18.ヒイラギ視点
ヨモギの高笑いが、静かな場で響く。
皆、ヨモギから次々と言われた事で混乱している。
今にも座り込みそうな体に力を入れて、ヒイラギはヨモギだけを見つめていた。
こんなにも楽しそうなヨモギは初めてだ。
こんなにも恐ろしいヨモギも初めてだ。
ヒイラギには常に真顔だったのに、今は感情を大きく表している。
おかしい。おかしい。おかしい。
ヨモギは、自分を頼ってくれなくてはダメだ。
自分がいなければダメなんだ。
だからきっと、これは良くない冗談。
そうに決まっている。
「よ、ヨモギ……。ダメじゃない……そん、な、酷い冗談は」
「事実しか言ってないんだけど? この状況でも現実見ないとか、頭湧いてんの?」
「ひ、酷いわ……!」
「どこがぁ? ああ、でもわかんないか。私をお世話人形扱いで傍に置きながら、周りの攻撃から護ってもくれない十五年だったもんねぇ。察しの悪い構って女、あーカワイソ」
クスクス笑うヨモギは、悪意たっぷりでヒイラギに話してくる。
話しかけられて嬉しいはずが、体が振るえて止まらない。
ヨモギの話は全部嘘。
ヒイラギを困らせたいだけの嘘。
そう思いたいのに、皆が信じさせてくれない。
皆、困り顔でヒイラギを見ている。
思えば、姫巫女の意見はおかしい。
優先すべきはしきたりだった。
前宮司が正しかった。それに、彼の死も突然すぎる。何故怪しいと思わなかったか。
どうして、こんなワガママに付き合っていたのだろう。
そんな酷い言葉が次々と皆の口から出てきて、ヒイラギは涙が零れてきた。
「姫巫女たるヒイラギになんたる無礼! 今すぐ頭を垂れろ!」
「そうよ! ヒイラギちゃんはなーんにも悪くないわ!」
怒鳴り声を出しながら、母がヒイラギを抱きしめる。キンウは前に出て、辺りを睨みつけた。
異常な状況でも、キンウは偉い。だから言う事を聞いて、皆は口を閉じた。
良かった。二人は良い人のままだ。
なら、皆を悪い人に変えた原因を、すぐに排除しなければならない。
きっと、あの人だ。ヒイラギは必死に背を伸ばして相手を指で示す。
「そこの人魚が悪い人ね! ヨモギに嘘を吹き込んだんでしょ!」
「する訳ないだろ? 逆恨みの感情は不味い上、面白くもない。正真正銘、ヨモギの本心だ。しかし……お花畑もここまで来ると病気だな、逆に笑えない」
「酷い! やっぱり悪い人よ!」
「やれ良い人だ、やれ悪い人だ、その場のアンタの匙加減だろ。馬鹿か? ああ、馬鹿だな。神の力が無くなった以上、アンタの幼稚な判断に従う奴はいない」
冷たい口調と視線に、寒気が走った。本当に寒くなった気がする。母に抱き返して、暖まった。
ふと、人魚の揺れる尾鰭が気になった。鮮やかな紫色。ハッとしてよく見れば、ヒイラギが知っている相手だった。
イオ。旅の途中で出会った、屍食鬼を一撃で倒せる良い人。
腕にジャピタが巻きついていても、雰囲気が違いすぎて分からなかった。
良い人が悪い人に変わった。なら、イオも悪い人の所為で変わってしまった。そうに違いない。
「イオ……! あんなに良い人だったのに…………! 本当に悪い人は、どこに」
「居もしない悪人を探す気か? そもそも、アタシらは最初からアンタにとっての悪人だよ」
「そんな事ないでしょ! だって、旅を手伝ってくれたじゃない!」
「この結末の為にな」
くすくすとイオが笑う。その下にいるヨモギも、馬鹿にしたように笑っていた。
何がおかしいか分からない。ヒイラギだけじゃなくて、皆も同じだ。ざわざわと大勢が話す声が重なっている。
怖い。母を抱く手に力が入った。母からも強く抱き締められる。
ずっと怒っていたキンウも限界だったみたい。大きく地面を踏みつけてから、帝へと声を張り上げた。
「父上! あ奴らをすぐに罰する許可を! 打首では物足りぬ!」
「…………」
「聞いておられるのか父上!?」
「キンウ。皆の者。それに、姫巫女。暫し黙れ」
キンウよりも小声なのに、はっきりと聞こえてきた。
この島で一番偉い人。キンウが唯一、逆らえない相手。
そんな帝に命令されれば、皆は従うしかない。
ヒイラギは納得出来なくて声を出そうとしたが、帝が鋭く睨んできて出来なかった。
凄く怖い目だ。ヨモギやイオと違って、体が固まってしまった。
帝は妻を置いて一歩前に出た後、ヨモギとイオに向き直る。
「鬼女に人魚と、人ならざる者同士が手を組みおったか……」
「だから何? 息子の暴走も止めらんない帝様?」
「下手に止めては、民の暴走に繋がった。だから静観していたのみ。しかし、此度はそうは言っておられん」
「へぇ。アンタは平和の為、ヨモギを生贄にしてた訳か。統治者向けの思考だが、少数を度外視しすぎたな。だから、アタシらがここにいる」
「左様か……ならば問おう。儀式によってこの島は今、何が起きておる?」
帝の問いかけに、ヨモギとイオは顔を見合わせた。
そして、合わせたようにニヤリと笑う。それがまた、恐ろしい。
「ナイス着眼点! さすが帝様!」
「呆けているだけの奴らとは違うな」
「賞賛はいらん。答えよ」
「もう出てるじゃん。穢れきった姫巫女が、穢れを嫌う太陽神様に捧げた儀式だよ?」
「より正確に言うと、あの儀式は広範囲に多量の神力を降ろす物だ。だが、直接受け取る地点は姫巫女で、そこから更に広がる形だな。各地の舞は道標になる。その中継点が穢れていたら、各地点へ向かう神力も穢れ混じりだ」
何を言っているか、さっぱり分からない。そもそも、ヒイラギは穢れていない。
ヨモギをお世話して、ヨモギに甘えてもらおうとして、ヨモギを誑かす危険な悪い男を倒しただけだ。それのどこが悪い。
なのに、何かに気づいた人達が怖い目でヒイラギを見てきた。怖くて涙が出てくる。
「ヒイラギちゃんに悪い所なんてないわ! 生かしておいた恩を忘れて……!」
「生かして欲しい、なんてお願いした事ないんだけど? その女のお気に入りだからって、放置してただけじゃん」
「言わせておけばぁ! キンウ様、早う処分してくださいませ!」
母の叫びに、キンウは反応しない。不思議に思っていると、くるりと振り返ってヒイラギを見た。
青い顔に、唇を震わせている。怯えた表情でヒイラギを見たまま、ゆっくりと声を出した。
「ヒ、ヒイラギが儀式を行った事で……身の内に秘めていた穢れが、残っていた神力さえも消し去った、のか……?」
その言葉で、ヨモギが言いたい事がやっと分かった。
穢れと神力が儀式で合わさって、穢れの方が勝った。それで、この島に残っていた神力が消えてしまった。抑えていた瘴気が一気に出て、この島は最初の姫巫女が来る前に戻ったみたい。
でも、納得はできない。ヒイラギは頬を膨らませて否定する。
「それはおかしいわ、キンウ! 私が穢れてる訳ないじゃない!」
「言い訳の第一声が的外れとは……まともに話を聞いていないな」
「ホント。だから、私は苦しみ続けたんだよね〜。あのさー、大社で外に触れない生活で、真摯に神だけ祈るのが姫巫女なんだよ? 外で育って、遊んで、チヤホヤされて、自分勝手な考えで他人は二の次。挙句に勘違いで人殺し。これでも穢れがないって言えんの?」
冷ややかにこちらを見下すヨモギに、反論の声が出ない。
ヒイラギは間違った事はしていない。全部、自分の考えで動いた結果だ。
でも、皆はヨモギに納得して、ヒイラギを敵として見てくる。
違う、違う。ただ、ヒイラギは願っただけだ。
「私は……ヨモギに頼られたいだけなの…………!」
「地獄に付き合わせてる女に縋る程、私は落ちぶれなかったみたい」
清々しい笑顔で放たれた言葉は、ヒイラギの願いを木っ端微塵にした。
何よりも美しい翠の目が活き活きしていて、本気だと分からされて、涙がポロポロと出てくる。
皆の視線が痛い。ヨモギの怒りが痛い。今後の事が分からなくて怖い。
それでも、改めて向き合わないとダメだ。涙を拭ってヨモギを見直す。
ヨモギが薄らと光っている。明らかに異常だというのに、より笑みを深めていた。
「ヨモギ!?」
「ハハッ! やっと絶望した顔見せたね!」
楽しそうなヨモギに、皆は怖がって距離を取っている。手を伸ばそうとしたけど、母の腕の中だから全く届かない。
ヒイラギの見ている前で、少しずつ、ヨモギの身体が端から消えていく。
悲鳴を上げたが、喉が締まって詰まった声になった。
恐れる皆を眺めて、ヨモギは高笑い続ける。
「神力は消失! この島は瘴気に包まれてもう終わり! 一気に瘴気に犯された島民全て、老若男女関係なく不老不死! 屍食鬼のエサとして永遠を苦しんで!」
おぞましい未来が語られて、辺りから悲鳴が上がる。母も悲鳴を上げてヒイラギから手を離した。
それよりも、ヒイラギはヨモギから目が離せない。
翠の目は、ヒイラギをしっかりと見ている。でも、どこか別の誰かを見ている気がした。
「私が望んだ復讐は、神の力を消し去って昔の『常世島』に戻すんと……あんたに私の絶望を味わわせること!」
「な、何をする気……やめ、ヨモギ……」
「あんたが執着してる私を! アーサーと同じ様に消滅させんの! しっかりと目に焼き付けて一生覚えて! この島も私もあんたが終わらせたんだ!」
瞬間、ヨモギが消えた。
砂が風で飛ぶみたいに、人の形がパってなくなった。
ヨモギがいた痕跡が、何一つもない。
空中のイオがくすくす笑っている。
ヨモギが居ない。居なくなった。
もう会えない。触れない。話せない。
「やだ……そんなのやだぁあぁあああああぁああああああああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁ!」
悲しみが声になって、今までにないくらいに大きな音になった。
もう、目の前がまともに見れなかった。
絶望、絶望、見渡す限りの絶望