14.ヨモギ視点
出会いは突然に
不意に、視界に人が入る。驚いて思わず仰け反った。
動揺で早くなった胸を抑えつつ、改めてその人を確認する。
切りそろえられた金髪が日に当たって輝き、澄んだ青い目は青空みたい。すぐに商人の一人だと確信する。
島では見た事がない色合いで、綺麗な青年だ。
視線を逸らし、小窓に背を向けて深呼吸する。未だに鼓動が落ち着かない。
小窓から人を目視したのは初めてだ。
内裏の人々は納屋に近づかないか、鬱憤晴らしに入口から来るかの二択だ。小窓付近には寄らない。
だから、気を抜いていた。
「あの、すみません」
「ひゃあっ!?」
突然の声掛けに、また驚いて心臓が飛び出かけた。勢いよく振り返れば、小窓越しに青年が話しかけてきている。
キョトンとした顔は、ヨモギの目を見ても変わらない。鬼女の話を知らないのだろう。
ならば、鬼ではなく人として会話できるかもしれない。未知の恐怖より、未知の好奇心が勝った。
「な、何か用、ですか?」
「はい。聞きたいことがあるです……その前に、一つ確認するです」
「な、何を?」
「姫巫女様をどう思ってます?」
瞬間、一気に高揚していた気分が冷めた。外の国でも、姫巫女様は人気なようだ。
無理に繕った笑顔も消える。
何も言いたくなくて、下を向いた。すると、予想外の言葉が聞こえてきた。
「良かったです! まともに話ができます!」
「……はへ?」
「他の人、姫巫女様に陶酔しきっているです。ボクが聞きたいのは、客観的な意見です」
声色が弾む青年に、ヨモギは恐る恐る顔を上げた。声と同じで、青年は嬉しそうである。
初めてだ。姫巫女を賞賛しなかったからと、怒鳴りつけない人。
外の国の人だからだろうか。
「ボク、アーサーです。この島について調べに来たです。アナタは?」
「…………ヨモギ」
「いい名前です」
そう言って微笑むアーサーの笑顔は、ヒイラギと違ってとても明るい。
自然と、ヨモギも口角が上がっていた。
「さて、ヨモギ。ボクが知りたいのは、ここ二十年程の島の様子です。特に、姫巫女です。詳しく聞きたいです」
真剣な顔になるアーサー。
それに対し、ヨモギは知る限りの全てをぶちまけた。
アーサーの願い通り、なるべく事実だけを話す。しかし、どうしても自分の立場を嘆いてしまう。
そんなヨモギの苦しい想いも、アーサーは真剣に聞いてくれる。
次第に、ヨモギの口調が取り繕った敬語から普段使いに変わっていく。
ヒイラギに心酔していないアーサーは信頼できる。そう強く思った。
長い話が終わる頃には、アーサーは眉間に皺を寄せて唸っていた。
その変化に怯えたが、重い口から放たれた言葉はまたしても違った。
「まさか……太陽神の巫女が、そこまで自由に振舞っているとは思わなかったです。でも、これで納得したです」
「……どーいうこと?」
重大な話に、思ってたよりも低い声が出た。
身を乗り出すヨモギに、アーサーは一呼吸置いてから話を続けた。
「ヨモギは、巫女は外出しないで祈る理由、知っているです?」
「ううん。そーいうもんだと……多分、前の宮司は知ってたかもだけど……」
「正解です。今、誰も知らないと思うです。知っていたら、巫女は外に出さないです。何故なら、太陽神は穢れに弱いからです」
「さっきから太陽神って言ってるけど、アマノ様の事?」
「そうです」
アーサーの国では、アマノ様は太陽神の一柱らしい。
顔を覗かせるだけで、生きとし生けるものに恵みを与える存在。
全てを明るく照らし闇をなくす。大勢から感謝されて、純粋な祈りが届く事が当たり前。
だから、太陽神とされる神々にはそういった面が強く見られるようだ。
「太陽神の力は強いです。瘴気と言う、生物を魔に近づける空気です。それを祓えます。大昔の巫女は、眷属と思う程に太陽神を崇拝してたと言われてます。つまり、太陽神の力を多く借りられたです」
「じゃあ、屍食鬼が排除できたのも、アマノ様の力で瘴気を祓ったから?」
「そうです。ただ、祓う力は強くても、祈りに混じる邪には弱いです。人は生きてれば、色々な感情があります。でも、太陽神への祈りにはいらないです。むしろ、悪影響です」
そこまで聞かされて、ヨモギは気づいた。気づかない方がおかしい。
親の所為とはいえ、ヒイラギは二十年も社の外で生きてきた。
それを抑えて神の為だけに祈るなど、我慢などした事ないヒイラギにら不可能だ。
まして異様にヨモギに執着し、今では外に出て多くの物事に触れ合っている。穢れるなという方が無理だ。
邪念が混じった祈りの影響は、既に自然の恵みとして出ている。
自分の血の気が引いていくとヨモギは実感した。
「あの女……やっちゃダメな事しかしてない!」
「ヨモギの言う通りです。だから、瘴気が漏れ始めて、影響が出ているです。それには今の巫女が、普通じゃない状況なのもあるです」
「それって……やっぱり、私?」
言いながら悲しくなり、ヨモギは俯く。だが、僅かに見える視界の端で、アーサーの首は横に振られた。
「鬼の話も気にはなります。でも、ボクはそれよりも、巫女の魅了が強い事が気になるです」
「み、魅了!?」
「はい。太陽神の力を持つ人、生物を引きつける力あるです。でも、今の巫女は、その力が強すぎます」
急に出てきた単語だが、ヨモギは簡単に飲み込めた。
言われてみれば、そうとしか考えられない場面は何十とある。今までの出来事に辻褄が合い始めてきた。
外から来た、姫巫女に惑わされない有識者。だとしたら、ヨモギが一番に気になる事も知っているかもしれない。
緊張で乾く口を唾液で湿らせ、その問いを言葉にした。
「だったら…………鬼って、何?」
翠色の目を持つ人間は鬼。鬼は災いをもたらす存在だから、処分するべき。
姫巫女に愛されたから、生かされている鬼。それがヨモギだ。
毎日が惨めだ。望んでいない好意の押し付け、それを羨む人々からの執拗な攻撃。
本心は把握もされず、何も出来ない。させてもらえない。
何の為に生きているのか、本当に分からないのだ。
持って生まれた目なぞ、ヨモギの意思で変えられる筈がない。
でも、ヒイラギの愛され体質が神によるものなら、ヨモギの目も神が与えたものかもしれない。
理由があるなら、まだ、理不尽な暴力を受ける心持ちも変わる。
アーサーからの返事はない。澄んだ目を閉じ、瞑想している。やがて、ゆっくりと瞼を開けて答えた。
「鬼という言葉を、ここで初めて聞いたです。なので、ヨモギの疑問には答えられないです」
「そ、う……なんだ…………」
「ヨモギ、落ち込まないでほしいです。今のボクは知らないというだけです。きちんと調べるから、安心してほしいです」
「調べる……?」
「この島、独自の歴史があります。ボクは本国とこの島を往復して、徹底的に調べあげるです。この島を経由した、海産物に混じる瘴気の原因。それを判明させるのが、女王陛下からの命令です」
随分と大きな話だ。ヨモギの世界が、この島だけから一気に広がった気分である。
意外と、この小さな島は外の国に注目されているらしい。屍食鬼を発生させる瘴気という、悪い意味でだ。
そんな悪い物が口に入ると思うと、ゾッとする。
ヨモギに与えられる残飯にも混じっているかと思うと、より食欲が失せそうだ。
「この島の物とか、全部瘴気塗れじゃん……食べたくない」
「微量なら、まだ大丈夫です。必ず、原因を止めてみせます」
アーサーは微笑むと、小窓越しに小指を出てきた。優しい笑顔に胸が暖かくなる。
恐る恐る、引き窓を開けて自分の小指を外に出す。アーサーの小指が絡まり、熱が伝わってきた。
少しゴツゴツした手は、ヨモギの肉のない手と比べ物にならない程に生命力に溢れていた。
「また来ます。約束です」
「う、うん! 待ってる!」
胸がドキドキして、締め付けられて、それも心地いい。指切りも誰かを待つ事も初めてだ。
名残惜しそうに去っていくアーサーの後ろ姿を見送った後、絡めた小指をずっと眺めていた。
しばらく、アーサーの体温と感触が忘れられなかった。
怒涛の情報ラッシュ