!』
『ア゛ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!』
諭されても、苦い顔を向けられても、全然変わらない中心の女性に、イオは限界を迎えた。
口に含んだパイプを吸う余裕もなく、ずっと笑っている。
息もきちんと吸わないから、時々しゃっくりを上げて息継ぎ代わりにしていた。
そのまま、混乱する人達の所にタイミング良くグールが来た。
阿鼻叫喚の地獄絵図。イオが前に言っていたような状況にピッタリ。
中心だった女性が味方の女性を囮に逃げようとして、それを見た他の人達が怒った。
周りの人達に捕まって、逆に囮にと突き出されてた。
グールは死体の肉が好き。だから、生き物は殺してから食べる。
けど、瘴気で島の人達は死なない体になった。大昔の知恵を、本能で思い出したみたい。
千切って食べ始めた。
腕や脚をもいで、首を切って食べ続ける。細かく砕いても、グールは再生する肉片を察して残していた。
女性の悲鳴が汚くて面白かった。
少し前までいろいろな人にチヤホヤされていたのに、真っ逆さまに堕ちた。
イオが一番好きな光景だ。
パイプを咥えて吸う暇もなく大笑いして、劇に飽きたジャピタが見た時にはお腹を抱えたまま横になっていた。
たまにピクピクと体や尾が動いて、陸に上がった魚の姿そっくりだ。そう言ったら掠れた声で怒られた。
逃げた人達も別のグールに追いかけられていて、食べられ続ける。結末が分かって、イオも限界だから島から出た。
瘴気があっても、ジャピタとイオには関係ない。外に出たら、島全体が瘴気で見えなくなっていた。
もう、島の人達は助からない。エサがそう望んだから。
中心だった女性も、その味方も、神の事を分かっていない。
祈りだと言いながら、当たり前の生活で信じる心がなくなっていた。それで祈られても困る上、力を貸す事さえ嫌になる。
見返りなしに神力は与えない。それを、あの人達は軽く見ていたとジャピタは思う。
そういえば、中心だった女性は持てる神の力も溜め込む容量も少なかった。
穢れと言っていたけど、信じる力が弱かった事も関わっていそう。
ぼんやりと海を眺める。太陽でキラキラして、波が立っていて、綺麗。
その下に、二匹の魚の気配を感じた。ただの気配じゃなくて、一匹からまだジャピタが覚えている気配がする。
「イオ! サカナ、エサ!」
「魚? ああ、ヨモギと想い人か」
さすがイオ。すぐに分かって、すぐに納得した。
取引相手から、復讐の代わりに魂の力を貰った。
そのまま想い人のように消滅したいと、不思議なお願いもされた。
優しいイオは、ちゃんとその通りにしたのだ。
イオが言うには、あの女性は持っている神の力が弱くて、しっかりと込める時間もなく矢を放ったらしい。
だから、当たった人は消滅しきっていない。魂が粉々に砕かれて、破片がいくつか残っている状態だったみたい。
完全な消滅と、少し残った消滅は全然違う。
残った部分は転生を繰り返して、良いか悪いかで大きくも小さくもなる。
ゆっくりと時間をかけて良い事を続ければまた人間になれる。
どの位かかるかは分からないけど、可能性をあげただけでもイオは凄い。
イオがいなかったら、ここまで細かく力を扱えない。適当に力をあげて、また何百年か寝る。その繰り返しを続けていた。
「あの調子なら問題なさそうだ。次は邪魔もされず、幸せになってほしいな」
「ウン!」
二匹の魚は、黒い霧を避けて別の方向へ泳いで行った。もう姿は見えない。
どうなろうと興味はないが、イオが願うならとジャピタも二匹の幸せを祈った。
引き離された男女は、今度こそ離れないと連れ添って島から遠ざかった。
遅ばせながら、これで完結でございます!